――あの瞬間までは。(フレイア)
小さい頃から自分には才能があることを自覚していた。同年代の子たちよりも明らかに勉強も運動もできた。魔法だってどんどん使えるようになった。
「才能がある」のが当たり前だった。両親も祖父母もそうだったし、当然私にも才能が求められたから。だから私の才能について家族から褒められたことはほとんどなかった。
この国の宰相や騎士団長、宮廷魔術師、その他様々な役職に一族を輩出してきた「スピリッツ家」の長女、フレイア・スピリッツとして生を受けた私は、生まれたときから人の上に立つことを求められ、そうした教育を受けてきた人間だった。
とてもつまらない、人としての魅力なんて微塵も感じられない人間だ。
それまでの人生を振り返ると、私はまさに「生きた人形」だったと思う。家から言われるがままに勉学に励み、運動に精を出し、魔法の練習に時間を費やした。礼儀作法を学び、社交界に顔を出した。
一つも自分から望んだことはなかった。全部言われたことをしていただけだった。
それが苦も無くできた。だからやっていた。そこに私の意志があったとは、誰がどう見たって言い難い。
人前では作った笑顔で控えめに微笑むけれど、自室で一人でいるときは全く感情のない瞳が自分を見つめていた。
「スピリッツさんは、本当に優秀ね」
「ありがとうございます」
学校の先生に褒められたところで何も感じない。できて当たり前のことを評価されたところで嬉しくない。
そんな人生を送っていた。これからもそんな人生を送ると思っていた。
――あの瞬間までは。
衝撃だった。こんな人間が世の中にいるなんて知らなかった。
私の価値観が根底から崩れたような、そんな衝撃を受けたのだ。
普段は家と学校の間は馬車での送り迎えをしてもらっていた。ただ、その日は馬車の調子が悪くて、それならと気分転換がてら歩いて帰路についていた。
治安が悪い道を歩いていたわけじゃない。普段馬車で通る道を歩いていただけだ。
だから、たまたまだったのだろう。虫の居所が悪くて、一目で「金持ち」だとわかる私に目を付けただけなんだろう。街の人に比べて明らかに艶のある髪を編み込んで一つにまとめて、上流階級特有の肌を見せない、肌を傷めない滑らかな生地の服装をした私。
誰がどう見たっていいところのお嬢様で、だからこそ何か粗相をしたらまずいことになるとわかりきっている。手を出されるはずのないそんな存在に、手を出す人間が現れたのは。
「きゃあ!」
急に突き飛ばされて持っていたカバンをひったくられる。あまりに突然のことで受け身も取れずに地面に転んだ。
それまで生きてきた中でいきなり人に突き飛ばされた経験なんてあるわけない。突き飛ばされた衝撃と地面に倒れこんだ痛みで思考が止まってしまった。
なんで? とか、どうして? とか、取り返さなきゃ、とかそんな思考がぐるぐる回るだけで体が動かない。
私を突き飛ばしたのはいかにもみすぼらしい中年の男で、普段なら絶対に触らせることなんてない、そんな人間なのに。
怖かった。普段なら絶対にそんなこと思わないのに。私は怖かったのだ。
突然自分より体の大きい男に突き飛ばされて、荷物を奪われたのだ。本能的に恐怖を感じるなんてことは今ならわかる。でもその時はそんなことにも思考が回らないくらい混乱していて。
突然のことに周りの人もどうしていいかわからなくて。私の付き人だってこんなことが起こると思ってなくて、とっさの行動が起こせないでいた中。
「おい、そこで待っとけ」
ぶっきらぼうな言葉と、鳴り響いた聞いたこともないような爆音。嗅ぎなれないオイルの匂いが鼻腔をくすぐって。
「このクソ野郎! 死にてぇのか!」
車輪が二つ付いた見たことがない奇妙な乗り物に乗った男が、気づいたら私を突き飛ばした男を捕まえて荷物を取り返していた。
「ほらよ。ぼーっとすんな、気をつけろよ」
投げ渡されたカバンを慌てて受け取る。
「あ、ありがとうございます……」
一連の流れが怒涛過ぎて理解が追い付かない。それでも一つだけわかることは、この目の前の黒髪黒目の男の人が私を助けてくれたということで。
「あ、あの……もしよければお礼を――」
「おい! 誰かこのおっさんを警邏隊に突き出してこい! 残りは俺と仕事に行くぞ!」
スピリッツ家の長女として。それ以上に助けてもらった身として、家に招いてお礼をしようとかけた声は彼に届かず。
気づいたときには彼と同じような乗り物に乗った人がたくさん彼の周りに集まっていて、彼は私のことなんか気にするそぶりもなくそのまま爆音を鳴り響かせて去って行ってしまった。
「あの……今のは……?」
思わず漏らした私の言葉に、付き人が答えてくれた。
「おそらくディッカ・レジスでしょう。レジス家の落ちこぼれと言われていますが……」
「ディッカ・レジス……」
それが、私とディッカの出会い。
ディッカは全然覚えていないみたいだし、何となく覚えてないだろうなという何とも言えない確信があってあんな挨拶をしちゃったけど、私はたぶん一生忘れることのない、そんな出会い。
「剣聖」と「賢者」の家に生まれながら全くそんなそぶりを見せずに生きる彼。単車を乗りこなして、風を切り裂きながら自由に生きる彼。
彼のそんな姿が、鮮烈に私の目に焼き付いた。心から凄いと思った。それまでの私の価値観を破壊した。
――その日から、私は「生きた人形」でいることを止めたのだ。
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