記憶の運び屋
紡月 巳希
第ニ十章
最終話 記憶の運び屋
カイトの体が光の粒子となり、静かに、そして美しく崩れ落ちていく。
「…さよなら、アオイ。君の人生は…君自身の物語だ」
その言葉を最後に、彼は霧のように空間に溶け、そして完全に消え去った。
アオイは、その場に立ち尽くしていた。目の前には、何も残っていなかった。カイトの温もりも、彼の穏やかな声も、そして喫茶店「メメント・モリ」も。全てが、最初から存在しなかったかのように、虚無へと還っていった。
自分が立っているこの場所は、本当に現実なのだろうか。それとも、まだ誰かの、夢の続きを見ているのだろうか。アオイの体はふわふわと宙に浮いているようで、足元から崩れ落ちそうになる。
その時、足の先に何かが触れた。それは、あのノートから落ちた古びた写真だった。
アオイは震える手でそれを拾い上げる。
写真の中には、若き日のカイトと、母親である菫が、幸せそうに笑い合っていた。二人の笑顔は、無数の記憶の残滓が飛び交うこの空間の中で、鮮やかな色彩を放っていた。
「お母さん…カイト……お父さん!!」
アオイの瞳から、大粒の涙が溢れ出した。それは、失った二人への悲しみだけでなく、確かに存在した愛と、受け継いだ命への感謝の涙だった。
彼女は写真を胸に抱きしめ、声を上げて泣いた。慟哭は、虚無に包まれた世界に、唯一の温かい感情を響かせた。
泣き止んだ後、アオイはゆっくりと立ち上がった。
彼女の記憶のノイズは、もうどこにもない。彼女は今、自分自身の記憶だけで満たされた、新しい自分として立っていた。
目の前には、光の粒子となったカイトとメメント・モリが、輝く道を創り出している。
アオイは、その道を力強く踏み出した。
彼女は、もう一人ではない。心の中に、大切な二人との記憶を抱きしめ、彼女自身の人生を歩み始める。
アオイは、この世界の、そして自分自身の「記憶の運び屋」として、生きていくのだ。
(完)
記憶の運び屋 紡月 巳希 @miki_novel
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