忌誘

第1話





私の友人が高校生の頃に体験した話だそうです。



その彼とは中学からの仲で、

お互い社会人になって仕事を始めてからも、

たまに飲みに行くほど関係の深い友人です。


これは彼がその飲みの席で教えてくれた話なのですが。









神奈川県某所のとある団地での話です。





私たちが通っていた学校は中高一貫校で、

中学で知り合った彼とは高校に行っても通うところが変わるわけでもなく、

高校生になっても共に登下校していました。



私たちの学校は神奈川県といっても郊外の方で、

山を切り拓いて作った住宅街の中に位置していました。



電車通学だったのですが、

駅に着いてからもバスで20分乗り継いだ場所にあるような学校で。


電車で何駅か過ぎれば東京に入るので帰りはよくそこで遊んだものですが、

私たちの学校があった最寄り駅は、

およそ都会と呼べるような場所ではありませんでした。





ある秋の学校帰り、夕方17時ごろ。

その日は秋の文化祭に向けて少しずつクラス内で担当する係を決めていく時期で、

本格的な企画出しや店づくりに取り掛かる前の準備期間のようなタイミングだったと言います。

自分のクラスだけでなく、

学校全体の運営にも関わっていた彼は

本来であればその日も少し遅くまで残って、

学年の文化祭実行委員との会議が入っていたはずでした。


しかしその日はなんらかの理由で会議がなくなり、急遽帰らされることになったそうです。


学校から駅までのバスももうピーク帯を過ぎていたため、発着時刻もまばらで頃合いのバスが次に来るのは30分後、みたいな微妙な時間帯でした。



そこで、あまりない機会だと思った彼は

いつもバスで通るのとは別の道を使って

学校から駅まで、散歩がてら歩いて向かうことにしたそうです。



ただ、数十分歩いた時点でなんとなく気付いたそうですが、

結局のところ、なにか特別新たな発見があったというわけではありませんでした。


ただただ閑静な住宅街が広がっているのみで

知らない場所に公園があったりだとか

見たことない個人経営の定食屋を見つけたりと、

その程度の発見はあったものの、

期待していたような新鮮な驚きはあまりなかったようです。




まぁこんなもんか、と歩きながら思っていると


少し開けた場所に団地があるのを発見しました。




学校周辺にこんな団地があるなんて知らなかったため少し驚いたそうですが、

これといって特色もない、5階建ての棟が連なって並んでいるだけの

ごく普通の団地だったそうです。


調べてみると、かなり古い時期に建てられたものらしく

今はリノベーションされていて清潔感のある白壁の棟が並んではいるものの、お世辞にも活気があるとは言えない雰囲気だったみたいです。



夕方の団地というのは

街灯もまばらな上、所々薄暗くて翳った場所が多く、これだけ人が密集しているはずなのに人気が感じられないので、

どこか薄気味悪い印象を受けるというのは、

正直私もわかる気がします。




団地内を突っ切ると近道ができるため、

とりあえず団地内をそそくさと通り抜けようとした時



横の3号棟の共用階段部分に人影が見えたのだそうです。



人がいるのは当然のことで

それ自体は何もおかしなことではないのですが。



その人というのが、

2階あたりの共用階段の踊り場からこちらを向いたまま、

まったく微動だにしていなかったそうなのです。



しかも外に面していない、奥の踊り場から。



団地の共用階段を想像していただいたらわかると思うのですが、

団地の階段というのは構造上、

外に面している踊り場には光が差し込む一方、

奥の踊り場の方は明かりがついてないと真っ暗なのです。

まして夕方という微妙な時間帯、

まだ夜じゃないからという理由で共用部分の電灯がつかない団地も多々あります。



階段奥の踊り場、それもかなりの暗闇の中に

人が立っている。



顔の部分は暗くて判然としません。

しかし胸のあたりまで髪が垂れていることから、おそらくは女性が。



真っ白な服を着た女性が何をするでもなく、

気をつけの姿勢で暗闇に立ち尽くしていました。



何をしているんだろう。

なぜ動かないんだろう。



なんとなくこのあたりから、

少し異様な状況であることは察していたそうなのですが。




そこでふと思ったそうです。


その時彼は、2階の階段をやや下から見上げていたので気付きませんでしたが。





いくら暗闇とはいえ、顔の輪郭すら捉えられないなんておかしい。



そこで一つの、想像したくない仮定が浮上しました。




階段の踊り場に立っても首から上が見えないのは

頭が天井に着くほど高い位置にあって、

3階へと続く階段の裏に頭部が隠れてしまっているからではないだろうか。



そんなことはあり得ませんが。


