第6話 段ボールと三味線

カメラはタワーマンションの陰に立つ段ボール小屋を映し出す。ナレーションが低く響く。


「ここに一人の男がいる。光明院章――資産を持ちながらも、段ボールを住まいとし、段ボールの中でしか言葉を交わせないという男だ。

その生き方に光を当てるため、我々は一人の異色のゲストを呼んだ。」


スタッフの合図とともに、三味線の音が空気を震わせる。柔らかくも鋭い音色が都会の雑踏に溶け込んでいく。


現れたのは、盲目の三味線奏者・御花畑 蓮(おはなばたけ れん)。

眼差しは虚空を見つめながらも、手は迷いなく糸を撫で、音を紡ぎ出していた。


「見えない世界を音で描く男、御花畑 蓮。

彼は三味線を抱え、全国を渡り歩く放浪の奏者。

段ボールに籠る光明院章と、盲目の音楽家が出会うとき――

どんな響きが生まれるのか。」


そして取材シーンでは…

蓮は章の段ボール小屋の前に座り、三味線を鳴らす。

目は見えないが、音で段ボールの質感や空気の振動を感じとりながら言う


「段ボールの中に入らなければ話せぬというが、私は闇の中でこそ音を見出す。

 光を捨てた私と、外を捨てたあんた。似ているようで違うのう」


章は段ボールの仮面越しに「違う」と返すが、どこか胸をえぐられる。


「章さん。あんたはなぜ段ボールにこもる?

 世間の目を避けるためか、それとも世間の声を拒むためか。」


「……どっちでもない。

 段ボールは俺にとって、殻じゃなくて声そのものなんだ。

 ここに入ると、不思議と舌が動く。

 外に出れば、息が詰まって声にならない。」


「つまり、外界は恐ろしい。

 ならば問う――なぜ外界に怯える?

 人の視線か? 人の言葉か?」


「視線だな。

 人に見られると、心臓が鷲掴みにされるみたいで……

 逃げたくなる。

 でも段ボールがあれば、その視線から守られる。

 そう思えば、ようやく俺は人と向き合えるんだ。」



蓮は糸をひと撫でする。軽やかな音が夜の空気に響く。



「わしには視線はない。光もない。

 だがその代わり、音がすべてじゃ。

 足音で人の気配を聞き、息遣いで感情を知る。

 光を失ってなお、わしは人を恐れはせん。

 章さん、あんたの段ボールは……音まで塞いでないか?」


「……」


段ボールの中で、章は拳を握りしめた。

外の音は確かに聞こえる。しかしそれは常に遠く、歪んで届く。



「俺は音を聞いてるんじゃない。

 箱を震わせて届く“振動”だけを感じてる。

 外の音を素のまま受け止めるのが、怖いんだ。」


「なるほど。

 わしは逆に、光の“振動”を捨てて、音の素のままに生きとる。

 同じ不自由でも、選んだ方向が違うわけだな。」



蓮は三味線を強く弾く。

重い音が響き渡り、スタッフさえ一瞬身を引く。



「章さん、段ボールは器か、牢獄か?

 自分ではどちらだと思う?」


「……器だと思いたい。

 でも、牢獄かもしれない。

 けどな、牢獄であろうと、俺はここで呼吸できる。

 それで十分だ。」


「“十分”という言葉が、いちばん危うい。

 満たされたふりをして、成長を止めてしまう。

 わしら芸人はいつも“まだ足りぬ”と感じながら音を探すんじゃ。」



章は言葉を失い、段ボールの内壁を指でなぞる。

ダンボールの繊維のざらつきが、まるで自身の弱さを映すように感じられた。



「……じゃあ蓮さん、あんたにとって“世界”ってなんだ?」


「音のある場所すべてが世界だ。

 静寂もまた音の一部。

 光に縛られぬこの身は、むしろ広く世界に触れている。


 だがあんたは違う。

 箱の中でしか息ができぬ。

 それは“世界を小さく畳んでしまった”生き方じゃ。」


「あなたは自由を求めて段ボールに入ったと。しかし、自由とは何か。閉じこもることで外界を遮断したあなたに、自由はあるのか?」

「段ボールの中では、社会の価値観や期待から逃れられる。外の世界は雑音だ。自由はここにある。」


蓮は三味線を弾きながら反論


「だが、自由とは他者との交わりの中でこそ試されるものではないか。孤独に隠れて得る自由は、幻ではないか?」

章は反発


「他者に合わせることが自由だとは思わない。社会の規範に縛られるくらいなら、段ボールの中にいる方がずっと誠実だ。」


蓮が目を閉じ、淡々と最後の問いを放つ


「では、あなたの段ボールの中の幸福は、永遠に孤独であることを受け入れているのか?」

章は答えられず、沈黙。蓮も言葉を閉ざす。

ナレーションが入り、二人の哲学は交わらず決裂したことを強調する


「光明院章と御花畑蓮――互いに共鳴すると思われた魂も、問いの深さの前に決裂した。

しかし章は、自ら選んだ孤独の中でしか生きられないことを改めて認識した。」


取材班の車が通りを走り去る

光明院章は段ボールの中で小さく伸びをし、仮面の奥から外を見つめる。

今日一日、彼の哲学を聞きたいと訪れた人々は去ったが、章の世界に踏み込む者は一人もいなかった。


段ボールの中は、やはり静かで、だが安心できる。ここにいる限り、誰に気兼ねすることもない。

それでも心の奥底で、章は考える。

「果たして、誰かが本当にこの世界に共鳴し、共に生きようと思うのだろうか――」


街を行き交う人々の喧騒、SNSの通知音、ビル群の光。すべてが段ボールの壁を隔てた外の世界。

章の哲学はここにある。だが、まだ誰もそれを共有することはできない。


小さな吐息と共に、章は段ボールを押して街を進める。滑車の音だけが都会に反響する。

彼の世界は変わらない。しかし、章自身は確かに変わった。今日の問答、今日の取材、すべてが彼の哲学をさらに深めたのだ。

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