第5話 チョコレート色の嘘

日曜日の午後。窓の外では春の陽射しがやわらかく揺れているのに、美緒の胸の中にはまだ小さな影が残っていた。


本屋での出来事から数日が経っても、あの瞬間のことが頭から離れない。


遼が嘘をついていたこと。


本人は「格好つけたかった」と軽く言ったが、美緒にとっては簡単に笑い飛ばせるものではなかった。


 けれど、スマートフォンに届く彼からのメッセージを読むと、自然と頬が緩んでしまう。


 「この前の“嘘と恋心”、ちゃんと読んだ?」

 

「まだ途中。ていうか、買わせたのあなたでしょ」

 

「感想文、提出ね」

 

「小学校の先生か」


画面を見つめながら、声を出して笑ってしまう自分がいた。あの本をわざわざ選んで渡してきた遼の顔を思い出すと、嘘つきなのに憎めない、不思議な愛嬌を感じてしまう。


ほんと、ずるいな。この人。嘘つきなのに、なんだか可愛い。


夕方、課題に取りかかろうとしていたとき、不意にインターホンが鳴った。胸がどきりと高鳴る。


玄関を開けると、そこには紙袋を手にした遼が立っていた。

少し誇らしげな笑みを浮かべている。


 「これ、バイト代。初任給の一部ね」


 唐突な言葉に戸惑いながら受け取った袋の中には、小さなリボンがついた板チョコが二枚だけ入っていた。


美緒は思わず吹き出してしまう。


「……これ、百円くらいでしょ?」


「金額じゃなくて、気持ちなんだよ」


遼は真剣な顔で言った。


その不器用でまっすぐな物言いに、美緒はつい肩を震わせて笑ってしまう。


「なにそれ。可愛い」


「か、可愛いって……」


その瞬間、遼の耳がみるみる赤くなっていった。


照れ隠しのように板チョコの包みを開ける仕草までぎこちなくて、美緒はますます笑いが止まらなかった。


 二人は並んで座り、板チョコを半分ずつ割って口に運んだ。


ぱきんと乾いた音がして、甘さが口いっぱいに広がる。


ささやかな味なのに、なぜか心まで温まるようだった。


 「これ、懐かしい味だね」

 

「うん。小学生のとき、遠足のおやつに絶対買ってた」

 

「俺も。で、いつもポケットに入れて溶かしてた」

 

「わかる! 紙の包みがぺたってくっつくやつ!」


そんなくだらないことで笑い合えるのが、どうしようもなく嬉しかった。


時間は緩やかに流れ、サークルでの愚痴や、好きな映画、子どもの頃の夢まで、話題は尽きることがなかった。


嘘をついていた人なのに。


それでも、一緒にいると楽しくて仕方ない。


笑い声が重なるたび、美緒の心はやわらかくほぐれていく。


もしかしたら、この人の嘘も全部ひっくるめて、好きになれるのかもしれない。


そんな甘い考えさえ芽生えてしまう。


けれど、その奥にはまだ拭えない影が潜んでいた。遼の嘘は本当にただの見栄だったのだろうか。


あのささいな矛盾の数々の裏に、もっと大きな秘密が隠れているのではないか。


食べ終えたチョコの包み紙が、テーブルの上に二枚並んで残っていた。


小さな紙切れにすぎないのに、それが今の二人の関係を映し出しているように見えた。


甘さと不安が入り混じった、壊れやすい均衡。


チョコレート色の嘘。


その味は、甘くて苦くて、そして少し切なかった。

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