いえ、あってはいけないことなのですが。


もしそうだとしたら。



女の身長が有に3m以上あることを意味します。






それに気付いた途端、

今まで味わったことのない悪寒が体を走ったそうです。





彼は霊感などがあるわけではありません。

オカルトに詳しいわけでもありません。

しかし、それは絶対にここにいていい存在ではないし、

見てはいけないものだと、

その時は本能がそう言っているような気がしたそうです。




こちらの存在をなるだけ目立たせないように。


平静を装って素通りしようとしたら。





女の上半身がゆっくりと横に

くの字に曲がりだしました。


正面を向いたまま、体を傾けて、まるでこちらを覗き込むように。





その時点でもうすでに手遅れだったと悟ったそうです。



金縛りにでもあったかのように

体が、目が、そこから離すことができなかったと。





縦に引き延ばしたように細くて長いその体が

およそ人間ではありえない角度まで曲がっていきます。





髪の毛が横に垂れ下がり

今まで隠れていた首から上が徐々に露になり。



肩が腰の位置まで下がってきた時。



その顔が見えました。







その顔を見るや否や友人は、

脇目も降らず全力で走って逃げ帰ったそうです。











「あれ本当に気持ち悪かったわ」



とはいえ結局、

この一件の後、彼が呪われて自殺してしまったとか

学校に来なくなってしまったとか

そんな結末になったわけではないから、今こうして大人になっても普通に話せているわけですが。



なのですが。




調べても別にその団地で殺人事件が起きたとか自殺者が多いとか、そんな情報はまったく出てこないのに何を見たんだろう

と平然とした様子で語ります。


とりあえず何事もなくてよかったよ、

と話を聞き終えて安心したとき、

机に仰向けに置いていた彼のスマホに通知が届きました。



その画面が自然と目に入ってしまって、思わず。


「え、今のって」


と声が出てしまいました。



それは通知の内容ではなく、

彼のスマホの画面に対して。



スマホのロックを解除する前の

いわゆるトップ画面の画像。


それが。



恐らく話に出てきたであろう 

あの団地の写真でした。





「あ、これね。そう、まさにここだよ」



そう言ってこちらにスマホの画面を見せてくる彼に



「え、写真撮ってたの?というかなんでそんなのトプ画にしてんの」



と聞くと、さも当然かのように。



「いや、写真は撮ってないよ。撮ってないんだけど。

なんか写真フォルダ開くたびにさ、

勝手にこの団地の写真が増えてってるんだよね。

全部同じアングルのさ、団地の道からその3号棟の2階の階段部分を映したやつばっかり。

もう見飽きてるし、容量も無限じゃないから困っちゃうよ。」



見せてもらった彼の写真フォルダには

夥しい量の団地の写真が数百枚以上保存されていました。

全て同じアングルで、同じ時間帯に撮影したものだと思われるもので。


それらの写真には女の姿は見えませんでしたが。



「その時からずっと?今まで何年間も?」


「うん。最初は気持ち悪かったんだけど、

これだけ写真フォルダに入ってくるってことは

何かしたほうがいいのかなって思って。

たまに消したりしてるよ。でもキリないからね。」





彼の口調は飽くまで淡々としていて。

でもどこか諦観の念すら感じられるような、

そんな喋り方で。

何も気にしていないような

いえ、気にしないフリをしているようなその様子が

むしろ不安に思えてしまいました。









彼が団地で見たモノ。



腰の位置まで折れ曲がった上半身の頭部。

地面に付きそうなほど垂れた髪の毛の間から見えたそれは。







目も鼻も口もないのっぺらとした真っ白な顔が。



顔面の中心にクシャっと皺を目いっぱい寄せて


無理やり笑っているような表情を作ってこちらを見ていたそうです。











「うん。ほら、まだしっかりいると思うんだよね。」




彼はその団地の写真の

何も写っていない階段部分を指でアップして目を見開き、

スマホの画面を食い入るように眺めながら。




「やっぱり、もう一回行かなきゃだめなのかなぁ」





別れ際、そうつぶやいた気がしました。











彼は気付いてないそうですが。


いえ、何にとは言いませんが。



もし彼が既にそうなってしまっていたのだとしたら、どうしてあげるのが正解なんでしょうね。



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忌誘 @GO_GOH

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