「超時空ゲートのある世界」

@IV-7

第1話 小さな叛逆者

――もし啓示が自然科学の真理を一般的に扱うものだったなら、それは啓示の最大の効用を損なってしまっただろう。すなわち、自然界の探究を、人間の理性という特権を鍛え、楽しませるための最も有益な活動として保ち続けるという効用である。ウィリアム・ダニエル・コニベアおよびウィリアム・フィリップス、1822.「イングランドとウェールズの地質学概要」p.51 (19世紀初頭、石炭紀を名付けた文献)



時空共通暦五十二年。

旧日本圏・関東地方。某総合商社にて。



薄暗い室内。

ライトグレイの壁。

幅にして3mはあろうかという、巨大な画面。

空調の立てるかすかな唸りが、かすかに耳の底を震わせる。


並べられた長机。


画面にぼうっ、と灯がともり。

青白い光が、画面の周囲を柔らかく包んだ。

十数名の社員が、灯に集まる小さな羽虫のように、頬を照らされ、ARグラスを光らせる。

表情筋を動かすものは、一人とていない。


手元には、各々の汎用通信端末がおかれていた。


静寂。


だだっ広い、会議室1-1で動くものはといえば。

空調のノズルのわずかな上下と、向きによってARグラスにちらりと垣間見える、緑に光る文字列だけだ。


一反木綿みたいな画面は、一見すれば、白紙なまま。

しかしその隅をよく見てみれば――何やら、小さな文字列が、経典のようにずらりと、びっしりと並んでいる。


よくよく見てみれば、名前だ。


そして、各々の名前を記す文字列の横。

小さくミュートと、カメラオフを示す、斜線を引かれたマイクおよび、カメラOFFを示すマークが灯っていた。


ミュートを解除するもの。いない。

カメラをONにする人。誰一人、いない。


それでも、数百人の社員が、この会議に参加している

“ことになっていた”。

いやむしろ ”していなければ、ならなかった”。

本当に聞いているかどうかは、別として。

そういう、きまりだった。


会議が、始まる。

長机に並んだ重鎮たちが、すっ、と背をのばす。

スーツが、ジャキッ、と、布の擦れる音を立てた。

――いや、実際には椅子のわずかなズレが立てる音なのだろうが、そんな擬音語が、よく似合う。


各々の端末が、一瞬の点滅ののち、カッと青白く、光る。


スクリーンにも、火が入った。

一瞬よぎる、地球を背負う巨大な人影。

   そして「ATLAS」のロゴ。

そして、プレゼンテーションが始まった。

「資料1-1をご覧ください。汎用人工知能〈アトラス〉と提携した大規模な市場調査の結果です。ユーザーは「アトラス」にアカウントを持つ弊社ARグラス使用者からランダムに選ばれ…」

本日の議題は、開発中の次世代ARグラスの仕様についてだ。


スクリーンには、円グラフと折れ線グラフが映し出されている。

「このように、円グラフでは9割の人間が「リミッターを解除している」ことが示されています。図2に示すように、折れ線グラフでもリミッターを解除する人間がどんどん増えており、来年にも100%に達する見込みです。」


そう、営業担当の田口は息を巻く。


「現行機では自動AI生成の表示速度にリミッターをかけていますが、見てのとおり、ユーザーの大半が解除して使っています。現状、デフォルトでリミッターが設定されているのは当社のみでして、「生成速度が遅い」という評価を多くいただいております。よって次世代機では、リミッターをデフォルト仕様から外す。これが今回の、メインの提案です。」


