冬の国の魔女

@kumoinokage

故郷編

第1話

さっきからもう、耳は使い物にならなかった。


吹き曝さらす雪のせいで、大きな怪物が振動しているような低音しか聞こえない。


もしくは、これは己の中で流れる血液の音かもしれなかった。


彼は自分の頭をまるで東の国の女のように長い布で何重にも巻き、また顔も目以外を覆っていた。


ここは北の国でも特に険しい山というわけではないが、こうも吹雪の激しい気候では、例え山に慣れた人間でも進むのをためらった。(山に慣れた人間はそもそもこんな気候の中を進まないが、)


徐おもむろに振り返ると吹雪によりかなり曖昧にしか見えないが、捜索隊によるランタンの光の列が、それでも山麓さんろくあたりにぼやっと光っていることが分かった。


光の列を見下ろしながら、彼は背負い籠の紐をほとんど感覚の無い指先で無意識に握りしめる。


背負い籠には1歳にもならないであろう赤子が眠っていた。




//15年後 北国の山麓街にて//




軽い音で走っていく少女がいた。


北の地特有の薄い色の夏空に鮮やかな市場を少女は駆けて来る。


「リーシュ、聞いてよ、女王様の軍団が明日には着くって!」


市場の中の一つ、赤い帆屋根を下げた屋台では干し野菜や木の実、貴重な塩漬け肉など乾物が所せましと置かれている。


私は品物を整理しつつ、己を呼ぶエドナを見やった。


「エドナ、良かったじゃない。待ちわびたわね。」


「そうよ!今から待ちきれないわ!私きっといい人をみつけるから!」


エドナはこの田舎の町に飽き飽きしているから、今回珍しく街近くの森へ駐留する軍隊から若い下士官を結婚相手に探すらしかった。


「でもやっぱりなんだってこんな場所を選んだのかしら。じい様も女王様の軍隊がやって来ることなんかなかったって言ってたわ。」


「リーシュ、そんなことどうでもいいわ。とにかく若くて将来性のある男がやってくることが大事なのよ!」


エドナは拳を振り上げてそう言うのに、苦笑う。


彼女はこの町でも大きい宿屋の娘で、確かに跡取りには年の離れた兄がいるが、婿むこでも貰えばそんなに不自由な暮らしをしないだろうと思われた。


「明日の夜、駐留歓迎パーティーを私の家のホールでやることが決まったのよ!私あなたに来てほしくって、言いに来たの。あ、でも私明日は青のドレスを着るから、どうかそれ以外の色の服を着て来てね!」


エドナは過去一番に興奮していて、口を挟めないままパーティーの詳細を口早に伝えられる。


「明日は夕方から始まるけれどそれはお偉いさんだけの会だから、おおよそ空が真っ暗になることに来るのが一番楽しいわ!来たらアガトに言づけてね!」アガトとというのはエドナの宿屋で働く年嵩の女性だ。


エドナは必要なことを全部言い終わると、すぐ家の手伝いがあると言ってまた駆けていってしまった。


なんとなくエドナが走っていった方向を見つめながら「私が持っているのは黄色の木綿のワンピースだけだから、色の被りは気にしないで」と言うのを忘れてしまったな、と思った。




エドナとリーシュは互いを大切に思う友人で、町人身分にあるが、それでも全く同じ立場ではなかった。


この町は東西と南北に走るちょっとした大通りがあり、それがちょうど交差する十字路あたりにエドナの実家である宿屋がある。


北側、北東側を山に接しているため、町の玄関口は南西側である。


もしあなたが旅商人であれば、南にある民家のような宿屋に泊まることになるだろう。


リーシュのいる市場は、街を四等分に分けたのなら北西部にあり、山からの商品と外からの商品が並んでいる。


リーシュの家もまた区画で言うのなら北西部にあった。


リーシュを育てたのはドニという老人だった。


矍鑠かくしゃくとして、もともとは狩猟を生業としていたが、いつの間にか干物屋として生計を立てていた。


老人の域に入っても市場に出ていたが、しかし2年ほど前に腰を痛めてしまい、店番はもっぱらリーシュに引き継がれた。


腰痛は立ち仕事をする人間の宿命のようなところがあり、彼も気を付けていたが、やはり年にはかなわなかったようだった。


エドナとは、町の学校で出会った。


学校と言っても、年齢がまちまちな子供たちが手習いで通う所で、読み書き算数ができるところまでを教わった。


その後の進路もまたまちまちで、二人はある程度まで修めてから大半の子のように家業に戻っていった。


リーシュはこのような生い立ちであるため、エドナの言うパーティーなんてものには縁遠く、着ていく服も土汚れの少ない一張羅の木綿の黄色いワンピースの他になかった。




夕暮れに雲が赤くかかっている。


夏至を過ぎ、既に秋に向かい始めているこの頃は日がどんどん日が短くなることを感じる。


私は売れ残りの品物をみんな集めて、店じまいを始めた。


帆屋根を丸めて、台車にいれる。屋台の組木はいいが、帆屋根は盗まれるかもしれないのだ。


すると右隣で飾り紐を売っていたおばさんに声を掛けられた。


「リーシュ、最後に干し肉を売ってくれないかい。」


私は気前よく答える。


「もちろんよ、おばさん。今日は飾り紐が良く売れたわね。」


「あんたんところでエドナも言ってたろう。軍の若いさんが来るってんで、みんな浮足だってんのさ。」


なるほどな、とおもいつつおばさんから受け取った袋を秤に置いて干し肉をいれる。


数個の塊肉を入れた所で声がかかった。


「リーシュ、もうそこらでいいよ。今日は肉入りの煮物料理でもやらしてもらうさ。」


おばさんは上機嫌に言って、数枚の銭貨を払った。


私は、ここ30年でも一度もなかった"女王様の軍隊の駐留”が起こっても干物が相変わらずな売れ行きなことを面白くないと思いつつ、今度こそ荷物を台車にまとめて帰路についた。

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