――なんて。こんなことを考えている場合じゃないのにね。(フレイア)

 最悪だ。最低だ。本当にありえない。自分で自分のことをひっぱたきたい。

 なんだ? あの態度は。婚約者に向ける態度じゃないし、好きな男の子に向ける態度でもない。本当に最低だ。


 ディッカはただ私を心配してくれてただけなのに。そんなのわかってるのに。自分自身の不安をディッカにぶつけて困らせて。ディッカが怒るのなんて当然だ。


『お前が望むなら、お前を連れ出してここから逃げ出したっていい。お前を連れて遠く離れたところでしばらく暮らしていくだけの金くらいはある。仕事だってすぐに見つけられる』


 ……正直、心揺さぶられなかったと言ったら嘘になる。好きな男の子に連れ出されて、自分たちのことを誰も知らない新天地で二人で生きていく。市井に流れている恋愛物語でも根強い人気のある結末で、私もそういった恋愛物語をたしなむこともあるし、憧れだって持ったこともある。

 ディッカなら、たぶん言葉の通りにしてくれる。私を連れ出して、誰も知らないところで二人で再出発。ディッカが仕事をして稼いで、私がそんなディッカを支える。


 不可能じゃない。私がディッカの言葉に頷けば、たぶん実現していた。

 ……でも、そんなことできるわけないんだ。


 あの日あの時。ディッカに憧れた私は、スピリッツ家の力を使ってレジス家に婚約の話をねじ込んだ。形の上では双方の家の利益を鑑みて……なんてことになっているが、実態は私のわがままで強権的に交渉の席に着いてもらっただけだ。

 幸いだったのはレジス家が特に嫌がる素振りを見せなかったこと。……まあ、ディッカと接するうちにその理由もなんとなくはわかったけど。


 最初は別に、ディッカのことが好きだったわけじゃない。ただ私に衝撃を与えた人間がどんな人間だったのかを近くで見てみたかっただけ。

 それこそ本当に最初の頃はディッカの言う通り、気に入らなかったら婚約を解消するつもりだった。スピリッツ家にはそれだけの力があったから。


 ……でも、そんな考えは早々に無くなっていた。ディッカと会話をして、言い争いをして、生き方を見て。

 私はディッカは好き勝手に自分の生きたいように生きていると思っていた。人形みたいだった私と違って、何にも縛られることなく、風みたいに自由に。


 けれども実際にはそんなことはなくって。本人が望んでいない環境に置かれて。周囲からの重圧に答えようと頑張り続けて。ある時それがぷつんと切れてしまって。

 頑張っても頑張っても報われない日々に疲れてしまったんだと思う。どうにもならない周りにも自分にも怒って疲れて、それで道に逸れて。


 でも結局それまで積み上げてきたものは早々に変わらなくて。口では憎まれ口を叩いてるけど、根が真面目で優しいのが隠しきれてない。

 だから見ず知らずの私みたいなのも助けるし、街で行き場のない人たちを拾っていくんだ。本人にその自覚があるかどうかに関係なく。


 本当に嫌ならあんな集まり許すはずがない。本当に巷で言われているような落ちこぼれなら、あんなにみんなに慕われているはずがない。

 あの集会場にいる人たちは、みんなディッカのことをよくわかってるんだ。


 ディッカ自身がディッカのことを一番よくわかっていない。あんなにみんなに囲まれて、周りは笑顔にあふれてるのに……家や学校のことばっかり頭にある。だから自己肯定感が低い。自分なんて……って心の中でずっと思ってる。

 本人にはそんな自覚なんてないだろうけど。


 でも、だからこそ傍にいてあげたいと思ったんだ。ディッカに対するこの想いを言葉に表すのは難しい。

 手のかかる子供を相手にするかのような気持ちにも似ているし、子供の成長を見守る母親のような気持ちにも似ているし、隣を歩いて一緒にこれからを過ごしていきたいという恋心にも似ている。


 そんないろいろな気持ちが混ざり合った複雑な感情だったけど、そこに嫌な気持ちなんて一つもなかった。

 だから私はこのままディッカと結婚する。ディッカもその気でいてくれてる……と思う。あ、あんなこと言ってくれたんだからそうに決まってるわよね?


 まさかここから「やっぱり婚約の話はなかったことに……」なんて言われるわけないわよね? そうよね?

 ……し、仕方ないじゃない! 私だって恋愛なんてしたことないんだから! 不安にもなるでしょうが!


 はぁ……だからこそ、私はディッカの提案には頷けない。私の家のことももちろんある。ここまで育ててもらった家に、砂をかけて出て行くわけにはいかない。

 でもそれ以上に、ディッカがこれまで築いてきたこの街での立場とか、仲間たちとの絆とか、そういうものを全部捨てさせるわけにはいかない。そう思うのだ。


 ――なんて。こんなことを考えている場合じゃないのにね。

 今の私はそのディッカと喧嘩をして、その上フィデル家の馬車に乗って揺られている。


 なんでこんなことになるのだろう。私が何か悪いことでもしたのだろうか。何か神様の気に障るようなことをして、それで罰を受けさせられているのだろうか?

 それなら誠心誠意この世にいるかどうかもわからない神様に謝罪をするから、何をしてしまったかを教えて欲しい。この状況から脱せられるなら私の頭なんていくらでも下げる。


 ……こんなことを考えていること自体が既に不敬なのだろうか? でも仕方ないじゃない。今まで神様なんていうのに会ったことも見たこともないんだから。


「フレイア、そう怒った顔をしなくてもいいじゃないか。美しい顔が台無しだよ?」


 一緒の馬車に乗っているルキウスがそんな声をかけてくる。

 学生にしてはお高い黒の公服スーツに身を包み。その長い脚を見せつけるように組みながら私の対面に座っている。


 爽やかそうな笑みを浮かべているけど、その実頭の中は金のことしか考えていない。ここ最近のやり取りでそれがはっきりと分かった。私のことも貴族の血を手に入れるための引換券とか、傍に置いておくための栄冠くらいにしか思ってない。

 まあ……金融商会の跡取り息子としては間違っていないのかもしれないけど。


「別に怒ってません。それと気安く名前で呼ばないでくれますか? 婚約者でもない男の人に名前で呼ばれる筋合いはありませんと以前にもお伝えしたと思いますが」

「もうすぐそうなるんだから別にいいじゃあないか」


 ルキウスのその言葉に何も言い返せなかった。

 ……結局、この男の言う通りだ。スピリッツ家は約束の日付までにお金を用意できなかった。正確にはまだ少しだけ猶予があるけど、お金が用意できないという意味では何も変わらない。


 スピリッツ家とフィデル家の約束は今日の日付が変わる頃。期限が来たらすぐに書面を交わしたいというフィデル家の意向で早めにフィデル家に向かわされている。

 あの日喧嘩別れしてしまってから、今日までまともにディッカと会話できなかった。……お別れの挨拶くらい、ちゃんとしてこればよかった。それが今の私の心に渦巻く後悔で。


「……なんだ? やけに外が騒がしいな」


 ルキウスの不思議そうな呟きに釣られて、ふと馬車の窓から外を覗き込む。

 なんだかいつもより少しだけ慌ただしい街の様子と、突如鳴り響く聞きなれた爆音。


「まったく、耳障りな音だよ。君もそう思うだろう?」

「ディッカ……」


 単車が走る時に響かせるエンジンと排気口の音に胸を馳せながら、私は馬車に揺られてフィデル家へと向かって行った。

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