ことばにすること

@sososorako04

ことばにすること

大好きだよーと聞こえたので、なんだなんだと思って振り返る。周りを伺うと、数人が同じように声のする方を一瞥していた。


視線の先には男女が数人いて、カラオケの出入口前でひとりひとりが熱く抱擁していた。抱きしめ方はそれぞれ違う。時間は昼過ぎでまだ酔うには一足早そうな気がするが、そんなことはお構いなしに笑い合っている。なんなら一人は顔を真っ赤にして号泣している。それを見てまた他の人が泣く。最終的に全員に伝播してみんなで泣いていた。


真昼間から酔っ払いかあ…。


道路を挟んだ向こう側で騒いでいたので、変によけて通らなくて済んだ。


「うわー、なんか酔っ払い集団いる」


たまたま後ろを歩いていた二人組も、自分と同じ場所を見て会話していた。


表情は分からない。「迷惑かけないでほしいわ」


続けた言葉に対して、隣にいた人が返した。


「迷惑してるようには見えないけどね。人が来たらちゃんと謝ってたし」


バリトンの効いた声だったので、く、と小さく力が入った。相手はいつも聞きなれているのかひるむ様子もない。けれど言葉自体はしっかり呑み込んだ様子で、


「うーん、たしかに!」


と頷いたように笑った。「見た目がエグザイルだから誤解しちゃった」


けろっとして話すので逆に気持ちがいい。バリトンが返す。


「いい言葉なら、聞いてて気持ちいいよね。言葉にすることって大切だと思う」


その二人組の声が遠ざかる。私はまっすぐ進んでいたけれど、右に曲がってしまった。たしかにー、という声がだんだん小さくなりながら脳に残った。


たしかに。


外勤中で重かった足が、さっきの言葉で不思議と少し軽くなった。そして一秒にも満たない時間、一瞬見ただけで印象を決定してしまった自分に対して罪悪感が襲う。


なんとなく戻りたくなって、カラオケの前に早足で向かう。


もう誰もいなくなって、もともとの閑散とした昼下がりに戻っていた。


仕方なく、心の中でごめんねと呟く。まあ、居たとしても集団の中に割って入って直接謝る勇気はなかったけれど。


ああ、私って小さい…。静かに反省しながら、自分がいまにことばにしていないかを実感する。


今日帰ってみたら、同居している母にありがとう、くらいは言ってみようかなあ。


そんな風に笑いながら、いつも歩いている道を進んでまた会社へと戻る。


おわり

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ことばにすること @sososorako04

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る