中編
「吸血鬼……? それってあの、悪魔城に住んでいらっしゃる方?」
僕が告げられた衝撃的な言葉。それから連想されるものはかの有名な作品で、それをきいたそいつは首をかしげて適当に答えた。
「うん、そう。どうどう、びっくりした?」
「いや、最初に見た驚きを越えられないからびっくりはしてないかな」
死体(今から言うなら普通に体)を見た時の驚きが強すぎたせいで、吸血鬼とかいう伝説上の生き物であると言われても驚けない。こんな冗談みたいな血の量で普通に息して喋っているのだから本当にそうなんだろうけど、新鮮な驚きというよりは生きていられることへの納得が優先されてしまった。……それともただ単に、僕が現実を受け止められていないだけか。
「ちぇ、つまんないの。もう少し驚くとかビビるとか疑うとかすれば?」
「だから、もう十分に驚いてるんだって」
むせかえるような血の匂い、微かな光に照らされる血しぶきの鮮烈さに、何のトリックもなくばらばらになった体はそこに落ちている。なのにこいつは軽快にぺらぺらと喋っていて、自分の状態を何ら特別だと認識している様子が無い。……これが吸血鬼なのだろうか。
「それに、疑いようは無いよ。普通の人間ならそんな状態では生きていられない」
疑えるとすればそいつが吸血鬼ではなくて別の何かという点なのかもしれないが、結局同じことだ。人ではないのなら全部一緒、とくくると様々なところからお叱りが来そうだけれど。
「あー……ま、そうかもね」
少しだけ微妙な顔になった。
「……それじゃ、僕は帰るよ」
「え⁉ こんな状態で普通に帰ろうっての⁉」
「だって、僕には何にも出来ないよ」
ただここに立っていることしかできないのが僕だ。こいつにどんな経緯があってこの状態になったのか僕は分からないけれど、分かったところで結局どうすることも出来ない。
「そりゃそうかもしれないけどねぇ~。もう少しなんか感じても良いんじゃない?」
「……寂しいの?」
「寂しくないですぅ~。さっさと帰れ、クソガキ!」
僕は立ち去ろうと足を上げて後ろのアスファルトを踏む。だけど何かが引っかかるように気になって、さっきまで凝視していたそいつの瞳を見た。
僕の想像の中の吸血鬼は瞳が赤くて綺麗な金髪をしているものだったけれど、こいつはそのイメージとは正反対だった。時の積み重なった黒い瞳に、色が抜けたみたいな銀髪。僕を追い払って、僕が追い払われるままに帰ろうとした今この瞬間、こいつの瞳にはどんな感情がよぎったんだろう。
「……なに? 早く帰れば?」
考える。何が僕に引っかかったのか。それは多分僕の中でもう答えが出せるはずの疑問だ。無意識的な何かが答えを出してしまったから、今の僕は気になって立ち止まったはず。本を読み直すように今の一連の流れを振り返って、僕は答えらしきものを見つける。
「違うな。君――――僕に話を聞いてほしいんじゃないのか?」
僕の言葉が空気を振るわせて、振動となって。そいつの鼓膜がそれを捉えて――――。
「――――は?」
という、文字から受ける印象とは全く違う感情を込めた言葉が返事として出力された。
「そう思った根拠は二つ。君の発言を振り返ったからだ。君は最初、『これでも死ねないか』って言ったよね。死なない、ではなく死ねない。その言い方だと生きていることは君の本意ではないように聞こえてしまう。僕に自分の不死性を説明するときもわざわざ同じ言い方に直しているからそれはやっぱり強調されて聞こえるね」
その吸血鬼は僕の言葉を黙って聞いている。
「二つ目は――――君から話しかけてきたことかな。意識飛んでて今戻った、ってのもわからなくはないけれど、あんな風に声に出してしゃべくるかっていうと僕にはちょっと納得しにくいような気がする」
こういう言い方をすると少し自意識過剰に見えてしまうが、きっと事実だろうから断言するけれど。この吸血鬼は僕が来たタイミングを見計らって発言している。僕と会話をするためにかは知らないけれど。
「で、それが何で話を聞いてほしいことに繋がるわけ?」
四肢を切り落とされたままで吸血鬼は不貞腐れていた。非現実の視界の中でその態度はありふれた現実そのままのように見えて、そのギャップが鮮烈に僕には見えた。
「いや、だって……質問をしてほしい人間の態度そのものだから」
構ってほしい人間の態度だ、というのは控えた。意味深なことを先に行って、僕からの質問を待っている。そして僕が全く関心を示そうとしないで帰りそうになった時、急いで僕を引き留めた。
