第9話 夏休み、本格スタート

1. □ 夏の朝、蝉の鳴き声が「ミーンミーン」と耳を埋め尽くしていた。空気は湿気を帯びて肌にまとわりつき、机の上には山のように積まれた宿題。タブレットの画面だけが青白く光り、現実から逃げ場を作ってくれている気がした。

2. □ 蓮はノートを開いて鉛筆を握るが、指が「プルプル」と震えて文字は定まらない。声も出ない。紙に書くことすら困難で、結局タブレットに頼るしかなかった。

3. 《きょう いっしょに べんきょう》

 明日香から届いたメッセージが画面に浮かんだ瞬間、胸の奥が「ドクン」と大きく跳ねた。単なる誘いなのに、心臓の熱が全身を包み込んでいく。

4. □ 思わず返事を打つ。だが焦って指が滑り、《いしょに》と打ち間違える。誤字の小さな表示が、心に針のように刺さった。

5. 《いっしょに!》

 慌てて打ち直す。送信してから顔が真っ赤になる。たった一言でも伝えるのにこんなに必死になる自分が情けなくて、同時に愛おしかった。

6. □ カバンに教材を詰め込もうとすると、鉛筆が手から転がり落ち「カラカラ」と床を打つ。拾おうと伸ばした指先は震えて空を切り、結局また落とすだけ。ため息が漏れる。

