第11話 海路規格戦 ― 星と潮の線
1 港は息を止める
朝凪の港は、音がやけに遠かった。
碇鎖の打ち合う乾いた金属、帆布の擦れる低い溜息、桟橋の木が潮で軋む音――どれも薄い膜の向こうにある。空の雲が水平線の上でちぎれ、光条が斜めに水面へ落ちていた。
「帝国規格艦隊、外洋に航路を敷設。商船の拿捕、続発――」
王の布告を読み上げる伝令の声に、広場の空気が詰まる。
魚を抱えた少年が網を落とし、塩で荒れた掌で口を押さえた。
屋台の女将は帳面を胸に当て、奥歯を噛む。
――海が、敵に奪われる。
俺は桟橋の最先端で、折り畳みの海図台を開いた。
地図は皮紙ではない。潮汐と風帯、海丘と渦、星座の移ろい――この世界の“海の設計図”そのものだ。
こめかみの裏で線が集まり、脈を打つ。
《新スキル獲得――【規格航路(スタンダード・ルート)】》
《副機能――【潮汐演算(タイド・カリキュレータ)】/【風帯折衝(ウィンド・ネゴシエーション)】/【海人位相(マリナーズ・フェイズ)】》
線が見える。帝国が黒い航路で海を縛っている。その線に触れた船は意思を奪われ、“既定の港”へ吸い寄せられる。
なら、上書きするだけだ。白い線で。
「設計監」
セレス・アルダインが騎兵の癖のまま颯と歩み、剣の鍔に指を掛けた。風が彼女の銀髪を押す。
「王命は届いた。海軍は三隻、商会から二隻。旗艦は、あなたの“改造船”で」
「グレイハーベン号だ。船体導管は夜のうちに組み直した。――出るぞ」
ガロム・ブレイザーが樽を片手に肩で担ぎ、片手でひょいと甲板へ投げた。「ガハハ、港の酒を空にする気か? 負ける気がしねえ!」
リナは甲板上で光紋を編み、医療具を固定していく。指には《位相指輪(フェイズ・リング)》。詠唱の“引っ掛かり”が消え、光が滑る。
「アレン」
パーカーを羽織った若い船大工が、ねじ回しを耳に挟んだまま駆け寄る。「船首の導流板、あなたの指示どおり“半拍遅相”で仕込みました。波頭、整います」
「いい手だ。――出航」
鐘が三度鳴り、港にいた空気がふっと動いた。
グレイハーベン号が舫いを解かれ、前へ滑る。海はまだ静かだった。
2 出航 ― 白い道を引け
港外の浅瀬を抜けると、海の線は濃くなる。
帝国の黒が、海表に髪の毛のような細線で何層も走り、所々で束へ結ばれていた。束の芯には“強制方向”の符号。触れれば、舵は舵でなくなる。
「【規格航路】――潮汐演算、起動」
俺の足元の甲板に薄い光格子が走る。周囲の水面の脈動、月引き、外洋風の角度、それらすべてが数式化され、白い“路”が海面に浮き上がる。
「【風帯折衝】――脈、交渉」
風の層に、ほんの一拍の間だけ“抵抗”を挿し込む。北からの偏西が、角度を変えた。白い路に沿って、帆がふくらむ。
舵手が驚きに目を丸くする。「勝手に舵が軽い……いや、違ぇ、道が舵を持ってる!」
「道は俺が持つ。舵は道を滑らせる。――その逆はしない」
後ろから商船二隻。先頭の老船長が帽子を振り上げ、破顔した。「設計監殿! 白い道ってのは、こういうもんか!」
「ついてこい。黒の束は、避ける」
黒い線に白を被せると、帝国の束の芯がうっすら“外れる”。
強制力は無力化され、こちらの意志が戻る。
……設計は、海でも通る。
甲板の端で、船員見習いの少女が網に腰をかけ、目を輝かせていた。
「ねえ、あの白いの、綺麗……手を伸ばしたら触れそう」
「触っていいのは舵だけだ。線は目で掴め」
「は、はい!」
3 帝国規格艦隊
正午を過ぎ、海は青から鋼に変わった。
水平線の向こうに、黒い角がいくつも浮かぶ。
帆柱は幾何の塔、檣楼は計器と光の窓、舳先には巨大なコンパス――帝国規格艦隊だ。
旗艦の艦橋に、あの男の姿が小さく見えた。式角グラディウス。視線だけで計測してくる種類の人間。
「航路未承認。異物、排除」
機械のような声が信号旗とともに風に乗る。
海面が粟立ち、黒い線が束になってこちらへ伸びてきた。
触れれば、終わる。
「――触らせない」
「【規格航路】――迂回層、挿入」