「…………」
むっすー、という擬音そのもののような表情でその吸血鬼は僕を見る。どうしたものか、こんな態度の死体など見るに堪えない。いや死体はいつだって見るに堪えないけれど。だから僕はしょうがなく、こいつと会話をするつもりで質問を考える。
「はぁ……しょうがない。――――なんでそんな状態になってるの?」
やっぱり僕がこいつなら一番聞いてほしいことはここになるのだろう。こんな死亡必至の状態になった経緯、そこがこの会話の一番の肝であることは分かっている。
「それ、聞きたい?」
「勿体ぶるなら気にならないって言う」
勿体ぶったように聞こえる事を言われて僕は反射的にそう返してしまったが、よく見ればそいつは勿体ぶろうとはしていなかった。この発言の意図は僕の反応を引き出すためのものではなくて、こいつ自身のための発言だったように見える。……だって、表情と声音から推察する本音は『聞いてしまうのか』というものの様だったから。
「……訂正するよ、言いたくないなら言わなくていい」
聞いてほしいことはきっと事実だったのだろう。そうでなければあんな話をした僕とまだ会話をしてくれるはずが無いのだから、僕の推理はあっていたことになる。だけど誰しもが疑問に思う点に対しては言いたくないという。……随分と面倒な人間、いや吸血鬼に遭遇してしまったらしい。
「…………言うよ、せっかく聞いてくれたわけだしね。アタシは――――自殺、したかったんだ」
その発言は予想外で、だけどこれ以上なく腑に落ちた。
「なるほどね、だから君はそんな状態に――――って、流石にそんなスムーズに納得は出来ないよ。どうしてそんなことを思ったんだ?」
ここまで、執念を感じるまでばらばらにされていたことへの説明は出来る。自分が希望していたのなら紐を引っかけるとか協力者を用意するとか自分で頑張るとかの方法を取れるだろう。僕が何となく感じていた、『吸血鬼とかいう超常存在なのにこんな風になっちゃうんだ』という思いへの解答としてもこれ以上なくベストマッチだ。だけどやっぱり、理由への疑問は尽きない。
「なんでって……それを話すのはちょっと恥ずかしいかなー」
「恥ずかしいって……わかったよ、じゃあ質問をかえる。君はどうやってそんな状態になったの?」
聞いた直後にどんな血生臭い答えが返ってくるかと恐々としたが、意外にも? そいつは答えを渋っていた。配慮をされているのか、別の理由があるのかわからないけれど。
「なんで言いにくそうなんだよ」
「いや、ただ高いところから落っこちてきただけだからさ。浪漫に欠けるなって思って」
そんな配慮はいらない。というか逆に浪漫のある自殺方法っていったい何があるんだよ! あれか? 空島から飛び降りるとか、ライバルと決着をつけてやられるとかか? って死ぬことに浪漫も何もありゃしないだろ! ……というか
「高いところ、ってどこよ? この辺田舎だし、高いところなんてどこにも……」
見渡す限り(今は夜だから視界が悪いけど)の地平線が広がるのがこの辺りだ。一応山が道の突き当りにはあるけれど、その山だって大して高いところとは言えない。ならどこからこいつは落ちてきたというのか。
「あるじゃん、上」
「はあ?」
田舎特有の電波塔のことを指しているのだろうか。確かにそれがこの辺では高いところになるけれど、あれぐらいの高さから落ちたところでこうはならない。……多分普通の人間は死亡するけれど、衝撃で四肢がばらばらにはならないと思う。
「……悪魔城の人って空飛ばないっけ?」
全く発言の意図をくみ取れない僕にしびれを切らしたのか、そいつはそのように補足の説明を入れてきた。ああ、そう言うこと。確かに吸血鬼なのだから、それぐらいは出来たっておかしくないね。
「空飛んで落ちてきた、って言ってもなあ……落っことしたプラモデルみたいに四肢がばらばらにはじけ飛びそうにはないんだよな」
体がバラバラになる力でもあるのなら話は別かもしれないが、そんなびっくり人間みたいな力は持ってないはずだ、多分。
「アタシは意識なかったからわかんないんだけど、多分体は潰れたんだと思うよ。肉塊みたいに。そっから再生するのが吸血鬼の力だから、四肢と胴体の再生基準になるパーツが離れてたって感じじゃないかな」
「うわ」
すげーぐろい話だ。大丈夫か? レーティング18とかにした方がいいんじゃないか? 小さい子には聞かせられない話になっちゃわないか?
