月を見よう【1分で読める創作小説2025 参加用】

駒野沙月

月を見よう

「月を見に行こう!」


 仕事から帰ってきた俺を、彼女はそう言って迎えた。

 ちなみに、第一声がこれである。「おかえり」どころか、俺に「ただいま」すら言わせてくれなかったわけだ。この時点で、もう俺は彼女のペースに飲まれてしまっていると言える。


 ところで、今は9月上旬。中秋の名月にはまだ早いし、ストロベリームーンとか月食とか、特別な月が今日見られるというニュースを聞いた覚えはない。


 要は普通の平日だ。……なぜ、今日この日にわざわざ月見を?


 呆気に取られているうちに、俺は強引に外へと連れ出された。

 つい数分前まで外にいたわけだから、連れ戻された、とも言うが。


 9月上旬ともなれば、昼間はまだまだ夏の陽気が残っているが、夜になれば流石に少し涼しい。今夜もそうだ。

 はじめから外出するつもりだったくせになぜか薄着だった彼女に上着をかけてやりながら、二人で一緒に空を見上げる。


 今夜の空に浮かぶのは、控えめな光を放つ月だった。その形は丸にかなり近いものの流石に満月ではないし、表面は少しだけではあれど雲に覆われていた。


「ありゃ、雲が出てきちゃったねぇ」


 同じものを見て、彼女は少しだけ残念そうに呟いた。

 彼女曰く、俺が帰ってくる数十分前くらいに部屋の窓から見えた月は、ここ数週間で一番綺麗で、かつ雲ひとつない、「絶好のお月見日和」だったのだという。


 ──だから理玖くんの帰りを待って、一緒に外に出て見たかったの。ほら、綺麗なものは共有したいじゃない?


 今夜、彼女が唐突かつ強引に俺を連れ出したのは、そういう理由だったそうだ。


「中秋の名月も一緒に見に来ようね。今年はちょうど理玖くんのお誕生日だし」


 今も月には雲がかかっているにも関わらず、彼女は月から目を離さない。

 離さないまま、彼女は普段と変わらない調子でそう言った。


 風情だとか風流とかいうものは正直よく分からないけれど、彼女と月を見るのは嫌いではなかった。せめて言うならもう少し事前に予定を立ててくれると助かる、というくらいか。

 俺の誕生日だから、というのがオマケみたいになっているのは正直ちょっと気に入らないけれど、こうなると彼女との月見を断る理由は俺には無い。


「……残業じゃなければな」

「やった、約束ね」

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月を見よう【1分で読める創作小説2025 参加用】 駒野沙月 @Satsuki_Komano

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