アタラシイオトノダシカタ

@Teteta

シンセンナオト

 USBを挿して音源を読み込む。鍵盤の上で滑らかに指が動く。上段の鍵盤。ペダルの鍵盤。楽譜が進行するにつれて同じ鍵盤でも鳴る音が変化する……。


 私は誰でしょうか?


 私は演奏をやめ、楽譜と万年筆を手に取る。ここの音は、あれの方がいい。苦労した人間の音の方が。

 足音。ああ、私の音楽室に誰か来たな。しかし、誰か呼んでいただろうか。自ら楽器や音にされに来る人はいる訳ないし……いや。


 今日は特別な日だった。

 

 試しに鳴らしただけで繊細で綺麗な音が響く。とても新鮮で耳触りがよい。私はどの楽曲にこの音色を組み込むか悩む。どの曲にも合わない。どのジャンルにも合わない。全ての常識を組み替えて非常識にする必要がある。

 自身で鳴らさない演奏は4分33秒間。でも、現代に生きる私には耐えられない。いや、演奏しなくていい。途中から耐えられなくなったら指揮すればよい。それにこの界隈は観客にも落ち着きが無いので、そのくらいが丁度いい。自身で音を鳴らさないことは一貫しているから、文句を言われる筋合いは無いし。


 楽器よ。勝手に動け、勝手に演奏しろ。私はその実験の観測者だ。


 この楽曲は観客が自身の手で見て、聞き、触れてこそ意味がある。どの観客に託そうか。いっそのこと、音楽について何も知らない者がいいかもしれない。そうすれば意外性があるでしょう?

 どこまで仕組み、どこからが偶然か。観客に指揮が露呈してはいけない。観客が飽きてもいけない。塩梅が難しい。


 最初の問い、私が誰であるかの答えが気になるって?別に、観客のあなた達が勝手に私を評価して、勝手に何者であるか決定してくれてもいいけど。

 指揮者として名乗ると観客は冷めてしまうから、奏者のときにこう呼ばれていたってことなら言える。観客は愚かにも1つの楽器の名を私に付けた。


 私はエレクトーン。


 全ての音を知っている。とも、言い難いけど。様々な音を組み合わせ、調和させ、演出する。ああ、思考が脱線していた。この音をどう楽曲に仕立てるか。まず構成から考えよう。

 ある一人の平凡な音楽と無縁な人間。気まぐれに楽器を親しい誰かに買ってもらう。最初は初心者だからと少しつついてみたり、簡単なドレミから始めようとする。だんだん音楽に引き込まれる。そして結末でその人が楽器を演奏するのか、楽器に演奏されるかは本人次第だ。その人は楽器に食べられてしまうかもしれないな。それはそれで、面白いだろう。


 おっと。楽器が起きた。じゃあ私はこれで。

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