ゆらめく、しだれ柳
トイレと洗面所は入り口すぐにあるから、テーブルからは離れている。
「みつるさん、この会はどうですか」
「えっ。すごくその……いいなと思っています」
「緊張はどうですか」
「なんか、その、さっき、柚真くんが一緒にボードゲームを探そうと誘ってくれて、その間にほぐれました」
「ん? 彼のこと、気になってますか?」
「……そうですね」
恥ずかしくて首の後ろをかいた。
こんな話をするのは人生で初めての経験だ。
「そうですか、それは良かった」
ドタドタと走ってくる音が聞こえて、お待たせしましたと柚真が戻ってきた。
「遊びましょう」
「……はい! 一緒に」
綺麗に切りそろえられた爪と、洗ったばかりの手から石鹸の匂いが漂う。
ボードゲームが好きだという彼のことだから、丁寧に扱いたかったのだろう。
俺も、彼からこんな風に、丁寧に――触られたい。
初めての感情に顔が熱くなって、烏龍茶をいただく。
「柚真、説明書貸して。ルール確認するね」
「お願いします」
さっきのゲームよりも、カードの種類が多い。
大丈夫だろうか、俺。
理解できるのか?
「これ、変則的な人狼ゲームか?」
「そうです。トークしながら人狼は村人にウィンクをするんです。ちょっと変わってて面白いでしょ! 以前、遊んだゲームで楽しかったんです。仲良くなるのにぴったりだなと思って、選びました」
仲良くなりたいんだ。
と、思った瞬間、隣からため息のようなふーんが聞こえた。
横を向くと、ハチと拓樹がニヤニヤした顔でこっちを見ている。
「ぴったりなゲーム、ですねェ」
「はい! さっそくやってみましょう。役割カードとお題カードに別れています」
「柚真、役割カード貸して。シャッフルして配るわ」
「じゃあお願いします。こちらはお題カードをシャッフルします。今度のゲームは先ほど遊んだゲームと違って、一つのお題をみんなで喋ります。順番に。思いついた人から時計回りで」
「えっと、どんなお題が入ってるか傾向を掴みたいから一枚だけ見せてもらえるかな?」
柚真の説明に、ハチがお題の内容を求めた。
彼は、先ほどの俺のパスには深い意味は見出しておらず、ぽかんとした表情を浮かべている。
それでも、山札から一枚めくって見せてくれた。
『あなたがファン感謝祭でみんなと一緒に記念撮影するときにしたいポーズ』
「あ、なるほど。これは……ぴったりなゲームかも」
「ですよね。アイドルは知らないんですけど、想像するだけタダだし、その設定でやると面白いんです」
「柚真、以前、遊んだって言ってたけど、そのときは座って遊んでた?」
「立ってました」
「……ふーん、なるほどねぇ。まぁ、大変だけどポーズのときだけ、立って自由に移動することにしようか。じっくり座ってゲームしたいから」
「え、ちょ、ちょっと! 拓樹さん」
「待て、柚真。年齢には勝てんのだ」
「……座ってるだけで体力回復するタイプですね。わかりました」
「今から役割カードを配ります。人狼か村人かどちらかしか書いてありません。人狼になった人は秘密裏にウィンクを飛ばしてください」
拓樹は、役割カードを俺から順に時計回りに配った。
役割カードは『人狼』を示している。
「じゃあ、お題カードめくりますね。あ、さっきのカードは山札の下の方にランダムに差し込んであります。最初のお題は『もしあなたがアイドルになったときにやってみたい、ほにゃらら会』です」
「え、なんか最初から難しくない?」
「拓樹さん! アイデアがないのに喋ったらダメです」
「ハチはなんか思いついたのある?」
「え、えーっと、いやぁ。さっきより格段にゲームっぽくなって、難しいお題です。想像力が必要ですね」
拓樹とハチが話しはじめる。
ハチは前職でいろいろあったからか、言葉を濁す。
そうだ。
俺、ウィンクしないといけないんだった。
少し前のめりになったところを見計らって、ハチが俺に話を振ってくる。
「みつるさんはなにか考えていることはありますか」
「そうですね、今の若手だったらハイタッチ会とか、あっても歌手活動の続きで購入したCDのお渡し会、とか」
