包囲都市
@snuffbox
第1話「吹けば消える火」
お母さんは、笑っていた。どこからか。大きな破裂音を爆発音。玄関にいた私は立ち尽くした。時間の流れが、ゆっくりになる。居間にいた父の上半身は、宙を舞っている。壁や家具、天井が崩れていく。悲鳴をあげたお母さん。ゆっくりとこちらに振り返り、驚いたような怖い顔から笑顔に変わる。お母さんは、笑っていた。
「生き…て…」
硬直する私は、母の左手で突き飛ばされた。
崩れゆく世界。私の体は家の扉を突き破り、地面に頭部を打ち付けた。痛みは感じない。体を起こすと、額から流れる血が、私の視界を赤く染め上げた。さっきまで家だったそれ。一瞬でただの瓦礫となった。左腕が、瓦礫から力なく生えていた。
少女は、長い間座り込んでいた。光を失った青い瞳は、微動だにせず、瓦礫から生える細い左腕を、力なく見つめていた。栗色の長い髪から滴る血は、すでに固まりこびりつく。白い頬を黒く染める。石像のように少女は固まっていた。
これは、珍しくもない、よくある風景。
「ああ、そんな…」
道行く青年が一人、少女の近くで立ち止まった。眼の前の光景に、右耳を押さえていた手を下ろす。小柄で筋肉質な青年。年は25。白い肌は、ススと泥で汚れている。青い目が隠れるほどの、ブロンドの癖っ毛。上下、サイズの合わない、ヨレヨレな服。
「そうか。昨日の砲撃…」
しばらく固まっていたぼくは、少女の方へ静かに駆け寄る。魂の抜けた少女。ぼくの胸の奥で、黒く冷たいモヤが急速に広がり、吐き気を覚えた。
そっと少女の肩へ伸ばした手は、力なく震えていた。
「 ねぇきみ、その子をどうするつもり?」
ブラウンの長髪の女性が通りかかる。丸メガネに、薄汚れたエプロン。賢そうな顔立ちに、ぼくより少し高い身長。
「…助けたい」
「そんなこと、できるの?どうやって?」
「… わからない」
「その子の命まで、背負えるっていうの?」
「 …わ、わからない」
しばらくの沈黙。女性は、少し水が入ったボトルをその場に置き、急ぎ、その場を立ち去った。他人を救うほどの余裕は、誰にもなかった。
ぼくは、それを手に取り少女の視界にかざす。 本能のまま動いた少女は、それを飲み干し、目を閉じた。ゆっくりと倒れていく体を、しっかりと支えた。とても小さく、軽い体。
「ごめん。ごめんね。今は、これしか…」
「ごめん…」
どこまで行っても瓦礫と廃墟。気を失った少女を抱えて歩いていた。ここは前線が近い。できれば早く離れたかったが、体力の限界を感じている。
暫く進むと、左手にマーケットの廃墟。ふと、水と食料が頭をよぎったが、敷地内には火が灯る松明。施錠されたフェンス。複数の人の気配を感じ、諦めた。
日が暮れる。ピリッ右耳に痛みが走り。手を当てる。
「イテテ…」
どうも平衡感覚も鈍い。右耳はまだ聴力が戻らず、ひどい耳鳴りに悩まされた。
屋根もないような場所。廃墟の柱にもたれ、滑るように座り込む。抱えていた少女を静かに横へ下ろした。
この子ハ10歳くらいだろうか。あたりを見回し、耳を澄ませる。戦闘はもう終わっている様子だった。
戦闘は基本昼間に行う。人々は夜を待ってから動き出さす。政府軍も反乱軍も、敵か民間人か判断する余裕はない。
(物資を探しに行きたいけど…)
視線を少女に落とす。額の傷の他。体中細かい傷だらけ。戦闘域からそれた砲弾。家は崩れ、この子だけが助かった。
(この子を、ここに置いていくわけにもいかないし…)
少女は突如、大きく息を吸い、左腕手で額の出血部分を押さえる。やはり痛むのだろうか。
「…あ、あれ。ここは?」
少女は薄目を開け力なく言った。
「気がついた!よかった。気分はどう?」
あたりを見回す少女。数テンポ遅れて返す。
「えっと、うん。だいじょーぶ。あなたは誰?」
「よかった。ぼくはユーリ。そ…その… と、とにかく無事で良かった!」
「あたしはナディア。お母さんとお父さんは?」
瓦礫から伸びる。細い腕の映像が浮かび、思わず顔が引きつる。
「えっと、その、あれ?」
いやまて、何かおかしい。何も覚えていないのだろうか。記憶喪失?