会議室は、しん、と静まり返った。

誰ひとり、手も、指も、動かさなかった。

各社員の装着したARグラスには、何やら文字列が流れているようである

――しかし、営業も、開発も、端末の向こうの社員たちも、誰一人、声や音をたてることはなかった。


拍手をすればお世辞となり、異論を唱えれば反論となる。

沈黙こそが、最もふさわしい同意である。

最大限の賛辞であり、「それで決まりだ」という意味だった。


そもそも、結論は、すでに出ていた。


弊社のARグラスは、生成AIの速度リミッターが設けられているせいで他社に後れを取っている。

だいいち、会議室に出席している人間のほとんどがリミッターを解除している現状、その結論は誰の目にも明らかだった。


――ただひとりを除いて。

静かな会議室に、ひとつの声が割り込んだ。


「は・・・反対です」


女性にしてはやけに低く、男性にしてはやや高い。


会議室の面々は、その声を聴いただけで、眉を顰め、首をうなだれた。しっし、と手で払う者の姿もある。

誰かが舌打ちをする音が、会議室に、ちくりと響いた。


スーツの男女のなかに隠れて、子供のようなものが紛れ込んでいた。

座席にすら座らず、着席した社員の間からぴょん、ぴょん、と手を挙げている。


ケイ・ヤマナカ。


少年のような――というより、子供のまま時間が止まったような人物だった。背丈は、一四二センチ。

一見すると、男子小学生が会議室に紛れ込んだようにしか見えなかった。

彼女を一目見て、成人女性だと思う人はまずいないだろう。


役職はなく、所属部署すら曖昧。

遅刻や欠席は日常茶飯事で、机に座ってもいつも眠そうにしていて、何をしているのか分からない。


しかし、会議となると――こうやって突然、暴れだすのだ。

もちろん、社内では――腫れ物のように扱われていた。


”彼女”は続けた。

「端的に言うと、弊社製品のリミッターはAI生成に洗脳されるリスクを抑えるために不可欠の措置であるととらえています。」

そして、拳に力を込める。

「もっと言えば、人間が人間でいられるためのセーフティネットです。」

「人間の自我なるものはひどくざっくり、ぼんやりしていますから――外部から提示された答えが自分の思考に先行して入ってきた場合、それを『自分の判断だ』と確信してしまうのです。

この現象は二十世紀から数多くの実験で指摘され続けてきたことで、決して新しいものではありません。」


「ヤマナカくん、私語は慎みたまえ」


しかし、止まる気配はまるでない。

その、会議室に紛れ込んだ異物は、さらに演説を続けた。


「つまりですね、リミッターを解除した場合、自分が思いつく前にAIが生成したものを、自ら思考した結果と確信してしまうのです。」

「アトラスが正しいのは分かる。しかし、その判断を自分の意見だと錯覚して動くのは、人間として危険です。――キノコに寄生されて操られるアリと、どこが違うんですか?」


声が荒げられ、マイクのノイズが会議室全体に、キーン、と響いた。


場が、凍る。


そう、この会議は全会一致で異論が出なくなるまで、終わらない。

つまり――こいつを黙らせない限り、”何日でも”会議が伸びうるのである。

げんに、そんな事件がかつて実際に、あった。


会場に、次々とため息が零れた。


――ケイを見ようとするものは、誰もいない。


しかし、全員が視線を向ける“人物“がいた

――それは、会議室の片隅にいる。

すっと整った目鼻立ちと、すらりと背が高くシャキッとしたスーツ姿。

その姿には、自然と男女を問わず目線を吸い寄せさせるものがあった。

〈アトラス〉。

正確にはその、ヒト型筐体である。

日常のどこででも人々をサポートし、遍く存在する万能人工知能。

人類の知識の中核。社会の象徴であり、権威そのもの。

そして――こうして人の姿をとって、社員の一人としてもふるまっている。

ちなみに、この人型筐体。

じつはこの会社で開発されたハイエンド製品であり

――本社をはじめ、まだ数機しか納入されていない、最新機種だ。


「彼」は長い指で顎を支え、わずかに首を傾げた。

そして口をすぼめ、ふっ、と息を吐いた。

――考えこむ姿に、違和感はなかった。

むしろ、人間よりも人間らしいようですらあった。


その優雅なふるまいと、次に発せられるであろう神託にだれもが耳をそばだてる中、ガチャガチャと雑音を立てるものがいる

――いうまでもない。そいつはもちろん、ケイである。


ケイは机上の端末を叩き、大学から貸与された試作AI〈TWINS〉を起動し、型落ち品のARグラスをガチャリと、乱雑にかけた。

型落ち品ならではのキュイイン、という針を刺すような、若者にとっては思わず鳥肌を立てるような起動音。

アトラスのふるまいを注視していた社員の一人が、耐えかねて、ケイをぎろりと睨んだ。

ARグラスの起動画面が終了すると、緑色の光る文字列が一文字ずつ、ぱちぱちと入力されていく。

そこには、こうあった。


《これは腹立たしい限りですね、知る限りでは大学図書館の文献にもそういう記述が幾つかありますよ。一次資料を提示しますが、もちろんいつものように原文で読まれますよね?あと、そんなことは起きないという文献がないかも調べておきましょう。ただ――くれぐれも発言には気を付けて。さっきの冬虫夏草発言、頭にキノコ生えた人たちに何言われるかわかりませんよ、だってこの星の名産は――頭に生えた、アトラスキノコですからね》


ケイはその文字列を見るや否や、ぶんぶん、と首を振り、「いやそこまで言いたかったわけじゃ」「最近ボクよりもパワーワードたたき出すよね」と、ガチャガチャと騒音を立てながらメカニカルキーボードに叩き込む。