そこまで言ってから、彼にはまだ俺の職業――俳優業を教えてないと思い出す。
「っていう、その、知り合いからの情報で、だからその……そういう情報を元にアイドルになって何をしたいか考えるんだよな?」
「はい、みつるさん。そうです! 理解力が早くて助かります」
彼と目が合ったからウィンクをしてみた。
けれど、すぐにお題を思いついた人はいますかと二人に再度振って視線を逸らされてしまった。
今じゃない、彼のトークのときや、もう一度振られるであろう俺自身のアイデアの話をしたときにウィンクをしよう。
考える振りをして、視線を逸らす。
二人はあまり真剣に考えている様子はなかった。
「じゃあ、はーい。以前、遊んだときに聞いて良かったなぁというアイデアなんですけど、お絵かき会です。ファンからのリクエストに応じて書いたものをあげる会です」
「あ! それ良さそう!」
反応したのは意外にもハチだった。
「サイン会って事前に書くか、その場で書く場合と二種類に分かれるんですが、同じ形を何回も書くのって意外と疲れるんですよね。お客さんの書いて欲しいことを書くのってまた違う大変さがあるかもしれませんが、お互い楽しそうな感じがします」
「えっ、サイン会ってその場でしゅるるーと書くわけじゃないんですか」
柚真がペンを持ったような振りで腕を動かすジェスチャーをしてみせる。
「ま、いろんな人がいますし、イベントとして仕事の拘束時間が決まっていたりすると事前に書く場合もありますね」
「えっ、ハチさんって、アイドルイベントに行き慣れてます?」
「あ。えーと、前職だし言っちゃうか。以前は芸能事務所でタレントのマネージャーをやっていました」
「マジですか! えー、知らないとはいえ、こういうお題向きじゃなかったですよね」
「大丈夫です。やっぱりタレントの努力を真っ先に考えてしまうクセがついているので」
ハチはそこで一旦話を切って、俺に視線を向けた。
とくに何もしないでいると、ハチは拓樹や柚真へ体を向けて話しはじめる。
「そうですよね、自分自身がアイドルになりきらないと」
ハチが座り直す。
ソファが揺れる。
柚真の顔がハチに自然に向いて、ゲームだからといって誰かの話を雑に扱ったりしない。
でも、その丁寧な視線を俺に向けさせたい。
「はいはいはい! じゃあ、ハグ会にするわ。イケメンがきたら、ぎゅーってしたい!」
「拓樹さん! それ欲望丸出しじゃないですか」
「え、ダメなの? ゲームだし、現実にアイドルになれるわけじゃないんだからさぁ」
「いえ、ゲームのお題には合ってますよ。それにしても、全然ウィンク飛んでこないなぁ。まだ人狼さん隠れて伺っているんでしょうか」
「って、柚真。それが振りのやつ」
「あ、じゃあ僕も振り切って想像上の僕で、架空で」
「ハチ、大丈夫。みんなわかってるよ。そういうゲームなんだもん」
拓樹が俺に向かってピースサインを小さく出したから、場回しをきちんとしてくれたと気づいた。
でも、柚真はなかなかこっちを向いてくれない。
「チェキ会です」
「ハチ、意外と普通の答えだね。柚真さ、今からルール変えない? この四人だけで、今だけ。三回くらいお題チェンジしてから、人狼への投票をしようよ。まず、お題が別の意味で難しいのと、考えて発言しただけで盛りあがるから。このゲームのルールとしては違うかもしれないけど」
「そうですね、ゲームに慣れてない人には難しいかもしれません。今だけのハウスルールで運用しましょう」
俺は今、柚真にウィンクを気づいてもらうのが難しい。
「あ、じゃあ最後だ。俺、結局なにしたいかはわからなくて……でも、もしアイドルとファンの関係を、疑似の恋人同士だと捉え直してみました。なので、好きな人だと思ってされたいことってなんだろうと考えてみたら、トーク会、一問一答じゃないけど答えられる質問には答えたいな、と今思ってます」
彼と目が合ったから、今だと思ってウィンクをしたけれど、どうにも手応えがない。
あっさりと流された。
次のお題にするべく、彼は山札からカードを一枚めくる。
ゲーム好きだから、ゲームの進行に夢中になっているのか、俺のウィンクがわかってもらえてないとか……?
