トッピングラブ

家湯

即席彼氏

 暗くて軽くて感触のない、とても柔らかな泥の中から顔を出すと、そこには夜であるのに、夕暮れの太陽のような光をたくさん携えた屋台が見えるようだった。私の足は、頭と耳の外側から聞こえてくる薄い膜に包まれたような祭りの雑踏とまるで熱に浮かされた空気を閉じ込めたその空間に惹かれ、意識せずとも動いているようだった。不思議なことに、周囲で音声がなっていることは理解できるが、その風景の中の人間が発する言葉が何の意味を持ち伝えてるのかは、聞き覚えがある言語でも情報として認識できないかのように一つもわからなかった。

 足音もなくスムーズに人混みを歩いていると気づけば私は数ある屋台のうちの一つの前に立っていて、何かを購入しているところだった。のっぺりとした半透明で黒い背景に浮かぶ、鉢巻きをした二十代後半くらいの地元のお兄さんが私に丸い揚げドーナツのいくつか入ったカップをはいどうぞと渡してくれた☕︎そのお兄さんがすぐ、お次のかた〜というものだからつい横に押し出されるようにそれてしまったが、私はもうお題を払ったのだろうか。払った記憶が一切ないのだから払っていないのだろうけど。そんなことを心配しながら一瞬あたふたしていると、さっきのお兄さんが私に目もくれないで、

「そこのやつ自由にかけて食べてくださいね」

と適当な指示をくれると、屋台の端の焦茶色の安っぽい木目がプリントされた長机の上にいくつかの調味料が見て取れた。赤や黄色や青や紫といった鮮やかな色の蓋の先端の尖った容器にそれぞれ液体や細かいものが入っていて、それをかけるのが普通らしい。

あとがつかえている気がしてあまり選んでいる余裕もなかったため、貼ってあるラベルもあまり見ずに適当に紫色の容器のトッピングをかけた。

「あっ」

と声が漏れた時には逆さになった容器の蓋がそのまま取れて中身の少し粘性のある紫色のシロップが、右手に持つコップを溢れてドロドロとたれており、揚げドーナツはその液体に浸されていた。慌てて店員のお兄さんを見てもただ接客の最中でこちらを見てくれることもないし、私の次で順番を待っていた人もただ真顔でこちらを見るだけで、動悸が早まり身体中に滲む冷や汗に溺れそうになり、曖昧には涙も出したくなりそうになったところでちょうど目が覚めた。

 目が覚めてから思い出したが、あの紫色のトッピングのラベルには『依存』と書かれていたことがふと頭に浮かんだ。他には赤は『血みどろ』黄色は『無関心』青は『拒絶』など描いてあった気がする。どれも物騒だった。

 目が覚めたのは9時前だった。今日も学校があるので私はベッドの横の小さいテーブルに置かれたメガネをかけて、そして適当な着替えて、牛乳をいっぱい飲んで大学へ出かけた。大学に行くとめっちゃ可愛い男子がいた。講義棟の裏のベンチに座って気だるそうにだらっと空を見上げていて、可愛いというかクールででも可愛くて、切れ長の目で目にかかるかかからないかくらいの前髪の少し不揃いな黒髪でおとなしそうだけどそれだけではないといった感じだった。私はなんだかとてつもなく愛おしく感じてしまって、いつもならこんなことはしないのだけど、

「何してるんですか?」

っとあくまでただ暇人が気になって質問しただけの体で話しかけた。

「...」

そして無視された。

「あ...」

「...何もしてない」

無愛想で相変わらず気だるげだったがどこかつか元気なさげな声色だった。声もかっこよかった。程よい低音で程よい少しの甘さを含んだ、裏のなさそうな、価値に満ち溢れた声(個人の感想)。

「あ...そうですよね...すみません」

なんで私はいつもこうなんだろう。なんか衝動的なものに駆られてつい気づけば声をかけてしまっていたが、また私はいつもの私にすぐ帰結してしまうようだった。

「...それでは」

何がそれではなのかよくわからなかったが、私にはどうしようもなかったので、そそくさと背を向け帰ろうおもっった。

「まって」

なんか呼ばれた気がした。ちょっと足を止めて振り返ってみると目が合った。かっこよかった。なんか引き込まれるというか、液体のような宝石を脳みそに注がれるようだった。これはいわゆる一目惚れかもなあと考えていた。なんか幸せが分泌している気がする。

「あのさ、なんか用事?」

宝石の液に浸っていると、ほんの少しの面倒と落胆と無関心が浮かぶ声色でそんな言葉が投げかけられた。どうしようかな、自分でも話しかけた理由が断定できていない。先ほど推測はしたのだけども、初対面の人相手に説明できそうにもなかった。

