夢から覚めてⅡ

 それからどれくらい経ったのであろうか。

暗い洞窟の中では今が何時なのか、昼なのか夜なのかすらわからない。

それにそんなことはどうでも良かった。

疲労だけが体と頭を支配しており、そのしんどさゆえにいつの間にかエナはうとうとと眠っていた。



 幼い頃の夢を見た。

まだ父も母もいた頃の夢。


私は母が寝ているベッド横で絵を描いてくれと駄々をこねていた。おばあ様に買ってもらった真新しいクレヨンと紙を握りしめ、ベッドによじ登ろうとしている。


「だめだよ、―。お母様は安静にしてなくちゃだめなの。」


小さな白い手がよじ登ろうとする私の服を掴んで止める。

なんで安静にしてなくちゃだめなのかなんてわからなかった幼い私はただ描けないという事実に腹が立って大きな声で泣き出す。

お母様は私の白い髪を優しく梳きながらあやすような口調で言った。


「―、いい子。―は絵が好きね。」

「うん!私いつか世界中の絵を見てみたい!」


目を輝かせながら夢を語る私をお母様が楽し気に見つめる。


それから震える手で赤いクレヨンを受け取ると、大きな林檎を描いてくれた。


綺麗な赤だ。

真っ赤っかだ。

でも単色ではない。

混ざった黄色がきらめく光のようだった。


—そう、―みたいだ


私の頭の中で何かが呟いた。

この林檎を見ていると何かを思いだす。

でもそれがはっきりと何なのかはわからなかった。


食い入るように林檎を見る私の頭をお母様の手が優しく撫でた。


「―、貴方は本当にいい子。だから、もう行きなさい。」

「!?」


私はその言葉に驚きお母さまを見つめる。

するとお母様は優しく微笑み、再び口を開く。


「行きなさい。」


優しいが有無を言わせぬ強い口調。


これは夢でそして私は現実に戻らなくてはいけない。

母のたった一言が私にそれを知らしめた。


その直後、小さな白い手が私の手を掴むと部屋の扉にむかって走り出す。

小さな背中。

でも、同じように小さい私にとってその背中は十分すぎるほど大きかった。

その背中の主は振り返らない。

ただ私の手を強く握って出口へと導く。

そして現実世界に繋がる扉を超えて私は目を覚ました。



—っ!…あれ?何か夢を見ていた気がする


目を覚ますとエナは夢の内容をすっかり忘れてしまっていた。

いつの間にか肩には自分の毛布がかかっている。


—毛布なんてかけた覚えないけどな…カリタスが起きてかけてくれたとか?


エナはカリタスたちが横になっていた方を見てみる。

そこではまだカリタスが横になっていた。彼女の体にも同じように毛布が掛けられている。もっふんもっふんのリキが寄り添っているからもはや熱そうだ。

しかしその横にスピーヌスの姿がない。


—確か、カリタスに膝枕してあげてたけど…いったいどこに行ったのかしら


視線をずらしてみるとアルの瞼がかすかに痙攣していることに気が付いた。


「アル…?」


目を覚ましそうなのだろうか、エナはそっとにじり寄って彼女の顔を確認する。


ぱちっ


刹那、二人の目が合った。

アルの瞳孔が開いている。

その赤色の目が細まり、そして何かを決意したように冷たい光を灯す。


—ドサッ


エナは突然押しのけられ、受け身がとれないまま洞窟の壁にぶつかった。


「なっ!?…寝ぼけてるの?」


エナは痛む背中をさすりながらアルの様子を伺う。


「…アル?」


アルは見たこともないほど冷たい顔をしていた。

薄い唇は固く閉じられ、血色のない頬に真っ赤な目が異様に赤くきらめいている。

そしてその手には短刀が握られていた。


「ど…どうしたの?」


エナは動揺を隠せない震えた声で彼女に声をかける。

アルは静かに周りを見渡す。

現状況を把握しおわるとゆっくりと短刀の切っ先をエナにむけた。


「ア…アル?急に、本当にどうしたの?」

「私は神獣の元に行かなくてはいけない。」


静かにアルはそう言った。


「う…うん、だから一緒に行こうって。」

「お前たちは私がクーデターで国を追われた第一王女で『悪魔の子』だという事を知っている。万が一、私が神獣を呼び出せなかったとき私の存在を知っているお前たちは邪魔になる。生かしておくわけにはいかない。」


アルは淡々と告げる。

冷たい声が洞窟に響いた。


「私、アルの事誰かに言うつもりなんてない!」

「どうしてそれが本当だと言える?どうやって絶対に告げないことを証明する?」

「しょ…証明って言われても…。」


突然アルの短刀がエナの心臓目がけた降りかかった。

何の始まりの合図もなかった。いや、もうとっくの昔に始まっていたのだ。


「っ…。」


後ろに一歩体を引いてそれを避ける。

短刀の風を切る音がはっきりと聞こえた。


「落ち着いて!落ち着こう?ね!」


アルに言っているのか動揺でたじろぐ自分自分自身に言っているのかわからなくなりながらそう言う。

しかしアルには届かなかった。

十分すぎるほど彼女の心は落ち着いていた。

アルは再び重心を戻すと今度は思いっきり体を低く沈め下から上に向かい、エナの顎を狙ってその短刀を振り上げた。

エナは体を思いっきり逸らして短刀から逃れた。

顎すれすれを切っ先が通り抜ける。

エナはもともと体が柔らかい方じゃない。体が硬い人間がその限界点を超えて体を思いっきり逸らしたのだ。


—ボキッ


嫌な音がした。

エナはそのままブリッジになり、そこから腕の力で飛び起きて体勢を整えなおすつもりだった。

なんなら頭の中でははっきりとそれが想像できた。

しかし現実というのはとても残酷なものである。

エナは背中に走った激痛に悶絶しながら床に転がった。あまりの痛みに涙が滲む。

アルからしたら最大のチャンスである。

悶え転がるエナ向けて短刀を振り下ろす。

短刀のが焚火の炎に照らされた。


—ガキンッ


岩に剣が突き付けられた。エナの右頬の皮膚が裂け、赤い血が流れ出した。


「っ…」


エナの血を見てアルは息を呑んだ。

大きな目がますます大きく見開かれ、唇がわなわなと震える。

彼女は今にも泣きだしそうな顔をしていた。






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