黒崎探偵事務所-ファイル01 クトゥルフの廃村

NOFKI&NOFU

第1話 消えた痕跡

山梨県の奥地――。

地図から消されたはずの廃村に、二人のユーチューバーが足を踏み入れた。


彼らの名はタケルとシン。登録者数十万規模のチャンネル『零域探訪』を運営する、比較的真面目なフィールド系配信者だった。軽薄なドッキリ動画ややらせで再生数を稼ぐ連中とは違い、彼らは「実際の痕跡を伝える」ことを売りにしていた。だからこそ、今回の企画――噂だけが残る地図外の廃村調査――には強い意気込みで臨んでいた。


「ここまで来ると、さすがに人の気配すらないな」

カメラを担ぎながらシンが低くつぶやく。


「その方がいいんだよ。俺らは“やらせなし”を誇ってる。最後の章にふさわしいだろ?」

タケルは口元を引き結び、淡々と応じる。軽口よりも集中が勝っている声色だった。


彼らの目的は、この村で語られる“行方不明者”の真相に迫ること。過去に探索に来た人物が戻らなかったという書き込みを、掲示板で読んだからだ。眉唾の噂か、それとも――。


やがて二人は、朽ち果てた木造家屋が並ぶ村落に到着した。風の音だけが響き、枯れ草が擦れる音がやけに耳につく。


「記録に残る限り、ここは昭和の終わり頃に放棄されたはずだよな」

「うん。公式の地図から消されたのも、その少し後だって」


会話はどこか学芸員のようで、軽薄な派手さとは無縁だった。だがその冷静さが逆に、この場所の異様さを際立たせていた。


最初の異変が記録されたのは、探索開始から十二分ほど経った頃だ。村の奥で、彼らは唐突に場違いな朱色の鳥居を見つけた。


それは奇妙なほど新しい。周囲の黒ずんだ木々や苔むした石垣の中で、鳥居だけが時間の流れから切り離されたように鮮烈に立っていた。


「おかしいな……昭和末期に放棄された村に、こんな新しいものが残ってるはずない」

「地元保存会が建て直したってわけでもなさそうだし……」


シンが鳥居の柱を撮りながら眉をひそめる。表面には錆びも割れもなく、まるで昨日塗られたかのような光沢が残っていた。


二人は短く相談し、鳥居をくぐることにした。映像には、その瞬間から色調の揺らぎが記録されている。画面は水中のようにわずかに歪み、音声に低いノイズが混じり始めた。


「……変な匂いがする。甘ったるい腐敗臭だ」タケルがマスク越しに顔をしかめる。

「気のせいだろ。けど早めに切り上げた方がいいかもな」シンの声には、冷静さと焦りが同居していた。


鳥居の先には、小さな社が見えた。引き戸に手をかけた瞬間、映像は激しく乱れる。


ノイズの嵐の中、かすかに混じる悲鳴と呻き声。

そして、一瞬だけ――画面には、血管が浮き出た白い触手の群れと、見るだけで理性を蝕む歪んだ幾何学模様が映し出された。


次の瞬間、映像は途絶えた。


三日後、警察の捜索隊が村を調べたが、二人の姿はどこにもなかった。見つかったのは納屋に置かれた二台のカメラのみ。

記録を解析した捜査員はこう呟いている。


「古い地図じゃ、この鳥居の先は断崖絶壁のはずなんだ……」


説明不能な矛盾を抱えたまま、事件は「探索中の事故」として処理された。だが、その不可解な映像と失踪は「廃村ユーチューバー失踪事件」としてネットに拡散し、人々の噂を呼ぶ。


そしてやがて――東京の片隅にある小さな探偵事務所へ、ひとつの依頼が持ち込まれることになる。




東京の裏通りに、看板も出していない小さな探偵事務所がある。

それは、常識では処理できない依頼だけを扱う、黒崎探偵事務所だった。


薄く煙草の香りが漂う室内で、黒崎はソファに腰を沈めて煙を吐いた。

四十代半ば。無精髭がうっすら残る顔には疲れの色があるが、瞳は研ぎ澄まされている。身なりは整えられており、乱雑な印象はない。

その姿は、やさぐれたように見えても、どこか誠実さを隠しきれなかった。


対面のデスクでは、美咲が資料の整理をしている。二十代前半、小柄で栗色の髪を後ろで束ねた女性だ。文学部出身で、専門外の話には天然な一面をのぞかせるが、調査や記録には非凡な才を発揮する。


「所長、今日の依頼人って……例の『廃村事件』の関係者なんですよね?」

「そうだ。行方不明になったユーチューバーの母親だ」

黒崎は指先で灰を落とした。


「……警察が事故で片付けた件を、わざわざ私たちに?」

「だからこそだ。行き場をなくした声が、ここに流れつく」


そのやりとりの直後、ドアが控えめに叩かれた。


現れたのは、憔悴しきった一人の女性だった。タケルの母親だ。

彼女は椅子に座ると同時に、震える両手で鞄を抱え込み、必死に言葉を探した。


「……お願いします。息子を……タケルを、探してください。

あの子は、ふざけているように見えて、本当はとても真面目なんです。子どもの頃から、約束は絶対に守る子でした。だから、勝手に帰らないなんてあり得ないんです」


目の縁は赤く腫れ、声は震えていた。


「警察は……『撮影中の事故』で終わらせました。でも、映像を見たでしょう? あれは事故なんかじゃない。誰も、信じてくれなかった……」


その言葉は、まるで空気を切り裂くような重さを帯びていた。


黒崎は煙草を灰皿に押し付け、まっすぐに彼女を見た。

「……わかりました。私たちにできる限りのことをしましょう。ただし、結果を保証できるものではありません」


母親は深く頭を下げた。涙が床に落ちる音が、事務所に小さく響いた。


美咲は黙ってメモをとりながら、胸の奥にざらりとした違和感を覚えていた。

あの映像に映った“触手”と“歪んだ模様”。まるで人間の知覚を嘲笑うかのような形。

記録を目にした瞬間、心臓が締めつけられるような感覚に襲われたのを思い出す。


「美咲、無理をするな。あの類は、長く目に焼きつけていいものじゃない」黒崎の声は穏やかだった。

「……はい。でも、放っておけません」


黒崎は小さくうなずくと、壁際の地図に視線をやった。

「廃村の場所は特定済みだ。地図から消されて久しいが……現場を見に行くしかないな」


窓の外では、夕闇がじわじわと街を飲み込んでいた。

その影は、まるで触手のように街路へ伸び広がり、世界の輪郭を侵食していくかのように見えた。


やがて、二人は母親から預かった映像と資料を手に、廃村へ向かう決意を固める。


そして、まだ誰も知らない――

その先に待つものが、人の理性を試す『境界』であることを。


次回 第2話「朱の鳥居」


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