そして、彼女は部屋から居なくなった

安芸哲人

そして、彼女は部屋から居なくなった

 どうやら今朝は、彼女は帰って来なかったようだ。


 久しぶりに安眠を妨げられなかった僕は、スッキリとした目覚めを迎えていた。


 彼女とは、同棲してもう2年になる。会社勤めをしている彼女は、毎朝バタバタと慌ただしく支度をし、遅刻ギリギリの時間に家を飛び出るのが日課だった。そして、ほぼ毎日、お決まりのように、何かを忘れたとかでガチャガチャと家の鍵を開け、戻ってくるのだった。


 僕の安眠はその度に妨げられ、同棲したばかりの頃は、彼女と口論になる事もしばしばだったが、一向に改善する気配もなく僕はいつしか諦めていた。


 そんな彼女が今朝は帰ってきていないようだ。朝の支度もずいぶん静かだったように思う。


 ーーそして、彼女はそれきり2度と帰って来なかった。


 思い当たる節は無くはない。最近彼女の帰りが遅くなる事が増えていたし、たまに2人の休日が一緒になってもどこに出かけるでも無く家でダラダラしている。同棲したばかりの頃の高揚感は既に去り、二人の生活は退屈な日常の風景と化していた。


「しかし、困ったな……」


 彼女の荷物や日用品はそのまま残されていたのだ。これから一人で暮らすには不必要な品ばかり。そもそも僕の物に比べて彼女の物は多すぎるのだ。


 カバンが5個も6個も必要なのだろうか。ぱんぱんに膨らんだカバンを眺める。これも僕と彼女の喧嘩のネタの一つだった。


 仕方無く、僕は彼女の残していった物を片付ける事にした。歯ブラシ、シャンプー、化粧品などの日用品の数々を、一つ一つ丁寧に処分していく。その度に彼女がこの部屋で暮らしていた痕跡が無くなっていくようで、僕は少し寂しくなったが、さりとて使う主の無くなった物を残しておいてもしょうがないだろう。


 2年間一緒に暮らしたマンションには至るところに彼女の痕跡があった。床に落ちている長い髪の毛、彼女が味噌汁をひっくり返した時にできた台所のシミ。風呂場に微かに漂う僕のとは違うシャンプーの香り。


 懐かしさと、寂しさがないまぜになった気持ちを抱えながら、部屋の隅々まで浸透している彼女の痕跡を全て消していく。


 二人で肩を並べて座りNetflixを見ていたソファの下から、指輪が出てきた。僕がクリスマスに彼女にプレゼントした奴だ。洗い物をするのに外した拍子に無くしたと大騒ぎしていた奴だが、こんな近くに転がっているとは。


 その指輪は僕に後悔の念を抱かせた。何故こんな事になってしまったんだろう。僕がもう少し寛容だったら良かったんだろうか……


 後悔した所で結果は変わらないのだが、2年一緒に暮らした彼女が急に居なくなったのだ、多少の後悔ぐらいは許されるだろう。


 結局、彼女の荷物や日用品を全て整理するのには1ヶ月ほどかかってしまった。最後の荷物を整理し終えた頃には夜が明けていた。部屋には僕の荷物しかなくなり、がらんとしている。こんなに広かっただろうか。


 ドンドンドン、とドアを乱暴に叩く音で僕は我に帰った。


 こんな朝早くに誰だろう。ドアを叩く音は鳴り止まず、僕は仕方無くその主に声をかけた。


「どちら様ですか?」


「えー、こちら練馬署の者ですが、高木由奈さんの件でお話を伺え無いでしょうか」


 高木由奈、同棲していた彼女の名前だ。


 

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

そして、彼女は部屋から居なくなった 安芸哲人 @akitetsuto

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