酔生夢死にはなりたくないから

海月爛

前編

 ――――生物は生まれた時から死に向かって歩んでいる、それが父の口癖だった。あまり過去を語りたがらない父だったからそれがどのような背景を持っている言葉かはわからないけれど、小さい時から言われていたせいで随分と心になじんでしまった言葉だ。

 ――――死ぬ前に美しく咲くような人を目指しなさい、と母はずっと言っていた。この父にしてこの母ありというべきか、割れ鍋に綴じ蓋という言葉がこれ以上なく似合う円満夫婦だったと言うべきか。僕にはわからないけれど、まあそのような人達に僕たちは育てられてしまった。

 ……ああ、『しまった』だ。僕がこの人達に育てられたことに対して、僕の意思は一切介在しない。僕が意思というものを抱かせてもらったのはこの人達のおかげであることは否定しない、だけどこのような考え方になっちまったのもこの人達のせいであることも事実だ。

「……まあ、嫌いじゃないけどさ」

 墓前に花を供え、僕は目を閉じていろいろと回想する。つまらなかったことも楽しかったこともたくさんあって、墓前だということも加味すれば涙ぐらいは流しても良いかと思ったが、意思に反して僕の目は乾いていた。

「…………そろそろ帰ろう、この後の予定もあるのだから」

 僕の隣で僕より熱心に何かを考えていた姉が先に立ち上がり、なんとなく座ったままだった僕に対してそう声をかける。

「そうだね、行こう」

僕も姉につられて立ち上がり、歩き出しているその背を追った。



 車の中、運転席側の後部座席に座って僕は外を眺める。ススキや小さな青い花などの所謂雑草が生えているその道の脇を目が滑っていくことを他人事のように思いながら、運転席の姉のことを考えた。

 僕とは二歳差、大学三年生の二十一歳。就活を目前にした状況で父母が亡くなる、というのは他人から見たらかなり悲しいことなのだろう。実際姉がどのような悲しみを抱えているのかは僕には推察することは出来ず、たかだか予想することしかできないけれど。

「游、おまえはこの後どうするつもり?」

 僕が考えていることなど露知らず、姉はそのように聞いてくる。驚いて深く考えずにしてしまった返事はまさに僕の本心で、ミラーの向こうで姉が眉をひそめた。

「この後……? 考えてないよ。生活の心配とか、した方がいいならするけど」

 父は小説家で、母は作曲家だった。僕はそのことをひた隠しにし、両親の社会的影響から逃れようと生きてきた。だから彼らがどれだけ優れた芸術家達だったのかあまり理解していないが、生活に困ることは無いという話だけは生前に聞かされていた。だから当面、僕は何の心配もしていない。

「そうか……そうだな、お前はそれでいい」

 ひそめていた眉を戻し、何かスイッチを切り替えるようにため息をついた。まさしく他人事として僕はそれを見て、背もたれに体を預ける。対して距離の無い家までの道のりは一瞬にして流れ切ってしまい、僕はほとんど追い出されるように姉の車から外に出た。

「……私はこのまま買い物に行くが、おまえは何か欲しいものがあるか?」

「いや、僕はいい。それよりも少し散歩してくるから鍵貸して」

 姉は財布の中から家の鍵を投げて僕によこし、何か言う時間をこちらにくれずにそのまま走り去る。昭和のカートゥーンのように去っていった車を眺め、僕は家の鍵を閉めて散歩へと向かう。



「――――」

 散歩の最中はいろいろなイメージが浮かんでくる。断片的な空想ばかりが今見えている現実の世界の上に重なるような感じがして見えてくるが、その空想には架け橋が無い。場面場面しか出てこないその想像を僕は振り払うほど強くもなく、受け入れられるほど弱くもなかった。

