闇の狩人

黒巻雷鳴

闇の狩人

 どれだけ走ったのだろう。

 邪魔なローヒールのパンプスや、去年のクリスマスに親友たちからプレゼントされたハイブランドのショルダーバッグはとっくに投げ捨て、オレンジ色の外灯が照らすアスファルトの上を女は死物狂いで走り続けていた。

 額や頬にへばりつく乱れ髪もそのままに、女の荒い呼吸が月夜に消える。

 ストッキングの足先には、血が痛々しくにじんでいた。

 痛覚を忘れてしまったのか、いまははじけそうな胸の鼓動と底なしの恐怖しか感じられなかった。


 ──助けて、誰か!


 けれども、その声はけして誰にも届かないだろう。

 女の喉は赤紫に染まって潰されていたからだ。



 終電に間に合うようにと、大通りから離れたひとけのない高架橋沿いの道を選んだのが間違いだった。

 いつもならば多忙期とはいえ、これほど遅くまで残業はしない。だが、来月には寿退社することと、少なからずともある上司や会社への恩返しとして引き受けてしまった。

 そんな帰り道で我ながらの善行に思わず苦笑いを浮かべた直後、ときたま聞こえる頭上の走行音とは別の気配が──嫌な雰囲気を放つ、生存本能を刺激する別格のヤツを──確かに間近で感じられた。

 警戒した女は、肩に掛けているショルダーバッグからスマートフォンを取り出すと、同居中の婚約者へメッセージを送ろうとした。この時間帯なら、すぐに返事がくるはずだ。


 ガシッ。


 タッチパネルに触れるよりも早く、女の首が背後から忍び寄った大きな右手に掴まれ、舗装されたばかりの遊歩道から身体ごと軽々と2メートル以上持ち上げられる。


「……ふッ、ひゃ……ぐごほぉ……!」


 濃厚な純度の苦しみ。

 忙しなくばたつく両足から、黄金色のしずくが次々に伝い落ちる。死期がもうそこまで迫ってきた証だ。

 女には青い皮膚をした相手の指を見なくとも、人間ではないと容易くわかった。こんな所業、人類では不可能だからだ。


「ぐっ……かは…………」


 命消えゆくまさにそのとき、頭近くで握りしめるスマートフォンからまばゆい光が一閃放たれた。偶然カメラモードへと切り替わり、フラッシュ機能が作動したのだ。


「グゥガゴワァァァァァァァァァ!?」


 周囲に轟く猛獣のような野太い声の悲鳴。

 瞬時に解放された女は、朦朧とする意識の中でなんとか立ち上がり、方向感覚を失いつつも、必死になって逃げだした。



 そしてそれは、現在進行形で続いている。

 振り返っても姿は見えないが、自分はいまだ追われていると確信が持てた。

 彼に会いたい。

 声が聞きたい。

 いますぐ抱きしめてほしい。

 そんな女の願いは涙と共にあふれ、頬から顎へと流れ落ちてゆくが、遥か後方から豪快に飛んできた戦斧によって頭ごと砕かれて儚く飛び散った。






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