第10話
桐明学園に通いはじめて、3ヶ月。
俺の日常は、もう完全に固まっていた。
毎朝、風香と並んで校門をくぐる。
相変わらず視線が集まる。
「やっぱり今日も一緒ね」
「羨ましいな……あの二人」
「理想のカップルってやつだ」
男子も女子も、ため息を混ぜながら俺たちを見送る。
(……ただ歩いてるだけなんだけどな)
俺の本音はそれだけだ。
でも表では、風香が俺の腕を軽く取る。
俺は自然に合わせて歩く。
外から見れば、美男美女。
完璧なカップル。
けれど――実際は。
「陸、ノート貸して」
「……はい」
授業中。
ただの一言に、反射で差し出す。
「隣に座りなさい」
「……はい」
昼休み。
その一言で席を移動する。
「今日は一緒に帰るわよ」
「……はい」
放課後。
その声に逆らうことは、もうできなかった。
すでに俺は、言葉を選ぶ余地すら失っていた。
返事は「はい」か「分かりました」。
その二つだけ。
周囲から見れば“理想の彼氏”。
裏では“従順な使用人”。
そのギャップを抱えたまま、日々は流れていった。
その日の放課後。
風香は生徒会に顔を出すとかで、先に昇降口を離れていった。
久しぶりに一人で歩く帰り道。
少しだけ解放感を覚えていた。
けれど――
「……陸」
背後から声がした。
聞き覚えのある声。
振り返った瞬間、心臓が強く打った。
「……父さん」
そこにいたのは、やつれ果てたスーツ姿の男。
俺の父だった。
頬はこけ、髪は乱れ、目の下には濃い隈。
以前の堂々とした姿は、もうどこにもない。
父は辺りを気にするように視線を走らせ、すぐに俺に近づいてきた。
「すまなかった……陸」
小さな声で、頭を下げる。
その姿に、怒りとも戸惑いともつかない感情がこみ上げた。
「今さら……何を言いに来たんだよ」
声は冷たくなった。
気づけば、俺は拳を握っていた。
父は顔を上げ、唇を噛む。
「……お前が霧島の屋敷にいるのは、知ってる」
思わず息が止まった。
父は苦しげに言葉を続ける。
「霧島家には気をつけろ。私は……あの家にはめられたんだ」
目の奥に後悔と焦りがにじむ。
「会社が倒産したのは……事故じゃない。霧島家の仕組んだ罠だ。私は……」
言葉が途切れる。
父は肩で息をしながら、俺を見据えた。
「陸。お前が今どんな暮らしをしてるか……想像できる。だから言う。あの家に心を許すな。……気をつけろ」
胸の奥がざわめいた。
風香――。
今も俺を縛りつけている幼馴染の名前が、父の口から出た。
「父さん……それ、本当なのか」
問いかけても、答えはなかった。
路地の向こうから、荒い足音が近づいてくる。
父は顔を強張らせた。
「……借金取りだ」
焦った声で言うと、父は俺の肩を掴んだ。
「また必ず会う。きっと迎えに行く……菜々とお前を」
その一言を残し、父は人混みへと消えていった。
残された俺は、動けなかった。
(……霧島家の罠? 俺たちをはめた? 風香に気をつけろ?)
疑念と怒りが渦を巻く。
けれど確かめる術はない。
俺はただ、路地裏に立ち尽くしていた。
屋敷に戻ると、風香がソファに座っていた。
制服の上着を脱ぎ、すらりと伸びた脚を組んでいる。
「遅かったわね」
いつも通りの涼しい声。
「……すみません」
俺は靴を脱ぎ、部屋に入る。
「じゃあ、足をマッサージして」
「……はい」
言われるがまま、膝をついて風香の足に触れる。
柔らかな感触が手のひらに広がる。
風香は目を閉じ、満足そうに吐息を漏らした。
――だが俺の頭には、父の言葉がぐるぐると回っていた。
(霧島家に気をつけろ。俺たちをはめた……? 風香に、心を許すな……?)
マッサージを続ける指先は、もう無意識に動いていた。
俺の意識は、遠く、暗い場所に引きずり込まれていった。
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