第2話「選手交代」


 …パーン…


 遠くに響く微かな銃声が、ユーリの意識を現実へ引き戻した。


「そ、そうだ!まだ心肺停止して間もないなら…!」


 一分一秒が生死を分ける。焦る体を制御し、横になってるナディアの軌道を確保。心臓マッサージに人工呼吸。


 胸骨圧迫を30回、鼻をつまんで人工呼吸を2回……………






 「も、戻らない…戻らない…!」

 


 心肺蘇生を開始して、おそらく4~5分は経過していた。再度、絶望と恐怖に飲み込まれていく。心が冷たいものに侵食されていく。


「イヤだ、イヤだ…」






 視界が滲む。


 鼻が詰まる。


 圧迫のリズムが、崩れはじめる。


 ボロボロと、感情と水分が溢れ出し、嗚咽が交じる。


 ナディアの鼻をつまむ手が震え、うまくいかない。




「だめ…、イヤだ…、もう誰も……」


 ついには感情が溢れ、大声で叫ぼうとした瞬間。


「……ヒュー…ゲホッ、ゴボッ…」


 ナディアの息が戻った。すぐさま拍動を確認…静かに、弱々しく脈打つ。


「ナディア!!」


 そっとナディアの体を横向きに。吐き戻しの誤飲防止。再度、呼吸と拍動を確認。奇跡的に息を吹き返した。しかし、脱水状態が続けば、また心肺は止まる。


 ナディアの口に水を垂らして湿らせる。かすかに口がパクパクと動いた。生きようとしている。まだ、命は、諦めていない!


 誤飲しないよう、指を伝わせて水分をナディアの口へ含ませる。


「…ゴクリ」


 少し喉を鳴らす。


「よし、よし。いいぞナディア。少しづつ、少しづつ…」







 時間をかけて、ゆっくりとナディアに水を飲ませた。心拍・呼吸、正常に戻りつつあった。


「ああ、良かった。でも…」


 強いめまいを感じ横になる。ふと、これで良かったのか考える。あのまま逝ってしまった方が、幸せだったんじゃないだろうか…


 自分も軽い脱水症状に陥っていることに気がつく。ボトルに入った水を見る。残りは半分ほど。飲もうとした手が止まる。ぼくがこれを飲めば、すぐに二人とも水が足りなくなる…


 フラフラと立ち上がり、すぐそこの水たまりへ。ひどく汚れた水。両手で掬って飲んだ。泥水。意外とイケるもんだ。胃から戻る腐敗臭にむせる。


 ユーリは、気を失うように眠りについた。








 ナディアは、眩しい日差しに、目を覚ました。目をこすろうとした手が、どうも痺れてうまく動かない。両手だけでなく、両足も痺れて感覚が鈍い。太陽は真上まで高く登っていた。


 重く鈍い体を、動かす。左を向くと、丸まってうずくまる男性の姿。


「あれ、そうだ。あたしはえっと…。なんだっけ?」


 いまいち何も思い出せない。それでも記憶の片隅で、この男性が必死に自分を助けようとしていたことが、無意識に刻まれていた。


「そうだ、このひとはユーリ。あたしはナディア。えっとそれで…」


「…なんだっけ??」


 何も思い出せないが、一つだけ重要なことを思い出した。


 腹が減って胸のあたりがキューッと縮む。喉もカラカラ。


 眼の前のボトルが視界に入る。ゴクリと一口。舌の根元から、冷たい何かが体に流れ落ちていく。胸のあたりで、冷たさを感じなくなった。半分は残す。ユーリも飲みたいかもしれない。


「ユーリ、ユーリ、おきて」


「…あ、ああ。ナディア。良かった。意識が戻ったんだね」


「あれ、ユーリ?」


 どうも赤い顔をしている。汗もかいている。こんなに赤ら顔だっただろうか?いや、息も苦しそうで、ぐったりしている。


「だ、だいじょうぶ?苦しそう」


 あからさまな笑顔で答えるユーリ。


「あ、ああ。ちょっと食べすぎてお腹が痛いんだ。すぐ元気になるさ。それより…」


 重そうな体を、やっと動かしてトマト缶を取り、封をこじ開ける。カシュッ


「ナディア、これを食べて」


「うん。で、でも…」


 ちらりとこちらを伺う視線。


「言ったろ?ぼくは食べすぎてしまってね」


「そっか。ならよかった。ありがとう」


「あたし、あまりおぼえてないけど、ユーリがお世話してくれてたの、しってるよ」


 振り向くと、ユーリはまた横になっていた。よっぽど食べ過ぎたんだなと思い、トマトをズズッと頬張った。


「おいしい。あれ、あたしトマトきらいだったのに。こんなおいしかったっけ?」


 嫌いなトマトをペロリと平らげると、痺れる手足が少し良くなった気がした。


「トマトってすごいんだね。体にいいっていうもんね。もっと食べておけばよかった」


 遠くに聞こえる銃撃音と爆発音を子守唄に、ナディアはまた眠りについた。









 次にナディアが目を覚ますと、あたりはすっかり暗くなっていた。虫の鳴き声。きれいな星空。手足の痺れは無くなっていた。そこそこ動く。ゆっくりと立ち上がる。強い立ち眩みに襲われるも、すぐに感覚は戻ってきた。


「ユーリ、ユーリ」


 ユーリは向こう向きのまま、返事がない。


「ユーリ、ユーリ」


 肩を揺すってみるが、返事は無い。お腹を抱え、唸っている。


「え!?ユーリ!どうしたの!?」


 返事はない。食べ過ぎではないことは間違いないが、どうすればいいのかわからない。ボトルに残った、わずかな水を飲ませる。うまく飲んでくれた。しかし、これ以上どうすることもできない。


「待ってて!薬を持ってくる!」


 あてもなく歩き出すナディア。右手には空のボトル。武器とするには、なんとも頼りない。


 ナディアは知っている、一人の時は、誰にも見つかってはならない。静かに歩く。音をたてないよう、小さい体を、更に小さくして、闇に紛れる。


「どこかに、お薬とか、お水ないかな・・・」










 しばらく進んでいた。前方にマーケット。


「あ、あそこなら・・・」


 正面から近づいたところで足が止まり、体が固まる…


 暗くて見えなかったが、よく見ると死体がいくつか転がっている。


「お、おばけ…」


 珍しいものでもないが、できれば近寄りたくない。死体を避けるように裏口へ。ちょどいい穴を見つけて入り込んだ。


「うう、中にもおばけいる…」


 中にも、遺体がいくつも転がっていた。窓からの月明りで、なんとか視認することができた。




 「あった。お水と、お薬みたいのもあるけど、どれがいいの?」


 後ろでガチャリと扉が開く音。ナディアは驚いてぴょんと飛び上がり、思わず硬直する。手に持った、薬剤のケースが、足元にポロリと転がった。


「動くな」


 カチリと、撃鉄が上がる音が、静かな室内に響く。

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