芸人の怪
杉浦ささみ
第1話
フリップ芸を得意とするAがテレビでネタを披露していた。
ウィットに富んだ、というかどこか鼻につく、ごくありふれた芸だった。ぼくは他にやることもないし、惰性で画面をつけっぱなしにして見ていた。もう夕方は終わりかけている。まだ番組も序盤というところで、ぼくは奇妙なことに気が付いた。
ドッキリ企画だろうか。Aの額には、よく見ると、第三の目のようなものがあった。ほかの目に比べてひとまわり小さいが、アーモンド型で黒目もちゃんとあり、目であることに違いはない。
しかしドッキリなんて触れ込みは一切なかった。もしかしたら、視聴者向けに向けた仕掛けかもしれないが、ならばいささか悪趣味である。
観客はいっさい気にとめていない。見れば見るほど精巧な目だ。おそらくCGでつくられたのだろう。
まったく意図が掴めないことに気味の悪さを覚えたが、ネットで話題にしてもらいたいんだろうと他愛ない考えが浮かんできて、にわかに馬鹿馬鹿しくなってきた。
ぼくは、コーヒーを淹れるべく立ち上がった。カーテンの隙間から空を見やると、もう夜は更けきっていた。時間が過ぎるのが早い。
キッチンに向かおうとすると、テレビのなかの目がこちらを向いているのに気が付いた。
いや、偶然だろう。ぼくはすぐさまそう考えた。
ため息をついて歩みを進めると、ゆっくりと視線がついてくる。ぼくは目をそらし、足早になった。まだ偶然の範囲内だ。
◆
コーヒーを淹れると、ふうふうと息を吹きかけながら定位置に戻った。相変わらず漫才の良さは分からない。
それよりも、ぼくは例の目に気を取られがちになった。あまりにも異彩を放っていて、もはや漫才が霞んでいる。目はときどき瞬きをする。潤んでいるようにも見える。
つんとコーヒーの湯気が匂ってくる。刺激的な香気は、目にまつわる想像を逞しくする。ぼくは砂糖やミルクの類を一切入れなかった。そのほうが冴えるからだ。口を細めて少しずつ啜っていくうちに、漫才が山場を迎える。
やがて番組が終わった。スタッフロールが流れ、賑やかな舞台がフェードアウトしていく。
意外にあっけない。結局、目についてのネタバラシはなかった。やはりバズ狙いの放送作家によるおふざけなんだろうか。
そんなことを考えながら、カップを揺らしてコーヒーの渦を作っていると、テレビの画面が暗転したまま変わらないことに気が付いた。
次の番組がはじまってもいいはずだが、真っ黒である。そのせいで、ぼくの部屋にはずっと奇妙な沈黙が漂っている。もちろんテレビの電源は切ってない。
かなりの時間、暗い画面を眺めていた。すると、テレビに人影が現れた。
ぼくは「えっ」と声を出した。
中肉中背で、なんとなく継ぎ接ぎのような風貌の男がいた。真っ暗な画面に、彼だけが、カメラ目線で仁王立ちをして、液晶越しにぼくと向かい合っていた。マネキンみたいに無機質である。
ふと、彼の右目がさきほどの第三の目だと気づいた。
普通、断片だけで誰の顔の一部かなんて判別できないものだが、ぼくは直感的に分かってしまった。思い込みに近い直感は、また、新たな情報を引き寄せてくる。
右目はフリップ芸人のAのものだった。見覚えのある目玉が、眼窩にぴったり収まっていた。ぼくの鼓動は早まった。左目は別の人間のものだ。
男はパッチワークのように肌の色が違っていた。いろんな人間が組み合わさっている。ここ最近、テレビで見た有名人たちがちらほら、体の一部として取り込まれていた。
右手は女優のBのもの。左手は高学歴芸人のCのもの。鼻は天才子役のDのもの。右耳は一流シェフのEのもの。左耳は若手社長のFのもの。
怖くなって、反射的にテレビを消そうとした。しかし消えなかった。そして、リモコンを落としてしまった。
男は画面のなかでゆっくりと歩きはじめた。軍隊のようにひどく機械的に、確実に近づいてくる。
ゆっくりと画面を占めてゆき、体の継ぎ目が鮮明に見えてくる。
(お迎えがきた……!)
ぼくはパニック状態に陥った。部屋の隅にあるカバンに飛び掛かると、ボールペンとノートを取り出した。一刻も早く遺書を書かなければ、と思った。
右手がひどく震える。こんな大学ノートに、こんな状況で書き込むのは変だと分かっていた。それでも、憑き物がついたように、手が動いていく。
そしてぼくは、ペンを繰りながら、自分の知らない語彙から成る呪文──どういう脈絡で思い浮かんだかは分からない──をぶつぶつ呟いていった。
なにを呟いたか、なにを書いたかは自分でも分からないが、やっと一文書き終えた。テレビに目をやると、さっきの男はさらに近づいていた。
芸人の怪 杉浦ささみ @SugiuraSasami
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