「え、じゃあもしかして割と落ちてきてすぐ?」
「んーん、けっこー立ってるはずだよ。心臓とか脳の再生に時間かかるはずだから」
「うわ」
これ以上この話を深堀りするのは辞めた方が良さそうだ。想像力豊かな人が詳細に想像し過ぎちゃって嫌なことになるだろう。僕もそろそろ冗談じゃ済まなくなるかもしれないし。
「だからそろそろ再生が終わるはずだから……お、来たね」
言葉の途中でそいつの四肢がぎゅるっと胴体に接続した。なんていうのかな、植物の成長を早送りで流したビデオみたいな感じだった。そしてそいつは街灯の下で立ち上がる。癪なことだが、見下ろしていた僕の目線がだんだんと上がってきて僕と並んで、少し見上げるぐらいの高さまで上がってしまった。
「やっぱり体はあった方がいいね」
「一個も共感できない発言だよ」
上から見下ろされる経験は今まで何度もあったが、今回ばかりは何も感じないというわけにはいきそうにない。見下ろしていた時と関係性は変わらないのに、こいつに四肢がついて動き回れるとなると人間を越えた存在と対峙しているという恐れが心にしみこんでくる。
「それで、まだアタシと話してくれるのかな?」
――――気づかれている。僕が今改めて恐れたことを、こいつは気づいた。ならこの質問の意図は一体なんだ? 僕が話したくなかったらここで会話を打ち切るって意味なのか?
「そろそろ時間が遅いから家に帰るよ、って言ったらどうする?」
もちろん嘘だ。まだまだ夜は長くて僕の家には門限のようなものは存在しない。だから居ようと思えばいつまでだって僕はここに残っていられるのだけれど、一応引っかけようと思って僕はそういった。何を引っかけたかったのか僕にもわからないが。
「それじゃあバイバイ御機嫌よう、って言って帰してあげる。アタシねえ、別にキミを狙ってるわけじゃないんだよ」
「……悪いね。改めて冷静になっちゃったら、どうしても怖くなった」
ああ――――そうだ、僕は今境界線に立っているのだ。自分が十九年間積み上げてきた常識と、今初めて知ったありえない存在達との境目。見知った既知の閉じた箱庭から、いつ未知の現象で死亡してもおかしくない世界が隣り合ってしまっている。……少し極端かもしれないけれど、まだ死にたくはないから。だから僕は過剰に怯えているのだろう。
「何が怖いの?」
「今の状態のまま僕が死んでしまうこと」
自死を試みた吸血鬼の前でこの言葉を言い放つのは皮肉なことを言っているようになってしまうかもと少し迷った。だけど僕にはそれ以外の言葉は扱えない。
「ふうん。……そんなようには見えないけど」
「――――なんで?」
もっと良い言い方があったはずだけど、僕はなぜかそんな直接的な子供っぽい言い方しか出来なかった。言われた言葉の驚きがすごく大きくて何も考えられず――――ぽっかりと穴が空いたまま口に出していた。
「ん、いやだから。アタシにはキミがそこまで生きたいって思っているようには見えないって言ったんだよ」
「…………なんで」
「キミがアタシと会っているから、かな。キミを含めたたくさんの人間がアタシ達みたいな化物と会わないのは文字通りに住んでる世界が違うから。人間とアタシ達は互いに会わないように、そうやって分かれてるんだよ」
「だけど今、僕たちはこうして出会ってるじゃないか」
その話が本当であることは信じるしかない。だって僕はこれまで生きてきてこのような場小物に出会ったことは無いし、他の人からも出会ったという話を聞いたことが無いのだから。ある程度の棲み分けはされているのが当然だろう。――――だとするなら。どうして僕は今こいつと会っているのだろう。
「その理由はねえ、アタシ達がどっちも生きることへの意欲を無くしちゃったからだよ」
「――――は?」
今度は、僕が言葉と音が一致しない発言をする番だった。
「だってほら、棲み分けしたって死にたい奴には意味ないじゃん? だからそういうルールになってんの。まあ信じるも信じないもキミ次第だけど」
そう言って言葉は打ち切られるが、僕は正直信じられそうになかった。だって僕のことは僕が一番分かっているはずで、その僕が考えるところによると僕は全然死にたいなんて思ってない。だから僕はその理由を受け入れることは出来そうに――――。
「……アタシ思うんだけど、死にたくないことと生きていたいことは別物だよ?」