7. 「行ってらっしゃい」

 親の声が廊下から届く。けれど蓮の喉は「ヒュッ」と音を漏らすだけで、言葉にはならない。

8. 《いってきます》

 タブレットに打ち込んで差し出す。親は短く「分かった」で終わった。温度差が胸に「チクリ」と残る。

9. □ その瞬間、心の奥で「本当は分かってほしい」という叫びが渦巻いた。けれど伝える術はなく、足を前に出すしかなかった。

10. □ 外に出ると太陽が容赦なく照りつけ、アスファルトから熱が立ち上る。汗が首筋を「ツー」と流れ、制服が肌に張り付いた。

11. □ 明日香の家に着くと玄関が開き、「おーい!」と元気な声。Tシャツ姿の明日香が立っていて、自然体の笑顔が胸を「ドクン」と叩いた。

12. 「暑かったでしょ、早く入って!冷房きいてるよ」

 彼女に促され、蓮はぎこちなく靴を脱いで家に上がった。

13. □ 部屋の中は冷房の音「ブーン」とアイスの甘い匂い。机には教科書とノートが広がり、扇風機が「カタカタ」と回っていた。

14. 「さ、勉強しよ!」

 明日香が笑顔で鉛筆を握り、勢いよく問題集を開いた。

15. 《わからない》

 と打とうとしたが、誤って《わらない》になってしまう。画面に映る誤字が胸を刺した。

16. 「笑わないよ!」

 明日香がツッコミを入れ、思わず二人で吹き出した。笑い声が冷たい空気を温めていく。

17. □ 蓮の顔は赤く染まり、心臓は「ドクンドクン」と乱れ打つ。隣の肩が近すぎて、息すら落ち着かなかった。

18. 「ここはね、こうやって解くんだよ」

 明日香が鉛筆を走らせ、ノートに答えを書き込む。その滑らかな筆跡が羨ましくて、同時に美しく見えた。

19. 《きれい》

 と打つつもりが《きれぎ》になった。誤字の二文字が画面に浮かび、胸が冷たく沈む。

20. 「きれぎ!?何それ!」

 明日香が笑い転げ、肩を揺らした。蓮は顔を真っ赤にし、必死に画面を伏せた。

21. 《きれい》

 改めて打ち直す。

22. 「……ありがと」

 明日香の笑顔は少し照れていて、その表情が胸を「ジン」と熱くした。

23. □ 勉強は進んでいるようで進まない。だが笑い声が絶えず、時計の針が進むのが早く感じられた。

24. 《また いっしょに》

 勇気を込めて打ち込む。

25. 「もちろん」

 明日香が頷く。その一言が夏休みの始まりを特別に変えていった。



26. □ 数日後、神社の参道は人で溢れていた。浴衣姿の人々が歩き、屋台から「ジュウジュウ」と焼ける匂いが漂う。夜の空気は熱と人の声で膨らんでいた。

27. 「水城くん!」

 浴衣姿の明日香が駆け寄り、手を振る。髪を結い上げた姿が新鮮で、心臓が「ドクン」と跳ねた。

28. 《きれい》

 と打つつもりが《きれぎ》になった。

29. 「またそれ!きれぎって何!」

 明日香が笑い転げ、周囲の人までつられて笑う。胸の奥が恥ずかしさで「ズキリ」と痛んだ。

30. 《ほんとに きれい》

 改めて出す。

31. 「……ありがと」

 明日香の頬が赤く染まり、浴衣の柄が夜に溶けて眩しく見えた。

32. □ 花火が「ドーン」と夜空に咲く。赤や青が広がり、轟音が胸を震わせた。

33. 《すき》

 打ち込むが、画面を閉じてポケットにしまった。出せない言葉が胸を締め付けた。

34. 「きれいだね」

 明日香が呟く。花火よりもその声が心に深く響いた。

35. □ 周囲の歓声が「ワァッ」と重なり、世界が賑わう中で二人の間は静かだった。

36. 《となりに いれて よかった》

 ようやく出す。

37. 「私もだよ」

 明日香が微笑んだ。その短い答えが、花火の轟音を超えて胸に届いた。

38. □ 花火の光が照らす横顔が笑っていて、胸の奥が「ギュッ」と切なくなった。

39. 《ほんとは てを つなぎたい》

 打って、指先が止まる。消去ボタンを押した。

40. □ 夜風が「スーッ」と吹き、浴衣の袖を揺らした。手は震えたまま。

41. 「水城くん?」

 明日香が覗き込む。

42. 《なんでもない》

 画面に出した嘘。

43. 「そっか」

 明日香の笑顔は柔らかかった。その優しさが胸をさらに締め付けた。

44. □ 花火が「パラパラ」と散り、夜空に煙が漂う。

45. 《また いっしょに》

 勇気を込めて出す。

46. 「うん、絶対」

 即答。胸の奥が「ドクンドクン」と熱を打った。

47. □ 屋台の明かりが並び、浴衣姿の人々が行き交う。笑い声が夜に溶けた。

48. □ 街灯の下で二人の影が一つに重なった。

49. 《きょう ありがとう》

 打つ。

50. 「こちらこそ」

 明日香の声が夜風に溶け、胸に刻まれた。



51. □ 家に帰ると靴が「キュッ」と濡れた音を立てた。祭りの匂いと汗がまだ体にまとわりついていた。

52. 「楽しかった?」

 親の声に、蓮はタブレットを開く。

53. 《たのしかった でも つかれた》

 出す。

54. 「そうか」

 短い返事。分かっていないのに「分かった」で終わる。胸に「チクリ」と残った。

55. □ 部屋に入ると花火の余韻がまだ耳に響いていた。

56. 《ほんとは すきって いいたかった》

 画面に残す。

57. □ ベッドに横たわり、窓から夜風が「スーッ」と流れ込む。

58. 《でも まだ こわい》

 本音を打つ。

59. □ 心臓が「ドクンドクン」と暴れた。

60. 《また あした》

 保存する。小さな呪文のように。

61. □ 翌朝、蝉の声が「ジジジ」と激しく鳴く。

62. □ 宿題を開くが、明日香の笑顔が頭から離れなかった。

63. 《また いっしょに べんきょう》

 打ち込んで送る。

64. 「いいよ!」

 すぐ返ってくる。胸が「ドクン」と跳ねた。

65. □ 夏休みがまた動き出した。

66. □ 図書館。冷房の音「ブーン」、窓の外は蝉の声。机の上にはかき氷の容器が水滴を垂らしていた。

67. 《むずかしい》

 打つが、誤って《むずがしい》に。

68. 「むずがしいって何」

 明日香が笑う。

69. 《ごめん》

 訂正。

70. 「いいの、水城くんらしい」

 明日香が笑った。胸が熱を持った。

71. □ 勉強は進んだり進まなかったり。けれど隣に座るだけで特別だった。

72. 《なつやすみ すき》

 打ち込む。

73. 「私も」

 明日香の小さな声。

74. □ 外で夕立が「ザーッ」と降り、雷が「ゴロゴロ」と響いた。

75. 《かえれない》

 打つ。

76. 「じゃあ、もう少し一緒だね」

 明日香が微笑んだ。胸に熱が広がった。

77. □ 雷鳴と笑い声が重なり、夏の記憶に刻まれた。

78. □ 帰る頃には雨が止み、濡れたアスファルトが「キラキラ」と光っていた。

79. 《きょうも ありがとう》

 保存する。

80. □ ベッドに横になり、目を閉じる。

81. 《すき》

 また打ち込む。送らずに保存。

82. □ 扇風機の音「ブーン」が夜を回していた。

83. □ 夏の匂いと祭りの残り香が記憶に混じる。

84. 《となりに いたい》

 打つ。

85. □ 指先が震えて文字が滲んだ。

86. 《でも できない》

 現実を打ち込む。

87. 《でも きみとなら》

 続ける。その言葉に小さな光が宿った。

88. □ 眠りに落ちる直前、心臓が「ドクン」と強く鳴る。

89. □ 明日香の笑顔が夢の中に浮かんだ。

90. 《また あした》

 保存する。

91. □ 蝉の声が夜明けに変わる。

92. □ 花火も勉強も誤字も、全部が恋の欠片になっていた。

93. 《すき》

 心に刻まれた言葉。

94. □ 夏休みは続く。

95. □ 未完成の恋模様は熱を抱えて進んでいく。

96. □ 笑いと涙、誤解と救い。全部が青春だった。

97. □ すれ違いながらも確かに近づいていた。

98. □ 恋は未完成。だからこそ美しい。

99. □ 明日もまた新しい夏のページが開かれる。

100. □ 隣の笑顔を描けることを願いながら、蓮は静かに目を閉じた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る