第3話
鑑賞という言葉が嫌いだ。誰かが作った、その人生の転写や号哭を、さも他人である鑑賞者が、自分の理解や経験の下、これだという解釈を作り出すためだ。相いれない他人の人生に、汚れた足跡を紡ぐ野暮。
だから僕は、実は小説が好きじゃない。何も鑑賞という言葉は、高名なクラッシックや聡明な美術を眺めることだけには収まらない。本を読むこともそうだ。なぜなら、それらにも皆多様な魂が宿っている。
何かを作り出す、という行為は神聖視されるべきだ。本であれ、美術であれ、命であれ。そこには、その人間が出る。
しかし、それを受容するのが鑑賞という行為であることも理解している。フランツカフカに影響され、昇華されていく人間がいたように。製作に必要なのは、循環と影響である。
誰かが何かを生み出す。それを鑑賞し受容した誰かが、また何かを作り出す。其れの繰り返し。そうして、人間の歴史は紡がれる。どんなに歴史的な快挙であれ、そのサイクルから抜け出すことはない。
この世界でも、否どの世界でも同じことである。重要なのは、その循環に自らが入り込むことだ。
その行為に重要になる概念。それが夢である。こんなことが起きている。こんな人間がいる。知らない世界を鑑賞し、紡がれていくのが想像という夢である。
この世界では、夢を諦めたら死ぬことが決定づけられている。それはつまり、人間としてのサイクルから飛び出してきた人間を排斥するという行為に外ならない。
「......帰るか。」
教室から南の空を眺めて、揺れ動く雲を横目に立ち上がる。彼女の姿見を幻視し、僕は思わず振り返る。
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