騙し愛

木咲 美桜花

第1話 出会いと仮面の笑顔

春の風がまだ少し冷たさを残していた4月の夕方。


大学二年生になったばかりの美緒は、新しいサークルの歓迎会に顔を出していた。


桜はすでに散りはじめ、キャンパスの道には薄い花びらがまだらに落ちている。


新しい季節の匂いに胸を弾ませる気持ちと、知らない人たちに囲まれる緊張が入り混じり、美緒は会場の教室に足を踏み入れた。


ざわざわとした談笑の声、机に並べられた紙コップと軽食。


初対面の人たちが互いに自己紹介を交わし、ぎこちない笑い声が弾んでいた。


美緒は椅子に座り、差し出されたお菓子を受け取りながらも、どこか居場所を探すように視線を泳がせていた。


 「初めまして、遼っていいます」


背後から聞こえたその声に振り返った瞬間、美緒の胸は不意に高鳴った。そこに立っていたのは、背が高く、黒髪を整えた青年。


派手さはないが、きちんとアイロンのかかったシャツにジャケットを羽織り、どこか落ち着いた気品を漂わせていた。


目元は涼しげで、柔らかい笑みを浮かべている。


 「君は一年から入ったの?」と遼が問いかける。


 「えっと…二年からです。友達に誘われて」


たわいのないやりとりだったのに、美緒は自分が緊張して声が少し上ずっていることに気づいた。


その後の談笑の流れで、遼はさらりと自分のことを話した。


「親が会社を経営していて」「高校までは海外にいた」「将来は父の会社を継ぐ予定」


それらの言葉は、特別に自慢げでもなく、むしろ自然に口をついて出てくるように思えた。


周囲の学生たちも興味深そうに耳を傾け、場の空気が少しだけ華やいだ。


すごい人なんだ


美緒はそう感じると同時に、心の奥で小さな不安を覚えていた。


彼は完璧すぎる。自分とは違う世界に住んでいる人のように思えた。


けれど、時折こちらに向けられる遼のまなざしは不思議なほど温かく、彼の存在がその場にいるだけで安心感を与えていた。


過去の記憶が頭をよぎる。


高校時代、好きになった相手に裏切られたあの日。


心から信じた人に嘘をつかれ、笑顔の裏で利用されていたと知ったときの胸の痛み。


あの経験が、美緒を「人を信じること」に臆病にさせていた。


だからこそ、今も心のどこかで「また信じたら、傷つくかもしれない」という恐れが消えない。


それでも、遼の穏やかな笑顔に触れていると、その不安はほんの少し薄れていくように感じた。


彼の瞳は真っ直ぐで、嘘なんて似合わない美緒はそう思った。


歓迎会が終わり、夜の風に吹かれながら帰路につく美緒は、胸の奥に芽生えた小さな感情を確かめるように手を当てた。

 

また恋をしてしまうかもしれない。


そんな予感が静かに心を揺らしていた。


だが、そのときの美緒はまだ知らなかった。


遼の語った「輝かしい経歴」が、ひとつ残らず仮面のような嘘であることを。


そして、その偽りの愛が、彼女を何度も傷つけながらも、やがて本物の愛へと導いていくことになることを。

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