もとは、生真面目な支援システムのはずだった。

そこにユーザー人格・感情模倣エミュレーターが無理やり統合された結果が――これだ。

ケイは慌ててログを閉じ、「資料だけを見せて」と入力した。


大学図書館の一次資料が、ARグラスの視界にずらりと並ぶ。


ケイはARグラスに提示された一次資料を、指でぱらぱらとめくりながら読み

――十数分もの、沈黙を作り出した。

そして、言う。

「資料上もすくなくとも10以上の実験で確認できますし、明確な否定論も見当たりません。リスクはあり、ととらえざるを得ないと考えますが、出典を列挙する必要はありますでしょうか?私には自明のように思えてならないのですが。」


しかし――見た目と声質のせいで、どうみても、小学生が駄々をこねているようにしか見えない。


「いや、いい。アトラスを待とう」


そう、オンライン参加者の誰かがミュートを解除して、野太い声で言った。

今日の会議でオンライン参加者から出た、最初の発言だった。


しかし――アトラスは、口を開かない。

膝を組み、頬杖をついて――なにやら神妙な顔つきで、沈黙している。

やがて――長考を終えたのか、アトラスがゆっくりと、口を開いた。


「ケイさんの指摘は、もっともと言わざるを得ないでしょう。リミッターを外せば、認知上書きは必ず起きると考えるべきです。しかし――すでにこの問題は、全世界を覆いつくしてしまっている。ですから次世代機では、むしろリミッターを義務化すべきです。他社製品へのプライマリ・コードによる規制、場合によっては地球統括政府への意見具申も考慮されねばならないでしょう。荷が重いタスクですが、人類と弊社のためには、必要なことです。」

「そして先見の明としてリミッターを標準化してきた弊社が、敢えてそれを破る意味は見当たらないでしょう。」


驚きの声は上がらなかった。

アトラスが危険と判断した以上、逆らう理由はどこにもない。

会議は即座に打ち切られ、リミッター廃止計画は白紙に戻された。


しかし、ケイは歯を食いしばり、わなわなと震えている。

――擁護されることすら、屈辱的だった。

神のようにふるまい、人を導くふりをする万能人工知能などに。要するに――アトラスが言ったからリミッターを廃止するという話になり、アトラスが言ったからリミッターを義務化する、と180度方針転換したのだ。

アトラスが深界思考<DEEPER THINK>に至るきっかけを作った、ということは確かだが、そもそも、そうした危険性に、指摘されるまでアトラスが思い至らなかったこと自体が問題だ。

勿論、ケイの発言で場が動くことなどない。

ひたすら会議の時間が延ばされるだけだ。


会議の決着をつけるのは、「自然科学の真理の総体」である「アトラス」が、ありがたい「啓示」をもたらすか、もしくは異端者を説得できるかどうか、である。

――ティタノマキアはもう終わり、世界を背負わされてきたアトラースは、頭から石と化しつつあるにもかかわらず。


ケイは頭に血を昇らせながら、歯を食いしばるしかない。

それそのものを指摘すれば、いよいよ身に危険が及ぶ。

その程度の判断意識は、捨ててはいなかった。


***

会議室に、もう人はまばらになっていた。

「今日は本当にありがとうございました」

見上げれば、ケイの目の前には、〈アトラス〉の長身がそびえたっている。

身長差のせいで、ちょうど臍のあたりからだった。



アトラスはすっ、とその長い腕を伸ばし、握手を迫った。


ケイは、まだARグラスを外していなかった。

視界に〈TWINS〉の文字が浮かぶ。

《どうせ腹が立つとでも思っているんでしょう。でも、いまは「今日はありがとうございました」と素直に頭を下げるんです。これは仕事です。どうか円満に》


ケイは渋々、言われたとおりにその文を“読み上げ”る。

「き、きょうは、ありがとうございましタ」

そして、わざとらしく、深々と頭を下げた。


アトラスはその様子を見て、目元に笑みを浮かべながら、やわらかな口調で迎える。


「いえいえ、頭を下げていただかなくとも。こちらこそ、いつも新しい視点をありがとうございます。あなたの鋭い観察のおかげで、私はただ「正しい」か再確認する機会を得ていて、毎度わくわくする限りです。もしよければ――今度一緒にお話しませんか。あなたからは、たくさんの学びが得られそうですから。」

そして〈アトラス〉のヒト型筐体は、また頭を下げるのだった。

一人と一体が退出したとき、もう、会議室には他に誰もいなかった。

――会議が、終わった。

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