「あ、ただ声かけてみただけです、暇だったので」

最初想定した暇人設定を使うことにした、このあと2限の講義もあったんだっけな。

「あっそ」

あっさり会話を切られた。まあ別に聞き返してくれただけ優しい気もするしいい人かもしれなかった。そんなことを考えるとなんかもっと可愛く思えてきて、もっと話してみたくなったので私は会話を無理にでも続けてみる。

「あの、そっちは暇...とかですか?」

なんだか普段はこんなことしないのに不思議と気分が高揚して話していても苦じゃなくて、少し嬉しく感じる私がいた。

「そう見えるんだ」

短い応答があった。

「いや、元気はないかなとか」

「そう見えるんだ」

「うん」

会話が成立するか怪しかったが、一応大丈夫そうで安心した。

「そうだよ、元気ない」

可愛い。素直で。

「なんで?」

「振られたから、一方的に」

そっかそういうこともあるのかと思った。もうそろそろ講義が始まる時間だったがなんだかどうでもよかった。

「」

「まあ俺が悪いからなんだけど」

萎れているようなそぶりはないけどそういうこと初対面で言えるのすごいなと思った。

「モテそう」

と思ったのが声に出てしまい、しまったと思ったが意外となんてことなく、モテるよとあっさり返された。

「いつも振られるのはこっちだけど」

とそのことに慣れきっているような感じで言った。なんでこんなに格好いいし可愛いのにみんな手放すんだろう。

「原因はなんなの?こんなにかゎi...」

「何?」

可愛いとまで言いかけて黙った。変に思われただろうか。

「名前は?」

「鈴田ですけど」

「鈴田さんも俺のこと好きなの?」

一瞬何を言われたか理解できなかった。少しの後理解し恥ずかしくなりような気がしたあと、しかしこういうことは彼にとってよくあることなのだろうと考えてあまり気にしないことにした。

「実のところかなり好みというかまあ好きです」

彼は一瞬黙った。流石にやってしまったかと思ったが、彼はこともなげにこう言ってのけた。

「じゃあ付き合ってみる?」

あっ、とこの人が振られる原因がわかった気がした。好きでもない人と簡単に付き合ってしまうんだ。しかしこれはいわゆるチャンスであり、今まで数多の彼女に捨てられたこの可愛くてかっこいい男子を手に入れられる最初で最後かもしれないと思うと、この機会を逃すわけにもいかないきがして彼の気が変わる前に急いで、

「お願いします」

得意気味に答えた。

私を一瞥したあと、慣れた覚めきった目でじゃあよろしくと言った。

彼はあとでこういうのがだめなんだろうなって自分で言っていた。少し遅かったら本当に冗談にされて終わっていたかもしれないと思うと、ちょっとひやっとした。

こうして私はこの男子を手に入れた。

 さてどうするかと講義棟裏のベンチに座る彼の前に立ったままぼんやり考えていても、これまでこういう男子に対して恋する経験はあっても、それは実ることはなかったためどうすれば良いのか全くわからなかった。わからないわからないと考えているともっと初歩的なわからないがあったことに思い当たった。

「名前は何?」

彼氏に名前を尋ねると、何も考えていないような目で私を見て答えた。

「三浦亜蘭」

かっこいくて可愛い名前だった。

「そっちは?」

鈴田牡丹と本名を名乗った。さっき聞かれたけどもう一度今度はフルネームで答えた。

「わかった。牡丹って呼ぶわ」

どうしよう...。何か体の内側から脳みそに向かって湧き上がってくるのを感じた。これが人を好きってことなのかと今までの雪辱がどうでもよく、いや彼、亜蘭のためにあったのだとしみじみ確信できた。

「あと、俺住む場所ないから今日から牡丹の家泊めて」

と唐突で非常識で不躾で先行きが不安なことを言われても、私はむしろ嬉しく感じた。普通はありそうな面倒な過程を全部飛ばして、1日の間に好きな人ができてその人の彼女になれて同棲ができるなんて人生でこんな最高ことはないと涙が出てもおかしくなかった。

 これから亜蘭はずっとそっけないままなのかもしれなかった。だけど、私が亜蘭を好きでいる限り、隣にいてくれるのなら、両思いよりずっといいと思った。それは好きになって冷められて振られるというような無駄で不要な盛り上がりで、どちらかの好きが終わったら終わりの、不安定で不安な関係に見えた。私は亜蘭のためになんでもして、亜蘭はずっと誰のことも好きにならなければずっと幸せでいられていいのにと思った。もう亜蘭が私の部屋に一生いてくれればそれでいいなと思った。

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