あの夏で止まってる

だるまかろん

あの夏で止まってる

 あれは、僕が小学校三年生の夏休みのときの出来事だったと思うが、定かではない。僕は、お小遣いをもらうために祖父母の家へと向かうのだ。

「もしもし、おじいちゃん?」

 あの懐かしい固定電話のプルプルという呼び出し音を、これほど待ち侘びた日はない。

「うん、今から行く!」

 祖父は窓際の座椅子に腰掛けていた。その座椅子の形は、何となく小ぢんまりとしていて座りやすそうだ。祖父はテレビを観ていた。内容は日経平均株価かゴルフとおおよそ決まっている。

「よく来たな。アイス食べるか。」

 祖父は僕が来ることを知っていたかのようにバニラ味の棒アイスを買い込んでいた。

 テレビはアニメ番組にしか興味がない。僕がゴルフを観戦してアイスを食べる時間は、何も考えなくてよかった。祖父も祖父で、全く喋らないでひたすらゴルフを観ている。そういう、沈黙の時間が僕にとっては苦痛で、何となくよくわからなくて、いつしか避けるようになった。

 あれは何歳の誕生日だったか忘れてしまったが、誕生日を祝ってくれたこともあった。ショートケーキに蝋燭をたてると、そこに明かりを灯す。その揺めきは誰にも変えがたいものだ。

 なぜそれが嬉しいのか分からないけれど、僕はここにいていいんだとそう思える場所があった。

 祖父が亡くなる半年前、海老の唐揚げを持ってきてくれた。僕は、ありがとうございますと小さく言っただけで、それ以上の会話はしなかった。

 祖父が作る海老の唐揚げは、とても美味しくて忘れられない味だった。いつか再現してみたいと思うがなかなかできずにいる。

 人がいなくなって初めて、人の良さに気づく。その人が何気なくしてくれた行動が良かったことに気づく。

 そういう些細なことに対して、僕はありがとうと伝えなければいけない。亡き祖父は、海老の唐揚げで伝えてくれた。

 僕もいつか誰かを好きになり、妻と呼べる女性と結婚するのだろうか。想像もできない。そうして僕に子供ができて、孫ができたら、僕は同じように接することができるだろうか。海老の唐揚げなんて、僕には難しい。ましてや、あの沈黙は、祖父にしか作れぬものだ。

 だから僕は考えた。僕らしい最期とは何か。僕だけのエンディング・ノートを作ることにした。僕が得意なことは何だろうか。僕は楽器を演奏することが好きだから、グランドピアノを演奏できる部屋が欲しいと考えた。僕は音符で沈黙を表現したい。僕の演奏は、今はちっぽけでどうしようもなく冷たい音楽だ。けれど、いつかどうしようもなく温かい音楽へと変わることを信じて毎日を生きている。

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