「えっと、あのね、ナディアのパパとママはね」
「うん」
しばらくの沈黙。
「こ、この戦場の外、安全なところで待ってるんだよ」
「…そっか。よかった。お母さんとお父さん、安全なところにいるんだ…」
ナディアは、再び目を閉じる。
「ナ…ナディア?」
おそらく、ここ数日の強烈な記憶は、生きるために不要な情報として、脳が隠してしまったんだろう。心が壊れないように。
ユーリは、ナディアが眠ったのを確認し、安堵する。二人の体をボロキレで包みこんだ。明日には、水と食糧をなんとかしないと…
翌朝、遠くに響く、迫撃砲の発射音で目を覚ます。前線は近い。
かすかにぼやける視界で、ナディアへ視線を落とす。
「あ、あれ?ナディア!?ナ、ナディア!大丈夫!?」
顔は青白く、意識は朦朧としている。
「し、しまった!」
飛び起きたユーリ。ナディアの体を確認する。手が、異常に冷たい。舌の乾燥を確認。手の甲の皮膚をつまみ上げる。つまんだ形で戻らない皮膚。
脱水症状だ…
すぐにその場を飛び出す。脱水症状がいかに恐ろしいかはよく知っている。
「川の水を…いや、汚染されている可能性が高い…」
昼間の大胆な行動は命取りだが、夜まで待つ時間は無い。すぐに走り出した。大通りを避け、小道を進んだ。
昨日見かけたマーケットへ。
廃墟を抜け、また別の小道へ。できるだけ音をたてないよう、走る。T字路に差し掛かかると、
「止まれ!」
複数のライフルを構える音。
「しまっ…」
移動中の政府軍小隊。5本のライフルがユーリをとらえる。とっさに両手を高く上げ、膝をついた。
「待て、市民だ。撃つな」
小隊長が腕を横に伸ばす。小隊の後方には、数人の負傷兵。敗走中の小隊。
「ぼ、ぼくは一般人です。撃たないで…」
「同じ手口で仲間がやられたばかりです」
兵士の一人が、ライフルの乾いた音とともに、構えなおす。
数テンポ遅れて小隊長は言う。
「だめだ。発砲音で場所がバレる」
「いいか、ゆっくり後ろへ下がって消えろ。へたに動けば撃つ」
ユーリは両手を上げたままゆっくりと立ち上がり、静かに後ずさり。角を曲がる瞬間に走り出した。
「よく聞け。ここらいったいは明日、激戦区となる。逃げろ」
振り返らずに走る。今は、明日の戦場よりナディアのことが心配だった。
マーケットにはやはり、10人前後の民間人によって占拠されていた。流石に正面突破は無謀過ぎる。かといって物々交換できるような物もない。何より時間がない。
こっそりと裏手に回り込み、崩落した壁の穴から、中へ体を滑り込ませる。なんとか柱に捕まり、体を引っ張り入れた。
小柄で良かった。ただ、帰りもおなじルートは通れないだろう。
二人の見張りをやり過ごし、奥へ。まさか白昼堂々、泥棒が来てるとは思わないらしい。
監視をかいくぐり、水を探す。ようやく、水のボトルを発見。一本を手に取る。
「あったあった。まったく。昼間の探索は危険過ぎる…」
「全くだ。昼間っからネズミ処理とはついてねーな」
すぐ後ろから、強気な声。ドキリを心臓が脈打った。水に夢中になりすぎて、背後に忍び寄られているのに気が付かなかった。
「くっ…」
後頭部にゴリッと何か硬い感触。ボトルを持ったまま、ゆっくりと両手を上げた。
「な、仲間が、脱水症状で危ないんだ。見、見逃して…」
「だめだ。命だけは助けてやる。持ち物を全て置いていけ」
「何も持ってない…」
その男は、空いた左手で、ユーリの体をまさぐった。本当に何も持っていないことを確認。
「だけど、君と仲間たちを救う情報を持ってる」
「それは、水より重要な情報なんだろうな?」
「ここにいる全員の、命に関わる情報。このボトルと交換でどうだい?」
返事はない。顔は見えないが、男の迷いを感じ、追い打ちをかける。
「君は、ここの仲間全員を救うことができる」
しばしの沈黙。男は何か考えているようだ。
「…あーわかったよ!くそ!」
3歩下がり、男は銃を下ろした。
「あ、ありがとう」
ゆっくりと手を下ろしながら、振り向く。ユーリより、ひとまわり大きな体。ブラウンの短髪に瞳。いくつか年上だろうか。左手は、あごひげを撫でている。
「で?俺らを救う情報ってなんだ?クソだと判断したら撃ち殺す」
肘を曲げた右手には、斜め上に銃口が向いたハンドガン。
「明日、ここは激戦区になる。今日中に逃げるんだ」
髭を撫でる手がピタリと止まり、眉をしかめる男。
「なに!?いやまて… 、そうか…」
眉をしかめたまま、男の視線は天井を泳ぐ。
「前線が、大きく下がる、か…?。政府軍の敗走兵…」
ユーリは、この男は頭が良いと、そう感じた。
「たしかに、信憑性は高い。さっき絡まれてた小隊から聞いたのか?見ていたんだ」
「そうだよ。間違いない。この地域に限っては、反乱軍が優勢なんだ」
表情が少し緩んだ男は、棚のトマト缶を指さして言った。
「よし、それも持ってけ。それと、そこの窓から出るんだ」
「あ、ありがとう!ぼくはユーリ!」
トマト缶を即座に手に取り、窓を開ける。
「俺はミランだ。生きていればまた会おう」
聞き終わる前に、窓から飛び出し走っていた。
「ナディア!ナディア!」
息を切らし、肩を上下に揺らしながら、静かに駆け寄る
「…あれ、ナディア?」
反応がまったくない。手を、鼻と口元にかざす。
息をしてない…
左耳をナディアの胸に押し当てる。
(う、動いてない…)
取り乱し、慌てて水をナディアの口元に押し当てる。飲めるわけもなく、流れ落ちる水。
「う、うそだ…!。そんなことって…!」
絶望感とともに、強烈に冷たく、黒いモヤが、 心の奥底からこみ上げる。動揺と恐怖に、心が支配されていく。
息が荒くなる。周囲の音が遠くなり、視界が徐々に遠ざかっていく…
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