第1話 うどん屋の哲学者たち
蕎麦よりうどんが好きだ。特に讃岐うどんのチェーン店には、週に三度は足を運ぶ。
あの日も、いつものように列に並んでいると、背後から実に哲学的な会話が聞こえてきた。
「最近、年寄りが目につくよなあ。三人に一人ぐらいは年寄りじゃないの」
声の主は、作業着を着た二人組の男性。
年の頃は七十五、六といったところか。
私から見れば、立派な「お年寄り」である。
「この間もスーパーのレジで並んでると、前が年寄りのお婆さんでさあ。
支払いの準備をしないんだよ。
レジでお勘定ってなってから、のそのそ財布を取り出して、一円玉を探しだす。
そして決まって小銭を落とすんだ。こっちはイライラするんだよね」
ふむ、実に鋭い社会観察だ。
まるで現代のソクラテスとプラトンが、老いについて問答しているかのようだ。
私は心の中で相槌を打った。
「わかる、わかるでぇ」と。
偶然にも、その哲学者二人とは席が隣り合わせになった。
彼らの談義は、さらに熱を帯びていく。
「この前もさ、交差点で信号が青になったのに前の車が動かない。
クラクションを鳴らすと、慌てて動き出しよった。
見れば八十過ぎの爺さんだよ」
「俺もこの間、ウインカー右に出してるのに左に曲がる婆さんがいてさ。
危ないから車運転するなよな、ほんま」
一頻り爺さん婆さんの悪口を並べ立て、うどんを啜り終えると、二人は颯爽と店を出ていった。
彼らが乗り込んだ営業車のドアには、「〇✖電気安全保安サービス」と書かれており、
車の後ろには、あの初心者が貼るべき四葉マークが誇らしげに輝いていた。
現役で仕事をしている自分たちは、まだ年寄りではない、という自負だろうか。
私には、彼らも充分お年寄りに見えるのだが。
あの二人がもし、信号が青になっても動かない車を運転していたら、私は間違いなくこう叫ぶだろう。
「この爺さんが、さっさと車を出せよな!」と。
お爺さんとお年寄りとおじさんの違いとは、一体どこからくるのだろう。
永遠のテーマである。
私の中ではこうだ。
仕事やボランティア、趣味などでイキイキ活動している人は「おじさん」。
現役を引退し、身の回りのことが自分で出来る人は「お年寄り」。
そして、人の手助けが必要な人が「お爺さん」。
年齢や見た目は関係ない。
まあ、なんにせよ、元気で若い高齢者が増えたということだ。
それはそれで、実に結構なことではないか。
ただ、元気で若く見えても、注意力や判断力、体力は確実に落ちてくる。
それは、この私、マァア君(妻のミーちゃんは私のことをこう呼ぶ)が、身をもって証明している。
かくいう私も、六十七歳の前期高齢者。
まだまだ「おじさん」のつもりでいるが、さて、世間様はどう見ていることやら。
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