7話 シオン相手じゃ、減る。


カーテン越しに、薄明るい朝の光が差しこんでくる。

まぶたを閉じたまま、夢うつつで朝を迎える。

昨日までと同じはずの朝。

けれど、どこか違う──太陽あさひの目覚めが少しだけやわらかく感じた。


……ソアラ?

腕の中は、もう空っぽだった。

代わりにミルク色の毛布を丸めて抱きしめている。

鼻を近づけるとソアラの匂いがして、昨夜の熱が──身体の芯から火照りとなって甦ってくる。


「……命令だったから、だよね……」


ぽつりと呟いた声に、答えはかえってこない。

それでも、くちびるのやわらかさも、腕のあたたかさも──すぐそばに残っているかのように。

なかなか目を開けることができなかった。

開けてしまえば、現実へと引きもどされるから。


ふれた熱。

くちづけ。

ソアラの手。

あんなふうに誰かにやさしくされたのははじめてだった。


何も言わずに、オレの手を引いて。

そのまま、静かに、でも情熱的に。


《……こんなにやさしくされたら、勘違いしそうになるじゃん》

あまりにもオレを大切に扱うソアラ。


「じゃあ──次回はもう少し乱暴にしましょうか?」

あの人は、冗談みたいに微笑んだ。


──“次回”って、なんなんだよ

もしかして、“次”があるってこと?

胸の奥で期待が湧きかけたが、すぐにブレーキをかける。

バカみたいだ。

あんな一言で、一喜一憂して。

オレ、ほんと……勘違いしてる。


……だけど。

やっぱり

嬉しかった──。


そんな思考を、一撃で吹き飛ばしたのが。

「おーはよ、ユーリ。お寝坊さんだね〜」

ドサッ。

不意打ちのように、寝台の端に何かが飛び込んできた。


「……っ!? シオン!?」

「ふふ、びっくりした? 兄上が今日は起こさなくていいって言ってたけど、ゼノが“甘やかすな”ってうるさくてさ」

笑いながら、シオンがまるで猫みたいに寝台に潜りこんでくる。


「えっ、なんで入ってくるの!?」

「兄上には内緒ね♡」


最近、やたらとこのインフィニタス──シオンの距離感がちかい。

やわらかなラベンダーグレーの髪に、ローズグレーの瞳。

優しく見えて、どこか凛とした美しさがある、中性的な”美人”という言葉がよく似合う彼も”兄”。

なぜかこいつだけが“あの名前”で呼んでくる。

“ユリウス王子”でも“殿下”でもない、子供の頃からの、ほんとの名前。


《ユーリ》

やっぱりこの名前は落ちつく──。


「ユーリ、お腹すいてない? 軽めの朝食持ってきたよ。兄上が、今朝はそれがいいって言うから」

ソアラが……?

そうだ、ソアラはいつだって、オレが欲しいと感じるものを、やってほしいと思うことを──言葉にする前に、ちゃんと与えてくれる。


「えっと……ありがと、でも今は──」

「……ねぇユーリ、顔赤くない?」

さらっと距離をつめながら、ふいにおでこが近づく。

「っ……! い、いや、大丈夫だってば……!」

「ふーん? なんか熱っぽい気がするんだけどなぁ〜」

シオンはそのまま、オレの耳元に顔を近づけて、クンクンと鼻を鳴らした。

「……なんか、兄上の残り香がする?」

えっ──。


シオンの感覚は、やたら鋭い。

慌てて身体を起こそうとするが、思うように力が入らない。

その隙をつくように、シオンの手が腰のあたりへと伸びてきた。

思わず体を引いた拍子に、シーツがずれて──上半身があらわになる。


「わー♡ 今日のユーリはだいだん〜。ちょっとボクには刺激がつよすぎ〜」

おどけたように言いながら、シオンはゆっくりと身体を近づけてくる。

「やめ、やめろって‼」

な、なんなんだよ。こいつ。いつもいつも。

インフィニタスってもっと無関心で、無機質じゃなかったのかよ?

人に懐くなんてないだろ?