白い路が黒の束の直前でふっと“潜り”、束の下を抜けてまた浮かぶ。
道は繋がった。
商船の船員が涙声で叫ぶ。「進む! 進める!」
帝国の側舷から、小艇がいくつも降りる。
規格兵――同一角度で漕ぎ、同一リズムで呼吸し、同じ筋肉で腕を振るう“均一品”。
甲板に上がれば、武器ではなく工具のようにこちらを穿つだろう。
「近接、来ます!」
セレスが剣を抜き、姿勢を低くする。
ガロムは斧を肩から降ろし、柄の革紐を強く握り直した。
リナは前甲板で光鎖の準備に入る。
俺は船首のレールへ方舟砲を載せた。
4 断層砲と方舟砲
黒い旗艦の舳先が眩く光る。
断層砲――海の層そのものを切り離す帝国の暴力。
発射。
海が、裂けた。白い波頭が左右に分かれ、海獣の口のように巨きな溝が迫る。そこへ落ちたものは二度と戻らない。
「【規格武装】――方舟砲、点火」
俺は照準を“裂け目の稜線”へ合わせた。
方舟砲の本質は、破壊でも貫通でもない。**“海を繋ぎ直す”**ことだ。
灰銀の閃光。
砲弾は水を破らず、水に“回路”として入る。裂け目の両側の縁が再配線され、断層の切り口が自己相補で閉じた。
海が一つに戻る。
船尾の船員が腹の底から吠えた。「道が戻った! 戻ったぞ!」
旗艦の艦橋で、式角がわずかに首を傾けるのが見えた。
――測り直したな。
その仕草に、俺も無意識に頬が緩む。
5 甲板戦(多視点)
5-1 セレス
「左舷、取り付かれる!」
小艇が跳ね、鉤が欄干へ食い込む瞬間を、セレスは歩幅ぴたりで詰めた。
刃は肉を狙わない。鉤の“支点”だけを断ち落とし、乗り込む足の“拇趾球”を蹴る。
倒れかけた規格兵は、すぐに均一姿勢へ戻ろうとする――そこを鞘で喉元を押さえ、呼吸の拍を一つずらす。
均一は、美徳であり、弱点だ。
「次!」
彼女は叫び、三人、四人、五人――“人”ではなく“規格”を崩していった。
5-2 ガロム
「お前ら、船っつうのはな!」
ガロムは斧の背で床をぶち抜き、甲板下の梁を一瞬覗かせた。「骨で立ってんだよ!」
規格兵が踏み込みの瞬間に、梁の支点へ微振動を叩き込み、膝の角度を壊す。
彼は一度も刃を殺しに使わない。柄、背、足、肩。
最後に転がった兵の胸甲を掴み、海へ放り込む前に耳元で言った。「泳げ。死ぬな。上に伝えろ。俺らは“折らない”で勝つ」
5-3 リナ
「【光鎖(ルクス・チェイン)】!」
リナの鎖は、鉄ではない。意志で折れず、命で締めつけない光の束。
彼女は甲板に倒れた兵の四肢を固定しつつ、味方の裂傷へ短い光を落としていく。
位相指輪が詠唱を半拍詰め、治癒は“次の一撃の前”に間に合う。
「まだいける! 呼吸、合わせて!」
彼女の声は、規格でも命令でもない“現場のリズム”そのものだった。
5-4 船員少年(市民視点)
見習いの少年はロープにしがみついたまま、目を皿にして世界を見ていた。
海に白い道が光り、人が刃でなく“線”で戦っている。
規格兵が倒れても、誰もとどめを刺さない。
(――こんな戦、見たことねえ)
彼は歯を鳴らしながらも、次の瞬間には滑車へ走り、帆の角度を半拍だけ詰めた。
白い道がそれに応えて、ほんの少し、船が速くなる。
(俺の手でも、動くのか)
6 海図上の戦い
方舟砲の反動が臓腑に残る。
俺は片手で欄干を握り、もう片手で空の“海図”を撫でた。
帝国の黒い束は、港―外洋―拿捕港の三点に太い幹を持つ。
幹の根を断てば、枝は自重で倒れる。
「【海人位相】――商船団、同調」
後方二隻の舵の“迷い”を合わせ、俺の白線へ吸着させる。
「【潮汐演算】――反転湾流、誘導」
遠くの海丘を“流体レバー”にして、黒い束の根に横流をぶつける。
黒の幹が、わずかに“撓む”。
――動く。
「右十度、舵!」
舵輪が回り、船首が白い路の曲率に沿って滑る。
帝国艦が慌てて束を再生成するが、根の撓みが回路に歪みを生み、命令が波打って遅れる。
「設計監!」
信号員が空を指す。
旗艦の艦橋に式角が立ち、信号旗が翻った。