「な、あ……?」
――――僕の思考でも読んだかのように、そいつは冷たくそう言い放った。自分の言葉を奪われた驚きで僕の言葉はほつれ、意味をなさない文字列を僕は声に出す。
「歌の歌詞とかで言われてさ、満足か慰められたこともあんじゃない?『死にたくないから生きてても良い』って言葉に。アタシから言わせればそんなわけがないよねって感じだよ。やっぱ生物には生きる理由ってものが必要だ。死なない理由は死なない理由なだけ。それを生きる理由と誤認するのはいただけないなあ」
……一理ある、のか。死にたくないことだけが生きるモチベーションなのだとしたら、そいつの人生というのはただ息を吸って吐くだけ、食べ物を食べるだけ、眠るために眠るだけ。一連の活動を束ねたものが生きているという状態だと言うことになる。少なくとも僕はそれを認めることは出来ないだろう。
「アタシ達……じゃなくて、キミ達人間が生きるという状態を考える時、一定以上の充実がその言葉には含意されている。死への忌避から生を選ぶことは出来ない。生きるには生きるための目的を持たないといけない、ってアタシは思う訳」
「――――じゃあ、今の僕は死にたくないだけってことが言いたいのかな?」
「さあね。アタシは神様でもキミの友達でも無いのだから、キミの心情なんかわからない」
そういわれる。まあそれもそうか、確かに僕の心がわかるのは僕だけだろう。
「……それで、僕はどうすれば良いのかな」
僕が生きていたいという嘘をついてしまったことから始まってしまったこの話だったが、終着点はどこにも存在しないことに今気づいた。
「どうすれば良いもこうすればいいもないでしょ」
僕のその言葉に対し、そいつは不思議なことを言っていると思っていることを隠さない表情で言った。
「……なんで?」
「だって今困ってる?」
そう言われると返答に困る。自分が生きる意欲に欠けていると指摘されたことには動揺したし、その状態のままでこれから過ごすのかと考えるとそれは避けたいと思ってしまう。つまり僕は何とかして生きる意欲を取り戻したいと思うのだけど、それを困っているという言葉で片付ける事は出来ないみたいだった。
「困っているか困っていないかの二元論で考えるなら困ってないかもね、確かに。でも僕はこのままでいて良いとは思えないよ。僕は――――これからをしっかり生きていきたい」
生きたくないと自分が思っている事には無自覚だった。だからこそ僕は、しっかりと自分が生きる理由を見つけたいのだ。
「……そうは言っても明確なゴールは無いよ。キミがその意欲をいつ抱けるかということにしかこの状態を打破するきっかけは無い」
「そうだね。これはあくまで僕の問題だ」
だけど。僕がそれを見つけるために出来そうなことは一つだけある。
「僕は今日は家に帰るけど、明日また君に会いに来るよ。……僕が生きるための最初の一歩として、君のことを教えてほしい」
「……そこでなんでアタシが出てくるかなあ」
心の底から疑問に思っているようだったが、僕の中では不思議はない。あいつが言っていた言葉をひっくり返せば既に答えは出ていることだから。
「『アタシ達がどっちも』って君は言った。……だから君も僕と同類だ。確かに君は僕とは違って自分の願望に自覚的で、行動もしているから少し先の段階に居るのかもしれないけれど。僕は僕のために、君のことを利用させてもらうよ」
この吸血鬼は自殺志願だった。どんな方法を今まで試したのか知らないけれど、生きる理由が無いだけの僕とは違ってこいつは死ぬ理由がある存在だ。僕の先輩として、もしくは僕の反面教師として。僕が自分のことを考えるために利用できるかもしれない。
「それ、アタシに何かメリットある?」
「……僕も自殺を手伝うよ」
この発言を僕がするのは何か問題があるかもしれないが、まあこれもまた何かの対比っぽくなっていいだろう。
「ただの人間のキミに、何が出来るんだか」
「一人よりも二人の方が幅は広がるってものだろ」
そんな風にぐちぐち言いながら僕はそいつへと手を差し出した。
「僕は游。これからよろしく」
「え、マジでやるの? ……はあ。アタシはカサネ、さっさと終わらせてよね」
僕とその吸血鬼は……カサネと僕は、そうして手を握った。
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