このシオンというやつは五体いるインフィニタス達の中で一番異質。

会ったその日からなぜか懐いてきて、やたらスキンシップをしてくる。


オレ、命令した覚えないんだけど。


「つれないなー、そんなに遠慮なんかしなくてもいいよっ、遠慮なさらずにユーリさま♡」

そう微笑むシオンが本当に嬉しそうで。

ったく、調子狂う。

これ以上は触れてほしくないと、慌ててシオンの手をはたこうとしたけど──びくともしない。

──うそ、力、強っ。オレこんなに非力だったっけ?


ふっと見えたゆらぎ。

シオンのおちつきのあるローズグレーの瞳が、ほんの少し、色を差したようにラベンダーピンクに染まっている。


え?


「……目の色……今、」

「あ〜!でちゃった?」

ぴょんと笑うように上体を起こして、シオンが軽く舌をだす。


「だって今日のユーリ可愛すぎなんだもん♡」

「 …… 」

「えへへ、“”が反応しちゃったかな? 知ってるよね? ボクたち感情の波が一定を超えると、そのゆらぎが──瞳にうつるんだ。

でもすぐに、塔の魔力が穏やかに抑えてくれるけどね。ボク等インフィニタスって、基本は感情を表に出ないよう、“規範コード”が埋め込まれこまれているから」


規範コード?

……ああ、理性の塔を操ってやつ。

インフィニタスたちが〈タワー〉と呼ばれるのは、その加護に由来する。

理知と静寂を保つのは、彼らの内に刻まれた“魔力の塔”が常にゆらぎを鎮めてくれているからだと。


「でもね〜、ボクの塔はちょっと緩めなのかも〜?”可愛い”ものとか、”好きな人”とか……ふわってなると、抑えきれなくなっちゃう♡」

無邪気な表情だったけど、その裏に隠されている小悪魔的な表情が無意識にオレを警戒させる。

すかさずオレの手をのけて、腰に伸ばして来た手をピシャリと払う。


「やめろって。……ダメなもんはダメ!」

「えー?なんで〜?いいじゃん、減るもんでもないし〜」

「……シオン相手じゃ、減るよ」

「ちぇっ」

拗ねたように口を尖らせるシオンを見て、思わず苦笑がこぼれる。


そんなやり取りをしながら、ふいにあの時のソアラの瞳がよみがえってきた。

熱に浮かされたようまなざし。

あの瞳にも、微かに赤みが差していた気がする。


「……ソアラも、たまに瞳が緋桜ひざくらのように赤くなることがあるんだ」

ぽつりと、そう呟いた。

シオンはピクリと耳を動かし、「ん?」と顔を向けた。

「赤く?」

「うん……ほんの一瞬だけど、赤く光ったような……」

自分でも、あやふやな記憶だった。

けれど、確かに見た気がした。

シオンはそのまま数秒考えてから──突然、ニッと笑った。


「赤くなんて染まらないよー。せいぜい元の色が濃くなるくらいだし。兄上の瞳は銀色だから・・赤になるなんて、ないない!…でも、もしそう見えるなら、それ、ユーリがよっぽど兄上を手こずらせて、さすがの兄上も怒ったんじゃない?」

「……え?」

そのまま顔をぐっと近づけてくる。

「気をつけて♡兄上って、ああ見えてキレたらヤバいから」

声のトーンを落とし、耳もとにくちびるをよせてそっと囁く。

その距離が近すぎて、思わず肩が跳ねる。


……怒ってたの?ソアラが……?


不安が胸の中でざわつきはじめる。

そんな表情を見逃さないシオンは慌てて。 

「……大丈夫だよ、安心して。兄上はそもそも感情なんて表に出さないし」

「……え……?」

「兄上の“理性の塔”は完璧だから」

「完璧?」 

「うん。感情が溜まりすぎると、“理性の塔”の封印術が発動して、すべて──忘却の霧リセットに包まれるようになってるの。

記憶も、気持ちも……まるごと、ね」


忘、却の霧……。


それってつまり、昨夜のぬくもりも、全部──

……もう、ソアラの中には残ってないってこと?

胸の奥に、小さく、でも確かにひんやりとした痛みが広がった。


ソアラのあの瞳は、やはりオレを拒絶してたのか?

そんな不確かな事実にえらく、落胆してしまう自分がいた。
















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