〈測地切断〉――黒い幹が“直線”になり、海の遠近がひとつの計測軸に潰れる。
「直で来るか……!」
7 思想の斬り合い
風に乗って、式角の声が届く。
「設計監。貴様の規格は甘い。不良品を不良品のまま許容する欠陥規格だ。
我らは均一を良しとする。規格は“選別”だ。海は冷たい。選ばれざるものを沈める」
俺は方舟砲を肩に担ぎ直し、応えた。
「選別は、設計の最初に置くべきじゃない。使い方が先だ。人も船も都市も、まず“通す”。通せば、直せる」
式角は片頬で笑った。「では試そう。通せぬもので満たしてやる」
旗が翻る。
黒い小艇が一斉に投下され、海面に泡の帯が立つ。
毒でも火でもない。負圧だ。呼吸する海を、吸い込んで潰す帯。
8 臨界 ― 白い道の再設計
「全船、吸い込まれる!」
甲板のあちこちで悲鳴。ロープが引き千切れ、帆が逆に膨らむ。
白い路が負圧に吸われ、黒い帯と絡み合う。
脳が焼ける。
【演算掌握(ドミナント・オペランド)】が、海図全体を“自分の脳”として扱い始める。
遠い海丘、風の層、船底の渦――全部が同時に声を上げる。
――飲み込むな、吐け。
――折るな、撓れ。
――道は一本でなく、束ねて細く。
「【規格航路】――多層束路(マルチ・レーン)、展開!」
白い道が一本の帯から“細い髪”にほぐれ、数十本の微細な路が海面へ刺さる。
各レーンは互いに位相ズレを持ち、負圧の吸い込みを“相殺”していく。
吸い込まれた力は、白い束路の間で回り、海表へ戻るリサイクル流に変換される。
「舵、滑る!」「進む!」「持ち直した!」
商船団が歓声を上げる。
セレスが短く笑い、「やれる」と言った。
ガロムが柄で欄干を叩く。「ほら見ろ海! てめぇも息して生きてんだ!」
式角は艦橋で微動だにせず、ただ旗を一枚だけ落とした。
〈主規格艦、入域〉。
9 黒曜アーク
霧が、海の温度差で白く膨らむ。
その奥から、黒い山が滑り出た。
船ではない。“規格”そのものを船形にした怪物。
黒曜石の板が幾何学に重なり、舳先の巨大コンパスは大地の測地線を摘まみ上げるように海を押し潰す。
船員の誰かが膝から崩れた。「化け物だ……」
商船の少年は声を失い、網を握る手が白くなる。
リナが一歩前に出て、俺の袖を引いた。
「アレン。行ける?」
「行く。――道は、まだ描ける」
黒曜アークの側面が開き、規格舷門が連続して口を開く。
そこから吐き出されたのは、波形破砕弾。海の“拍”そのものを壊す殺意。
「【規格武装】――方舟砲、再装填」
俺は深く息を吸い、照準を拍の結び目に合わせる。
「【潮汐演算】――二分の一拍、早送り」
方舟砲の光が打ち出され、破砕弾の“拍”がずれる。
砕けはしたが、致命の位置から半歩、外れた。
黒曜アークの舳先のコンパスがゆっくり俺の方へ向いた。
――測っている。
俺も測り返す。
海と空と、都市の記憶と、人の息を。
10 市井の眼(街路録:港)
王都の港では、人々が屋根や防波堤に上がり、海の彼方の“白い筋”を凝視していた。
屋台の女将が手を強く握る。「戻ってこい……」
粉まみれのパン職人が呟く。「線で守られるなんて、信じたこと、なかったよ」
孤児院の子どもが木炭で石畳に白線を描き、院長がそれを跨ぎながら祈る。「この線の先に、戻る場所があるように」
石は記憶する。
俺は遠くにありながら、【街路録(ストリート・レコード)】を薄く開き、港の“声”を束にする。
渡って戻れ――
それは規格ではない。願いの線だ。
だが、願いも“道の張り”になる。
11 小隊戦術:白線の槍
「接近、回避不能!」
黒曜アークから分派した小型規格艦が三隻、白線の束を切り裂いて潜り込んでくる。
「艦隊戦術、行く」
セレスの剣先が海図上の一点を刺す。「右舷、白線三本、槍形に束ねろ」
「【規格航路】――束槍(バンド・ランス)!」
白い路が一点で収束して“海の槍”となり、先頭の小艦の舵後流に突き刺さる。
操舵信号が乱れ、小艦は自らの尾を踏んで回転し、列の二番艦と衝突。
ガロムが甲板から身を乗り出し、大声で笑う。「海でも槍は効くんだなァ!」
リナの光鎖が転覆した乗員を絡め取り、味方船へ引き上げる。
「殺さない」
その一言に、救われた顔がいくつもあった。
12 帝国提督の一撃
式角の信号旗が、最後に一度だけ翻る。
〈測地コンパス解放〉。
黒曜アークの舳先のコンパスが展開し、“世界の縮尺”に指を掛けた。
海が一瞬、平面になり、全ての波が等高線に変わる。
白い路が、図面から消えかける。
「来る!」
俺は本能で手を海へ叩きつけた。
「【規格航路】――星辰参照(セレスティアル・リファレンス)!」
海ではなく、空に路を引く。
白い線が星座の結び目を経由して、海面へ“垂れる”。
縮尺をいじられても、星は凪ぐ。
星の線を通して、海の路が再投影される。
式角の目が初めてわずかに見開かれた。
艦橋で彼は短く言う。「――主規格、値踏み違い。次は外洋“主幹”で会おう」
黒曜アークが霧へ退き、規格艦隊も黒い束ごと後退を始める。
海は、まだ荒れていたが、路は残った。
13 収束 ― 船上のため息
甲板が、どっと座り込む音で満ちる。
舵手が帽子を胸に押し当て、舷側にもたれて笑う。「生きてる……!」
見習いの少年は空を見上げ、口を開けたまま呟く。「星の線……海に降りた」
セレスが剣を鞘へ納め、俺の肩へ軽く拳を当てた。「道を、持ち続けたな」
ガロムは笑って肩を組み、「腹減ったな!」と樽の栓を抜きかけ、リナに止められる。
「まだ負傷者の手当てが先です!」
「そりゃそうだ!」
リナが俺の額に手を当て、眉を寄せた。「熱、出てる」
「【演算掌握】の反動だ。遠いものを近くしすぎた。少し寝れば戻る」
彼女は小さく頷き、しかし指は俺の袖を離さなかった。
「あなたが離した線は、皆が握ってます。――だから、離しても戻ってきます」
港の方向に、白い細路が幾本も光っている。
それは俺だけの線ではない。舵を引く者、帆を張る者、治す者、祈る者、笑う者――皆の手の張力で保たれている道だ。
14 帰港と報告
夕刻、王都の港。
船が白い路を滑り、桟橋に寄せる。
群衆が歓声で迎え、誰かが泣き、誰かが歌い、誰かがただ放心して座り込む。
王の使いが駆け寄り、王命の続報を伝える。
「設計監。諸国から“公開規格会議”の要請。帝国は外洋主幹での“次戦”を予告。……時間は、短い」
「十分だ」
俺は海図台を閉じ、空を見た。
星は早い。夜が深まるほどに、基準は多くなる。
なら、描ける。もっと長い道を。
15 エピローグ ― 夜の線
夜。
港の屋根から、子どもが木炭で石畳に白い線を引いていた。
孤児院の院長がその脇にしゃがみ、手を添える。
「どこへ続いてるの?」
「うち。明日、パン屋に寄って、それから港に戻る」
「いい道だね。戻ってこれる」
俺は遠くからそれを見て、掌で空を撫でた。
「【規格航路】――街路参照(シビック・リファレンス)」
石畳の“帰り道”が、海の路と細い端で結ばれる。
海は広い。けれど、帰る線はいつも短い。
風が、潮の匂いを運ぶ。
黒曜アークの影は、外洋で息を潜めている。
次は、世界の主幹だ。
剣ではなく、規格で。
選別ではなく、使用で。
殺すためでなく、生かすために。
俺は方舟砲の冷えた金属に手を置き、静かに目を閉じた。
道は、まだ続く。
⸻
※この回で新たに明示・運用した要素
• スキル:
- 【規格航路(スタンダード・ルート)】/【潮汐演算】/【風帯折衝】/【海人位相】
- 【規格武装:方舟砲】(“繋ぎ直す”砲)
- 補助:多層束路(マルチ・レーン)/束槍(バンド・ランス)/星辰参照(セレスティアル・リファレンス)/街路参照(シビック・リファレンス)
• 敵側の規格:断層砲/測地切断/波形破砕弾/
• 多視点:船員見習い、市民群像、セレス・ガロム・リナの戦闘軸
• テーマ:通す→直す→合意へ(選別ではない規格哲学)
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