 自分の足音がアスファルトを叩き、細かな砂利が靴底とすれて音を立てる。少しずつ涼しくなってきた風が僕の頬を撫でていき、夏の匂いが遠ざかる感覚を惹起した。……まあ暑い日には外に行く気持ちなんか無くなってしまうから、そもそも散歩に行こうと思っただけで十分秋を感じていたという言い方も出来るけれど。

『常に周囲を観察するんだ』

 思い出されるのは父の言葉。もう僕の目の前から去って二月が経つっていうのにやけに思い出してしまう。アスファルトのひび割れを凝視して僕は歩く。上手く言葉に形容できない、秋めいてきた感覚につられて僕はその場でくるっと一回転、そして両手を広げて駒のようにふらふらと道の上を歩いていた。

 ――――すると。

「……お」

 断片的だった想像、それを一本の糸が綺麗に縫い上げるような感覚がした。久々に僕へと訪れたその感覚を愛し気に思い、しばしの間目を閉じてその縫物の手触りを確認する。縫おうと思って生まれたものでは無いからか、まだまだ目は粗くて改良の余地はある。だけどいかんせん久しぶりのものだったから、僕は出来栄えとかを気にせずにその縫物を大事に抱えて家へと戻る。

 紫の花の横に寄り添うように青い花がささやかに咲く、綿毛のような植物が雑草まみれの畑に一本だけ立っている。日が落ちるのが早くなったからか、家の向こうに日は隠れてしまって空は茜色に染まろうとしていた。

 その中を僕は歩き、野良の猫が草の蔭へと隠れて行ったのを横目に山へと向かう。夕暮れに行く場所ではないような気はしていて、実を言うと戻ろうとしてしまう気持ちもあるのだけれど、そこで戻るという選択をすることが嫌だと言う心理状態になった僕はそのまま直進を選んだ。

 早咲きの桜があるY字路へとついた。今はその桜の美しさの影もなく、ただの葉が落ちかけの木でしかなかった。水の無い水路にその色が変わった葉のいくつかは落ちていて、水を含んだ質感へと変色していた。……秋の匂い、だ。僕はその光景にそれを感じた。

「……行くか」

 昼から夜へと移り変わるその景色には僕の居場所はない。だけど今感じている匂いを逃したくなかった僕はその感覚に抗うように足を進める。

 太陽が出ている昼でさえ日陰になる道だったが、日暮れに歩くとより暗いのだと当たり前のことを知った。薄暗さに少しだけ怯えながら僕は歩き、ふと同じような明るさの時にこの道へと来たことがあることを思い出した。

 記憶を遡ればそれは家族が全員そろっていた時の記憶で、初夏に蛍を見ようとしてこの道へと来たのだ。観光名所の近くに住む人間の全員がわざわざそこへ行こうと思わないことと同じで、蛍が生息しているというのがどれだけ珍しいことかは知っているけれど、僕たちはそうそう蛍を身に来ようとしない。だから思い出した記憶は随分前の記憶で、まだ姉が中学生とかそれぐらいの時の物なのではないだろうか。

 当時の僕は夜が嫌いな子供だった。明るい昼間が好きで、日が落ちた後にする活動など数えることしかないような人間だった。父と母の言葉の意味もいまいち理解できていなくて、親の教えだと感じたことすらなかったかもしれない。ただ言われていた言葉だとしか思えていなかったかも。

「……どんな会話したっけ」

 それは全く思い出せなかった。姉の手の感触や蛍の淡い光、僕が何かを見て喜んだことは覚えているのに、その中身が何一つ思い出せない。情景は浮かぶのに音声が聞こえてこないその光景は無声映画を見ているみたいだった。自分のことで自分の思い出なのに、現実感というのが抜け落ちている。不思議な感覚だった。

「多分当時はパパとママって呼んでて、それを向こうも受け入れてくれていて」

 推理するように記憶を探る。欠片から推察できる僕の生活を考えて、僕たちがどんな家族だったのかを思い返して。

 そのようなことをしていると、いつの間にか庵についていた。整備されていない木の橋が水路の上にはかけられていて、ひっそりとその庵は僕たちを待っている。昼でも夜でも変わらずに、晴れでも雨でもそこにはあって。

 この庵に座ったことはない。今後も座ることは無いだろうと思われて、それが僕には嬉しく感じられた。

「……帰ろ」

 ふっと湧いた気持ちを口に出し、それに対する抵抗が無いことを自分で確認する。

姉はまだ戻っていないだろう。よく考えたら自分の鍵を渡してしまったのだから僕が帰るまであの人は家に帰れないことになる。それは申し訳ないので僕は急ぎ足で家へと戻った。



 僕が家に戻った時、全く姉が返ってくる気配は無かった。鍵を回して無人の家に入って玄関に姉の鍵を置いておく。そのまま手を洗って自室へと入り、電気もつけず僕は布団に倒れこんだ。

「……」

 寝ころんだ僕の目からは、電源が切ってあるパソコンが机の上で待っているように見える。散歩のときに繕われた言葉が僕の中で熱を持つように動き出して、そのパソコンへとそのままぶつけてしまえとどこかで言葉がするけれど、現実の僕の体は指一本動かない。内側で暴れる熱を外へと排出出来ない、のならまだましだ。実際の今の僕はその熱を正面から冷まそうとしてしまっている。

 水をかけて、鎮めようとして。それに抗おうとする心の動きもまた別のどこかで生まれているようにも感じるけれど、結局僕は全身から力を抜いて布団へと体を預けた。

 パソコンは何も言わない。本棚に収められたたくさんの物語も何も言わない。カーテンを開いたままだったから差し込んでくる夕の日ももちろん喋らない。僕はどこまで行ってもこの部屋に一人きりで生きている。室内には外と違って夏の匂いが残っているけれど、それが僕の中の熱を蘇らせることは無かった。

「――――」

 布団に寝ころんでいるだけで体は休む準備を始めてしまうのだろうか。少しずつ重くなる瞼をそれと認識することなく、僕は意識を手放した。


 ――――夢というのはとかく不思議なものだ。


「…………?……??……?……???」

 意味の分からない夢を見たことは覚えている。だけどその中身が一切記憶になくて、僕は不思議な気持ちを抱いたままで目を覚ました。

「……いまなんじ?」

 手に持ったままだった携帯を付けていきなりの眩しさに目をやられる。だけど今が夜の八時だということを知ることは出来て、僕はふらふら歩きながら居間へと向かった。

「おや、眠っていたのか」

「ごはんってもう食べた?」

 そう言って僕を出迎えた姉が流しに立っていたので、もう食べちゃったんだろうと思いながらもそう問いかける。そうすると姉は黙って手を拭いて食卓へと行く。僕もその後を追えば、まだ手の付けられていないご飯が二人分そこにはあった。

「……食べててよかったのに」

「そういう訳にもいかない。食事は誰かと食べてこそ、だ」

 先に姉は席に着く。僕を待つようにそのままこちらを見てきて、だから僕は急かされるようにその隣に座った。

「いただきます」

「…いただきます」

 無言で食事は進み、僕は目の前の今の食卓を見ながら数か月前の食卓を重ね合わせてしまった。まだ家族が四人居て、騒がしいということは無かったけれどもみんなが揃っていたときの食卓。今さらになって思い出すということは僕はそれなり以上に好きだったということなのだろう。

「「ごちそうさまでした」」

 流しへと食器を置き、僕は逃げる様に外へと出た。がっちゃん、という重たい扉の閉まる音を背中に受けながら僕は夜の街へと再び繰り出し、街灯も薄暗い道を歩いた。

 この格好では少し肌寒く感じるぐらいに涼しくなっていて、僕は少しだけ驚きながら夜の道を歩く。五歩先も見えないような明るさの道で、それが逆に僕の気分を上げてくれた。

 暗がり暗がりへと僕は進み、光から逃げるために大通りの反対に歩く。山奥へとつながる一本の長い道、そこのど真ん中にある街灯の下に――――僕は一つ、人影を見つける。

「――――!」

 何かを僕はそれに感じて走る。歩く速さが少しずつ上がって、その人影へと近づいていくのに従って、何か空気に嫌な匂いが混ざり始める。最近触れてしまったそれは、今でも僕の記憶の中心に陣取っていて――――その匂いは、死の匂いだった。