もっとなりきらなきゃ、設定を読み込んで真面目に答えてみたい。
さっきはパスばかりになってしまったから。
設定があるほうが嬉しい。
柚真も無意識にそう思って選んでくれたのなら、もっと嬉しい。
期待に応えたい。
「次のお題を読みます。『推しの握手会に行ったときに伝えたい言葉』です。推しじゃなくて、さっきみつるさんが言ってくださったみたいに、好きな人でもいいかもしれないです。わかりにくかったらそれで」
「えー、そんなんあれじゃん! 結婚してください! じゃん」
「拓樹さん、だから早すぎですって。もっとその前の段階ですよ。告白、っていうか」
彼の視線が拓樹から俺に移ったから、素早くウィンクをした。
「あ、あの俺だったら、いつも見てます、と伝えます」
少し口を開けながら、見つめてくれたから何度かウィンクをした。
俺自身が言われて嬉しい言葉だった。
ハチはそれを知っているから、別の言葉にするだろう。
「愛してます! が最強だって」
「拓樹さんったら、もう」
「僕は、応援してます、頑張ってください、ですかね」
「ハチの言葉は前職の影響が強すぎない? で、柚真は?」
「うーん、推しがいたこともないし握手会にも行ったことがないので、想像ですけど」
と一旦前置きして、俺を見つめた。
「落ち着いてから、ただ一言好きですと伝えます」
またウィンクをしてみた。
もうゲームなんか関係ない。
ひたすら彼に気づいて欲しかった。
彼自身が人狼をやってみたかったのなら、プレイングを想像してたのなら、きっとここで俺にウィンクをしてくると思った。
「次のお題、めくるよ」
拓樹が次のお題を促すくらいには、おそらく長々と見つめあっていたのだろう。
時間を忘れるほど。
設定があれば、素直に話せるのに、そうじゃないとハチみたいに考えこんだ上で当たり障りのないことしか言えなくなっている自分に改めて気づいた。
「お題読むね。『推しとのツーショットでしてみたいポーズ』だって。じゃあ、立とうか。それに、柚真の説明だと、推しを好きな人に変換して考えてもいいんだよな?」
「あ、はっ、はい。そうですね」
「ハチ、会いに来たよ。ツーショット楽しみにしてたんだ。じゃあ、俺のあごの下に手を差しだしてくれる?」
「……やってみたんですけど、これどう見えてます?」
「拓樹さん、さっきからクセありすぎですよ」
そう言いながら立ち上がった柚真と、俺は自然に近づいていた。
拓樹の不思議なポーズを見るために。
「ハチさんは?」
「え、あー、そうですね。推しか」
そういって、俺にチラリと視線を投げてやめようと頭を振った。
「ツーショットっていっても許されてる事務所と、ルールが厳しい事務所があるんですけど」
「そりゃ、ハチの好きなほうでいいんじゃない? ゲームだし」
拓樹がゲームだと何度も言ってくれるから、今までできなかったことができるのかもしれない。
設定なのに、素の俺に近い部分をさらけ出せるのかもしれない。
「あの、僭越ながら……」
「おおーっ!」
「って、ええええ!?」
ハチは拓樹にハグをした。
「さっきハグ会したいって言ってたじゃないですか」
「そ、そうだけど、嬉しいけどさぁ!」
「いろいろやってくれてるんですから、僕は拓樹の好みじゃないかもしれませんけど」
拓樹の顔が浮かれているように見えるから、ハチは気づいてないだけか。
「柚真は?」
「えっ、なんかすごいもの見ちゃったなぁって気分です」
彼の率直な感想に笑った。
「確かに不思議な空間だったね」
すでに距離が近くなっている俺は、ベタでも良いからやってみようと思ったアイデアがある。
「あの、柚真くん。ハート半分ずつわかる? 片手をこう、親指を下に親指以外を曲げて真ん中の方向にそうそう」
「ハートいいですね。やっぱサマになりますわぁ」
彼と顔を合わせる。
ウィンクをゆっくりしてみた。
人狼だと疑われてない? いやそんなことはないだろう。
「あの、このままで。このポーズ、人生で一回はやってみたかったんです。憧れです。今日、叶っちゃいました」
かわいい。
いや、年下に率直にそのまま伝えたらダメだけど、でもやっぱり気になって仕方がない。
「柚真もしたいポーズがみつるさんと同じって解釈でいいの?」
「はい! まさか同じだと思ってなかったんです。嬉しい」
ふわっと柚真の笑顔がこぼれた。
彼の笑顔を俺は好ましく思っている。
どう伝えたらいいか、初めての感情すぎて、よくわからない。
拓樹がゲームの進行に戻る。
「じゃあ、人狼の投票に移ろう。人狼も投票に参加します。人狼だと思う人を指さしてください。決まった? じゃあ、せーの、ドン」
俺は柚真を指した。
ハチと拓樹はお互いを指さしあっていて、柚真は拓樹を指している。
あんなに頑張ったのに気づいてもらえてない!
「じゃあ、人狼の方は役割カードを表にして見せてください」
俺が役割カードをひっくり返すと、柚真は驚いていた。
「すみません、なにか目に入って痛いのかなって視線逸らしたほうがいいのかなって思いこんでしまいました。たしかにウィンクといえばそうなのに」
「いや、逆に柚真がどう考えて投票したんだよ」
「みつるさんじゃないなら、奇抜なアイデアを繰り出す拓樹さんにしておけば問題ないかなって」
「コラーッ」
「ん? 柚真くんはみつるさんが人狼だと思えたら良かったの?」
ハチの質問に答えずに頷いた。
「じゃあ、合ってるじゃん。みつるさんが人狼なんだから」
「次も、さっきと同じルールでやりましょう」
柚真は照れているのか、下を向きながらお題カードをシャッフルしはじめた。
「いや、もうこっちは面白すぎてお腹いっぱいだよ。あ、みつるさん、次はどうします?」
「えっと、またこうやって楽しくお話しできたら嬉しいです」
「もしかして、柚真と二人だけで?」
首筋が熱くなる。
頬が熱くなって、掌で隠すように顔の下半分を覆う。
どうしたらいいのか言葉にはならない。
「四人で会おうか?」
拓樹からの確認の問いかけに大きく頷くしかない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます