第9話 帝国艦隊来襲──知の光路



 朝凪を破ったのは、鐘の音ではなかった。

 低く、長く、胸郭の内側を擦るような唸り。港の外、水平線の端で黒い山脈が生まれたかと思えば、それは舳先に魔導角を掲げた艦列だった。黒鉄の舷側は幾何学の紋様で塗り分けられ、砲門は閉じた瞼のように沈黙している。


「……帝国艦隊」

 セレス・アルダインが吐き出す。銀鎧の肩で朝日が割れた。「旗印は西方第三艦隊。提督は“式角(フォーミュラ・ホーン)”のグラディウスだ」


 港内では荷が倒れ、魚箱が転がり、子どもが泣いた。

 俺は石畳に膝をつき、掌をそっと据える。


「【街路録(ストリート・レコード)】──開示」


 石は昨夜の笑い声も、今朝の不安も覚えている。

 それらの揺れを一つに束ねると、港の呼吸が見えた。荷車の導線、避難路の狭窄点、桟橋の耐荷分布。青図が地面から浮き、街の上に薄い面を張る。


「避難導線、開く。セレス、北桟道は詰まる。リナ、広場に臨時診療線を」

「了解。第一分隊、北桟道の荷を捨てろ、通路確保!」

「はいっ──【光紋(ルクス・グリフ)】、標識展開!」


 ガロム・ブレイザーが樽を片腕で抱え、怒鳴る。「荷より命だ! 荷は後で俺が買う! 走れ!」


 黒鉄艦隊が湾口に並び、旗艦の舷側から声が滑り込んだ。増幅角で加工された、不快に平坦な男の声だ。


『王国に告ぐ。学問と図書と工匠は帝国の保護下に置かれる。所有とは責任、責任とは独占。抵抗は再教育をもって除去する』


 言外の意味は明白だ。

 “知”を持つ者は、帝国の枠に入れ──入らなければ消す。


 次の瞬間、旗艦の砲門が開いた。

 魔導砲──円周の runes が一斉に点灯し、白い線が空を走る。


「伏せろ!」


 轟音。桟橋の先が花のように開き、海水が蒸気の塔になって立ち上がる。遅れて波が押し寄せ、船腹がぎしりと鳴いた。悲鳴が重なる。


「【解析(アナライズ)】──砲回路、読め」

 視界に青の線。砲身の導管配列、冷却溝、発射位相。

 「【演算掌握(ドミナント・オペランド)】──帰還路、奪取」


 次弾。白光が奔るその一拍前、俺は空に指で輪を描いた。

 見えない薄膜が湾の上に伸び、砲の余剰熱を海霧に変えて散らす。爆ぜるはずだった衝撃は、夜露のように落ちた。


 港に“ざわり”とどよめき。

 ガロムが笑う。「ガハハ! やれるじゃねぇか、設計監!」


 しかし帝国は学ぶ。

 旗艦の砲門が角度を変え、次の斉射では熱線と衝撃波の比率をいじってきた。

 「式を回している……艦そのものが演算してるのか」


 遠見台で号鐘が鳴る。「二斉射、来るぞ!」


「【改造(リフォージ)】──湾内水脈、偏向」

 港の下に眠る古い排水導管を呼び起こし、海水の流れを斜めに立てる。

 白光が落ち、波頭が刈られ、港壁の一角が崩れた。三人が海へ──


「リナ!」

「【光鎖(ルクス・チェイン)】!」

 光の鎖が三本、落下の軌道をわずかに掬い、水面に“柔らかい面”を作る。

 セレスが飛び、濡れ鼠を引き上げた。「息はある、回復!」


 俺は短く息を吐き、空をにらむ。

 ──このまま守勢では、じわじわ押し潰される。


「艦に乗る」


「正気か?」ガロムが目を剥く。「ド真ん中だぞ」

「真ん中の心臓を握る。港内を戦場にさせない。こちらから“設計”で切り分ける」


 セレスが頷いた。「上等。小隊で乗り込む。私、ガロム、リナ……そしてあなた」

 リナの指が一瞬躊躇い、すぐ強く結ばれた。「行く。誰も死なせない」


 俺は背の《闇光銃(ダークライト・ライフル)》を確かめ、港の石にもう一度掌を置く。


「【街路録】──港民の声、収束」

 逃げ惑う足、叫び、祈り、怒り、決意。

 その全部が“守ってくれ”“守る”に重なっていく。

 合唱を線にし、波止場から湾口へと一本の淡い“光の路”を描いた。


「行くぞ。知の光路(ナレッジ・レーン)だ」

 ガロムが豪快に笑って船首に飛び乗る。「こういうのは得意だ!」


 小型艇を三艘。帆ではなく光路の“引き”を使って滑らせる。

 帝国の小艦が左右から迫り、投槍の雨を投げる。


「【複写陣(コピー・グリフ)】──帆走式模写」

 敵の風圧制御陣を真似て、こちらの艇の舵へ組み込む。

 セレスが矢を柄で弾き、リナが光のカーテンを被せる。


「右舷、衝角!」

 黒鉄の艦首がこちらの艇を潰しにくる。

 「【改造】──船腹、衝撃散布」

 艇の舷側に柔構造を瞬間形成、ぶつかった衝撃が水へ逃げ、艇は回転して衝角をいなした。

 「っ、酔う……!」リナが額を押さえ、それでも詠唱を切らない。


 小艦の甲板へ飛び移る。

 帝国水兵の目が一斉にこちらに向き、統一された動きで剣を引き抜く。

 “規格兵”だ。人間の癖を消し、動作を最適化された兵。


 セレスが一歩出る。「私が取る。あなたは上へ」

 彼女の刃は当てない。柄、鍔、足、肘──関節角だけを叩き、連携の“接合”を外していく。

 ガロムは逆手の拳で顎を軽く跳ね上げ、誰も殺さない角度で地に伏せさせる。「寝ろつったろ!」


 俺は甲板の中心、砲の基台に手を当てた。

 「【解析】」──砲回路の設計は王都の学舎でも見た構造だ。帝国は改良し、演算機構を混ぜている。

 「【演算掌握】──回路奪取」


 砲の“息”が俺の肺に同期し、次の斉射の位相が掌で脈打つ。

 俺はそれを湾外に向け、わずかに“巻き”を遅らせた。

 白光が空に咲き、沖の無人域に消える。


「乗り移るぞ、次の艦へ!」


 湾口では旗艦が鈍い光を帯び始めていた。

 艦橋上の角(ホーン)──帝国の魔導角が回転し、空気に薄い幾何が浮かぶ。

 嫌な式だ。空間自体に切断応力を与える“断層砲(セヴァランス・レイ)”。


 間に合わなければ港が割れる。


 俺たちは光路を渡って二隻目、三隻目と跳び、砲の回路を次々に“引っこ抜く”。

 リナは負傷者を見つければ迷わず光を送る。「立てる人は立って、伏せて。……大丈夫、あなたは死なない」

 帝国水兵の目がわずかに揺れた。生かされた意外に、訓練の均一さがほつれる。


 甲板の縁で規格狩りの黒外套が笑った。

 女だ。首領の声。「殺さない。だからあなたは折れる」

 俺は返さない。言葉の代わりに、足元の鉄板へ【改造】を一つ──磁束の輪。

 女の足は一瞬だけ床に縫い付けられ、彼女は舌打ちと共に投げナイフを置いて消えた。


 旗艦が光を集め切る。

 空気が薄膜のように震え、白い髪の帝国提督が艦橋に現れた。

 式角(フォーミュラ・ホーン)・グラディウス。

 角笛にも剣にも似た形の魔導角を肩に抱え、抑揚のない声で告げる。


「所有は秩序。秩序は安定。安定は幸福。ゆえに知は帝国のものだ。拒む者は不良規格として削除する」


「削除は設計じゃない。破壊だ」

 俺は空を仰ぎ、港を一望する。

 逃げる背。振り返ってこちらを見る目。

 “守ってくれ”は“守る”に変わり、線に重なる。


「【無限設計(インフィニティ・ブループリント)】──欠けているもの、見せろ」


 視界に、港という“機械”の未接続点が煌めいた。

 壊れた港壁、古い導管、放置されたクレーン、鐘楼の支柱。

 バラバラの部位は本来、繋がるべき配線なのに接続されていない。


「【改造】──仮設結線(テンポラリ・ワイヤ)」

 見えない細線が港を縫い、動力は人の声に同期する。

 “守る”の声が増えれば増えるほど、線が太る。


 旗艦の断層砲が“刃”の形に凝り、湾へ下りてきた。

 セレスが低く唸る。「一撃で街が割れる」


「分解する」

 俺は《闇光銃(ダークライト・ライフル)》を構え、銃身へ【演算掌握】を重ねる。

 「【深域射(アビス・レンジ)】。闇路(ダークパス)開け」


 銃口の闇が、白い刃の中心へ針穴を穿つ。

 “黒”は光を殺すのではない。式を“保留”にする。

 断層砲の刃は一瞬、戸惑い──そこで俺は港の仮設結線を銃身へ接続した。


「港、貸してくれ」

 見えない“賛同”が胸に流れ、銃身が重くなる。

 引き金。


 闇と光が反相で噛み合い、刃は自壊した。

 砕けた破片は海霧に変わり、朝日で虹になった。


 港が息を吐く。

 提督の眉が、はじめてわずかに動いた。


「学習」

 彼は角を一度鳴らし、旗艦の舵が僅かに切られる。

 艦体全体が“式”を纏い、装甲の分子配列が瞬時に再編されるのが見えた。

 自己修復と同時に、攻撃式が“港の拘束をすり抜ける”位相へ改設計されていく。


 ──速い。

 個艦で、ここまでの自己改善……帝国は艦そのものを“演算機”として育てている。


 次弾の構え。

 俺はこめかみを押さえ、膝をついた。視界の端が白くちらつく。

 【演算掌握】の反動。敵の演算を飲み過ぎている。


「アレン!」

 リナの掌が背に当たり、温度が滑り込む。「持って。あなたは“線”なんだ」


「持つ。……だが、港だけでは足りない」

 “欠けている”がまだある。

 この港は街。街は王国。王国は人。人の“学ぶ意思”。

 それを線に変える器がいま、手元にない。


 旗艦が刃を組み直す。

 セレスが一歩前へ出る。「後ろは守る。あなたは“その先”を創れ」


 ガロムが笑って肩をどつく。「新しい玩具(ギア)が要るんだろ? だったら今だ。俺が殴り続ける!」


 俺は頷き、銃身に刻まれた古い刻印へ指を当てた。

 遺跡で拾った断片──《闇光銃》の“奥”に、まだ眠っている回路がある。

 引き出せば、港だけでなく“声”そのものを動力に変える“砲”になる。

 ただし、代償は──俺の頭蓋の裏に直接、世界が流れ込む。


 選ぶしかない。

 生かすために、道具を使う。

 道具で殺さない。道具で生かす。


「借りるぞ、世界」


 俺は銃身を胸に引き寄せ、【無限設計】と【演算掌握】を重ねて奥の回路へ降りた。

 古語の層が剝がれ、光と闇の二重螺旋が見える。

 “方舟(アーク)”──知を運び、命を運ぶ船。

 銃は、砲へ変わる可能性を秘めている。


 旗艦の白刃が完成する。

 帝国の艦列が一斉に位相を揃え、街を“消す”ための静けさが港を覆った。


「アレン……!」

 リナの声が震える。

 セレスの刃が低く鳴り、ガロムの拳が甲板を打つ。


 俺は顔を上げた。

 空は青く、線は白い。

 港は歌っている。

 “守る”という単純で強い旋律が、胸骨を突き上げる。


「──わかった。

 次で終わらせる。規格武装(スタンダード・アームズ)、起動だ」


 銃身の闇が淡く開き、白の芯が生まれた。

 港の鐘が一斉に鳴り、街の声が“導線”へと変換されていく。


 帝国旗艦、断層砲発射──


 俺は引き金に指をかけた。


 

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