 走っているからか、それとも自分が立ったことのない空気へと飛び込んでいるからなのか、僕の耳元で心臓があるように感じるぐらいうるさく鳴っていた。

「――――な、あ?」

 街灯の下、そこだけ闇夜を切り裂くスポットライトのように照らされる場所で僕が見たものは――――死体。

 大人の女の死体が、そこにはあった。




「う、ひ、あああぁああああああ!」

 喉が潰れそうになるほど/目の前の現実を否定しようとするかのように/そうして自分の形を保たないといけないという恐怖心があったからなのか/ 僕はその光景を前に叫んでいた。

 死体、遺体、屍、死骸、骸、ありとあらゆる言葉が脳内で氾濫する。四肢がもがれてそれはそばに落っこちていて、だるま状態になって血だまりの上に落ちていた。

 どうする、どうする、どうする……どうしよう⁉ 救急車呼ぶ? 携帯は部屋に置いてきてしまったし、そもそもこれって救急車とかで何とかなるもんなのか? わかんない、わかんないけど僕がここに居てどうにかなるものでも無いような気もしてしまう。

「――――ぁ」

 …………声?

「っ⁉ 今、しゃべろうとしたよな⁉」

 僕がいろいろと考えるふりをして現実から目を逸らしていたとき、僕は確かにこの目の前の死体が動いた声を聞いた。四肢を切断されて、この血の量が流れていて、どこにどんな傷があるのかわかんないぐらいの怪我だっていうのに、まだ動けるのか⁉

「いったぁ~~。マジか、これでも死ねないかぁ」

「⁉⁉⁉」

 でかいため息吐いた後に普通にしゃべりだしただって⁉ しかもその声音に痛みや苦痛は無い、いやセリフとして痛いって言ってはいるけど、僕の見る限りそんな軽い反応が出来るような怪我じゃないぞ⁉

「……お、なんかこっち見てんね。アタシに何か用があるわけ?」

 ――――そんな風に目の前の現象に踊らされている僕のことをそいつは見てきた。

「―――っ」

 人の物ではない。こういう時に連想しがちな蛇とか猫とか、そのようなものの瞳でもない。僕の理解を大幅に超えた存在の瞳であることは直感的に思い当たって、そう思った理由として一番あるのは――――瞳に宿る時間の重たさだった。

 時間。それを砂として例えるのなら、僕の瞳には少ししかそれは積もっていないだろう。まだ空白の場所が多いはずで、光が通り抜ける隙間がたくさんあるはずだ。だけどそいつの瞳は違う。ぎっしりとそいつの瞳には砂が詰め込まれていて、淀んで濁っているように見える。

 地域のご長老でもそんな段階にはいかないだろう、光を通さないブラックホールのような瞳。どれほどの時が降り積もってきたのかわからないその眼が僕を真っ直ぐ射抜いてきて、だけどそれと共にかけられた言葉は疑問で。だから返さないとって思った僕は微妙にずれた言葉を吐いた。

「いや、用は無いけど……君、それ死なないの?」

 がさがさの声が綴った言葉は小さな子供の疑問のような言葉で、それが染みたのかそいつはへらっと子供みたいに笑った。

「うん、死なない。っつーよりも、死ねないって言った方が正しいかな」

 ただの人間には積み上げられないだろう時間を積み上げていた瞳、そんな状態になった理由が僕に告げられる。

「アタシは――――吸血鬼だから」

 ニヤっとそいつは笑って、街灯の光に――――八重歯が光った。

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