第2話
「大野隊長!」
「まったくこれだから、最近の若いもんは気が緩んで――」
「大野武雄・三等陸佐殿! 自分です、佐山三尉です! お話よろしいですか?」
「何を話すことがあるんだ? 私はこいつらの性根を叩き直さねばならんのだ!」
おやおや、今日はとりわけ怒りのボルテージが上がっていらっしゃる。
これでは言葉だけで引き留めるのは不可能だ。やむを得ず、俺は目の前の大男の背中を強めに突っついた。
「だっ、誰だ! 私の邪魔をするのは! 場合によっては軍法会議にかけてやる!」
「脅しは結構です、大野三佐。皆朝食を摂っているんですから、あたり構わず口角泡を飛ばすのはそのへんにしてください」
「だから私には教育義務が――って、おう、佐山じゃないか! どうしたんだ?」
なんだか物事を把握する順番が滅茶苦茶だが、彼にはよくあることだ。しかしいざ作戦行動中なら、彼ほど信頼をおける上官はいない。
まあ、それだって俺が贔屓目に見ている節はあるかもしれないが……。
俺は大野三佐に話を持ち掛けようとする。が、それは失敗してしまった。久弥に思いっきり肘鉄を見舞われたからだ。
俺が文句を言う頃には、すでに久弥は大野三佐に向かって敬礼をしていた。
「本日付けで配属になりました、市川久弥・陸曹長です。よろしくお願い致します」
「ほう!」
それを聞いて、大野三佐はその目――右目を眼帯で覆っているので左目だけだったが――をぱっと見開き、敬礼中だった久弥の右手をそっと自分の手で包み込んだ。
「いやあ、よく来てくれた! この仕事、やたらと男ばっかりでな、正直やる気が削がれるところだったのだよ! これも何かの縁だな、朝食を奢らせてくれ! この食堂の飯はとにかく美味いんだ! 私のお薦めは――」
「カレーライスの大盛激辛版、とか言うんでしょ?」
「んん? なんだ佐山、私の助言を拒むのか?」
「違います。最終決定権は市川曹長にある。それが分かっているからこそ、彼女に間違った知識を与えるのは止めてください」
俺が淡々と言い切ると、三佐は両手を腰に当てた。やれやれと露骨にかぶりを振る。
「なあに、私は市川曹長の身に迫る危険を排除したまでだ。少しはお前もユーモアってものを理解してくれよ、なあ俊之?」
ん? 三佐は今、なんて言った?
そう考えるより先に、俺は行動に出ていた。テーブル上のフォークを取り上げ、大野三佐の喉仏に突きつけたのだ。
「ッ!」
久弥も同様にナイフを手に取り、俺に差し向けようとする。しかしその時には、俺のフォークの先端から数ミリのところで、大野三佐は上を向き、ごくりと唾を呑んでいた。
「どうしたんですか、佐山三尉!? なんのつもりで……!」
少しばかり悲鳴の混じった、久弥の言葉。何事かと立ち上がり、警戒心を露わにする兵士たち。彫像のように固まった、俺と大野三佐。
と、その時だった。誰かの手がそっと俺の肩に触れ、軽く、しかしぎゅっと握り締めてきた。この期に及んで、ようやく俺は自分が許されざることをしていると自覚した。
緊張感が切れたのを察したのか、俺は一瞬で久弥に拘束された。直後、あちらこちらで食器が落下する音がした。男性兵士たちが周囲を取り囲む。
「大野三佐、お怪我はありませんか?」
「早く佐山三尉を連れ出せ! 医務室に連絡しろ!」
「誰か! 誰か佐山三尉を連行するのを手伝ってくれ! 二、三人だけじゃ危険だ!」
何が危険なものか。俺は内心、毒づいた。
これは自覚できている範囲に過ぎないが、俺の闘争本能は既に鎮まっていた。
「市川曹長、もう離して大丈夫です! あとは我々が佐山三尉を!」
「自分も同伴します!」
両肩をがっちり掴まれながらも、俺は久弥を凝視してしまった。
何故だ? どうして久弥が俺と一緒に、医務室に行こうとしているんだ?
驚きは止まらなかった。大野三佐も俺との同行を所望したのだ。
自分の喉を掻き切られそうになったというのに。俺の心は、呆れが半分と諦めが半分といった具合だ。
確かに、俺と大野三佐の付き合いの長さを鑑みれば、驚くことでもなかった。親子ほどではないにしても、年齢差や今までの付き合いから考えれば、なおさらのこと。
俺は以前暴走した時と同様に、首筋に鎮静剤が注射されるのを大人しく待つことにした。が、まさに注射がなされる直前、この建物にいる全員の鼓膜を震わせる、非常事態警報のアラームが鳴り出した。
《至急至急、霊的反応の急激な増大を確認。距離・約二十九キロ、二時方向にゆっくりと移動中。現在、所轄の警官隊と機動隊が出動中。民間人の死傷者は、現在まで確認されていない。最低限の護衛要員を本基地に残し、総員出撃用意。繰り返す――》
そこまで耳にしたところで、全員が慌ただしく蠢きだした。俺が大野三佐にフォークを向けた時よりも迅速だ。俺はすぐさま拘束を解かれ、その場で突き飛ばされてしまった。
※
それから九十秒後。
俺は八十二秒で全装備を装着、自らの得物を持って外へ飛び出していた。
これを民間人が行えば、十中八九熱中症でぶっ倒れるだろう。俺たちがそうならないのは、日ごろの訓練の賜物、というものかもしれない。
どうして俺が、かもしれない、などという中途半端な言い方をしたのか。それは俺たちの任務が特殊かつ機密事項だからだ。
世界に誇る実力を有する自衛隊が、幽霊退治をしているだなんて信じてもらえないだろう?
大野三佐は腕時計をじっと見つめ、時折顔を俯けながら、タイムリミットまでの時間を計っている。俺が列に加わってからアラームが鳴って、九十秒が経過したことを示す。
よし、と三佐は意気込む。満足のいくタイムが出たのだろう。
《総員、輸送車に乗車! 目標の位置と総数、加えて作戦規模は、人員輸送トラック内で伝達する。以上!》
※
さらに一分後、俺たちは幌付きの人員輸送車で揺られていた。俺のそばに久弥が座る形で、自動小銃の最終確認を行っている。さっきに比べると、随分と静かになったものだ。
今回の攻撃目標は、完全に『幽霊化』してしまっていること。
この怪異は僅かずつ、しかし確実に広まっていること。
そしてこれが一番難しいのだが、一般の民間人に対して情報の流出を防がねばならないということ。
ええい、考えるのも面倒だ。とにかく、白くて影のない、ぼんやりした人型の風船みたいなものをハチの巣にしてやればいいのだ。
極端に若いとは言われながらも、実戦経験がないわけではない。
さっき資料に目を通したところ、久弥曹長の欄で気になることがあった。俺は気を紛らわす意味も含めて、彼女に声をかけた。
「久弥曹長、お前がまだ十八歳って本当か?」
「それが何か?」
「いや、確認しただけだ。もう一つ訊きたいんだが」
「今度は何です?」
「敢えて俺は聞かないが……、お前は今日からこの部署の専属兵士になったんだよな」
「だったら何なんですか? あなたまで私に『若すぎる』って言いたいんですか?」
「いや、ここまでにしておこう」
明確な基準があるわけではない。だが、まさか俺より若い兵士の出現は、なかなか衝撃的だった。
まあいいか。あんたの腕前、見せてもらうぞ。
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