恋の壁と赤い部屋。

美女前bI

あったかいね



 夢にまで見た美人な彼女との同棲生活。


 帰ると家が明るい、冬は部屋が暖かい。新婚の先輩はよくそう言っていたが、現実は僕の想像をはるかに超えていた。


 光熱費の高騰で節約家に目覚めた彼女は、エアコンのコンセントをまず抜くと真っ赤な壁紙を部屋中に貼り、冷蔵庫と洗濯機以外の家電はただのインテリアと化してしまった。


「や、やっぱり異常かな?ごめんね。へへへ」


「そんなことないよ。あたたかい気がするし」


 面と向かって反省されると、こちらが悪い気がしてそれ以上は言えなかった。たとえどえらい美人だとしても、このままではたぶん彼女とは長く続かないだろう。


 一週間か二週間か。


 そう思いながら過ごしていた。しかし気付けばあと数カ月で1年が経とうとしている。


 世間とはかけ離れた異常な生活というのはわかっているが、やはり美人を手放すのが惜しかった。


 そして待ちに待った冬が到来。初雪も観測されて本格的に寒い季節である。


 残業を早めに切り上げて飛び乗った電車。彼女の待つ赤い部屋はもうすぐ。


 ラブホテル街の駅を過ぎた。寒くてあたたかいあの部屋まであと10分弱。


「あたたかいね」


 聞き覚えのある声と言葉に反射的に振り向いてしまった。


 デブに抱き着いているのは、同棲中の自慢の彼女。


 目が合うと、互いに目を大きく開く。


 僕は逃げるようにその場を離れたが、弁明の声もなく追いかけもしなかった彼女。


 つまりそれはデブを選んだということ。


 悔しさも悲しさもなかった。ただひたすら混乱しているだけ。僕はまだ現実と向き合えていないのだろうか。


 最寄り駅を通り過ぎるとようやく夢から醒めたように冷静になれた。


 今思うと、寒い布団の中で裸で抱き合う度に聞いたあのセリフを聞くために、一年間を耐えていたようにも思う。


――あったかいね。


 僕の好きな言葉は、一瞬で苦い思い出に変貌してしまった。最後まで交わることもなかったプラトニックな清い関係。


 彼女も遠慮していたように思う。踏み出す勇気のない僕に愛想が尽きたのだろう。しかし悔やみはない。すべてが終わったのだ。そう、それだけ。


 やはり僕は君に相応しい人間ではなかったのかもしれない。


 だからさよなら、だ。


 愛しの男の娘よ。


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