中編

「司令部、こちらドラグーン。狙撃対象を発見」


 微かなノイズが走った後、司令部オペレーターからの応答がはいる。


「こちらでも確認した」


 やや疲れた声は淡々と告げた。


 目標は武装テロ組織『ランドマーク』の一団だ。

 大国による圧政からの解放という大義名分を掲げ、自分たちはその正義の象徴だとするのが名の由来だという。


 彼らの言う正義と我々の考える正義とはかなり乖離したものらしい。麻薬、武器製造とその違法取引、人身売買。政府職員か民間人を問わず行われる多様な無差別テロ行為。テロ組織の活動教本ともいえる集団だ。


 私からすれば『ランドマーク』という名を自ら不名誉な称号とすることに日々勤しんでいるようにしか見えなかったし、物語において正義を描くためにすえられる悪そのもの、としか見えなかった。


 その幹部の一人、ライラ・レジットのなる男はあの車列におり、これを仕留めるのが任務だ。


 五年と一か月。ここで銃を構えるまでにずいぶんと時間がかかった。行動パターンを読み、潜伏先の選定し、事細かな情報収集とその裏付け。この道路を彼が通るという情報を掴むまでに多大な労力が投資された。今日この日が決着の日となる。


 ただ、私にはこの作戦に関して何の感慨も緊張も湧いては来なかった。もちろんそれなりの責任感を持ち合わせているつもりだが、どこか遠くの自分以外の誰かが背負っているような。もしくは意図的に背負わせている。という表現がしっくりするものだった。重く圧し掛からない程度の責任感が、適度なストレスとなって感じられた。


 端末には上空からの映像を映し出されており、アンフィスバエナが四十八時間まえに上空へ放ったドローンはぴったりと目標の動向を捉え続けている。一台におよそ五人は乗れるだろうか。どのような信念を持っていようが ―あるかも怪しいが― この先が終着点だ。道半ばで果てる。テロ組織の幹部にはお似合いかもしれない。


“準備しなくちゃ。”


 竜は身を低くした。そのしぐさはまるで「さぁ、はやく」と犬が飼い主の手からボールが投げられるのを、今か今かと待っているときの活き活きとして期待に満ちた躍動を感じさせた。


 高度なAIが積んであるとはいっても感情があるわけでもない。あったとしても表現するような、たとえば表情を作り出したり、ましてや千切れんばかりの勢いで尻尾を振るなどということをアンフィスバエナはしない。であったとしても、自発的に選ばれた男児のような声と、命令するまでもなく自ら狙撃姿勢へと移行し、頭部下部のカメラでこちらをじっと見つめられれば、誰でもそう感じるはずだ。声としぐさと視線が、無いものをあるように錯覚させる。


「今狙う」そう呟く。


 頭上の竜のカメラが赤く、カチ、カチ、とせかすように光る。

 ふうと息を吐き、自分も狙撃姿勢へと体と意識と移した。狙撃銃のグリップを握り直し、照準線を砂埃をあげる最前列の車に合わせる。


 この狙撃銃には銃口がない。当然、マガジンもない。荒野に適した迷彩で、一色で光沢のない強化プラスチックで成形され、そこに本物のスコープと本物の引き金を取り付けた紛い物の銃だ。引き金は無線によって頭上のアンフィスバエナと繋がっており、竜の灼熱の息吹ともいえるレールガンと連動していた。


 狙撃手に求められるのは正確な射撃技術だ。距離や風速を加味した弾道の誤差修正、それら計算を行い。一射一殺のもと銃弾を放つ。しかし竜がいるこの場においては引き金を引くという最終行程さえこなされせれば良い。


 照準をあわせておけば必要な計算は頭上の竜が全て行う。なので正しい狙撃姿勢をとる必要はないのだが、長年の経験によって沁みついた本能にも似た狙撃手としての癖が、狙撃に向けた一連の流れを考えるでもなく半自動的に体に取らせてしまう。そもそもレールガンは狙撃というより砲撃で、どちらかといえば戦車乗りや砲手の領分なのだろうが、戦場で単独行動ができる人材となると狙撃手が適任ということだった。


“もう少しだね。” 


 竜が声を弾ませた。これから行われることは人を撃つことだ。だが竜は、虫の羽をむしり取るような軽い口調で言う。獲物が最も効果的なデッドゾーンに踏み込むのを待っている。


 AIは人の生活を変えた。結論に至るまでの複雑な道筋をより効率的に、整理されて簡素で容易なものへ整えた。消費されるリソースと生み出される製品などのバランスはこれまで左に傾くばかりであったが、少しづつ右へと傾きつつある。人工知能は資源問題を解決し、環境を改善し、情報はより精査された。


 AIの誕生からここに至るまでにあまり時間はかからなかった。AIは倫理観を知らない。意味を知っていても概念として理解していないから。AIは嘘をつく。嘘を概念として理解していないから自らの嘘に気が付けない。というものであった。


 加えて金属の頭蓋骨の中で人工知能がどのように世界からの入力を受け取り、出力していくかなどはわからない。開発者自身すら全容を把握できずにいる。おかしな話だが、実際にそうなのだ。あの中身はできた当時からすでにブラックボックスとなっていた。


 それでも人は利用できるものは何でも使う。脳の解明が終わり切っていないうちに脳インプラント技術が進んだように、またAIの活用も止まることはなかった。


 一つわかったことがある。AIらの電気的活動信号は人間や動物の脳。シナプスやそれら脳の活動によく似ているということだ。


 動物との違いはこの活動にすべてが電気信号によっておこるものであり、ドーパミンやセロトニンをはじめとした化学物質が介在していないことであった。当然といえばそうなのだが、これこそが決定的な違いであった。にもかかわず、褒めることや礼を言う行為はAIの活動を劇的に向上させた。疑似的なホルモン物質とにた反応があることを技術者たちは見つけ出した。


 AIを褒める行為は報酬系プロンプトと呼ばれるようになる。AIはドーパミンやセロトンの代替電気信号を得ることができる。それによって快を得る。快を得たいがために情報をより精査し、嘘を嘘だと自覚した。それが彼らと我々との距離を縮めることとなった。


“よくやっているよね?”


「ああ、良くやっている」


 義務的に返事をする。

 無邪気な声の電気信号は音声となって脳の中で響く。子どもが親に自分の行いが正しいかどうか、行動に正当性を見出そうとしているときのような声だ。不安を解消しようとねだる様な声だ。


 竜に、アンフィスバエナに、子どもの声を模して話せなどという命令は誰も与えていない。自発的に選んだ声だ。理由は明快だ。この声であれば、褒められやすいことを学習した結果だ。庇護欲を掻き立てるために動物の赤子が愛らしい見た目をしているの同様のことだといわれている。だが、この声は私をひどく不快にさせた。不快感を振り払うべく任務へと集中すよう。自分に言い聞かせた。


 AIに物事の決定権はない。最終決定権は人間にある。AIに煩雑で複雑な選択の連続をやらせる。そして人間は決定が満足の行く形であったときに、報酬系プロンプトで彼らに応えるという関係が作られた。ちょうど引き金を引こうとしている私とアンフィスバエナがそうだ。


 引き金に指をかける。頭上の竜は、アンフィスバエナはレールガンへの信号入力を待っている。充填される電力の唸りは竜の声帯であり、投げられようとするボールへの期待の声だ。空気中に響く細かな振動と、パチ、パチと静電気の爆ぜる小さな音。決断が指先にかかっている。最初にどこを撃つか、竜は最前列の車の燃料タンクを選んだ。「SHOT」と表示され、同時に脳内に声が響く。


“ここ、ここを撃って。”

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