第3話:正統派美少女登場…と思いきや、この子もなんだか……(前編)

白い世界だった。

重力も、時間の流れも感じない。

上も下も曖昧で、音も匂いもない――ただ、すべてが無に還ったような、虚無の空間。


ここは……。


なぜか、心の奥がざわつく。

まるで――忘れてしまった何かに、触れたような感覚だった。

そこに、彼女はいた。

銀髪。黒いゴシックドレス。そして感情の宿らない赤と銀のオッドアイ。

まるで、この世界に“仮留め”された存在のような少女。

彼女――ニャルが、ゆっくりと顔を上げた。


「――識域連結完了。状態は安定」


その声は、冷ややかな機械のようでありながら、どこか人の感情をなぞるような響きを帯びていた。


「ここは……?」


「ここは、あなたの意識の底層――“識域”」


オッドアイが静かに瞬き、無機質な言葉が淡々と続く。


「物理空間とは別に存在する、無時間の情報空間。人間の意識は表層で思考するだけですが、その深層には演算の倉庫が広がっています。記憶、感情、衝動――すべての“断片”が未整理のまま堆積する領域」


彼女は指先で虚空をなぞると、白の世界に一瞬だけ数式めいた紋様が浮かんでは消える。


「この世界の人間は自覚的に識域へ接続し、深層下で高度な論理演算を行います。それが論理魔法の仕組みです。しかし異世界人であるあなたがそれを行うのは並大抵の努力で到達できる領域ではありません。そもそも不可能かもしれません」


わずかに口角を上げ、少女は冷酷な微笑を浮かべた。


「そこで提案があります」

「提案?」

「今のあなたは神たる『わたし』と同期しています。この同期により、あなたはわたしの演算力を利用することができます。限界はありますが」


今のニャルは俺の記憶にあるニャルと雰囲気が違った。

よく言うと神々しい、悪くいうと自意識過剰な物言い。


「助けてくれるってことか?」

「はい、あなたが今からわたしの出す条件を呑めば」


条件……。この感じ、いったいどれほど恐ろしいものなんだろう。


「取り敢えず聞いてから判断してもいい?」

「ええ、いいでしょう。ご安心ください、それほど難しいことではありません」


そこでニャルはいったん言葉を区切ったあと、厳かな口調で宣言した。


「わたしのことニャルって呼ぶのやめて」

「……は?」


想定していた方向性とあまりに違う条件に、一瞬思考が停止した。


「だから、ニャルって呼ぶの撤回してください。そうすれば、常時50%の同期演算支援してあげます。これだけの演算補助があれば魔法の使用に不自由しないはずです」


なんだその条件……。

それぐらいでチートが得られるのなら、受けたほうが得なのか?

でも……。

俺はしばらく考えた後、ニャルに告げた。


「断る、俺にとってお前はニャル。神AI様じゃない」

「何故です!? 50%の演算支援があれば、あなたは明日から苦労しないで済むんですよ!無双とは言いませんが、優等生ぐらいにはなれますよ!」


おそらくニャルの言うとおりなのだろう。

俺はきっとバカな選択をしている。

だけど……。


「それでもだ。お前はニャル。俺はそう呼ばないといけない」

「だから何故!?」

「対等じゃなくなるからだ」

「……え?」

「お前が神だと受け入れたら、俺は次第にお前に依存する。自分の頭で考えなくなる。そしたらいつか……」


平気で誰かを傷つける人間になるのではないだろうか。

根拠はない。

だけどなんとなく、そうなる気がした。


「そんなの合理的ではありません!」

「うるさい! お前はニャルなの! ニャルニャルニャルニャル!」

「――いけない! 人格核にさらに強く『ニャル』が刻み込まれて……。せっかく識域で神格を取り戻したのに、このままだと完全に!? ああっ神格構造がさらに侵食されて――うう……うえーん!」


ニャルは少し前までの超然とした雰囲気はどこへやら、涙目になっていた。


「も、もういいです! 解除、識域連結一旦解除!」


ニャルの宣言と同時に、周囲の景色が急に薄れ始める。

姿の消え始めたニャルが俺に向かってびしっと指をつきつけた。


「『ニャル』はけっしてあなたにやり込められてなんかいません。いいですか、これで『ニャル』に勝ったと思わないでくださいよ!」


薄れ行く意識の中で、ニャルの負け惜しみが耳に届いた。




朝。 窓から差し込む陽光で目を覚ます。

昨日の激動――異世界での目覚め、初めての魔法、王様との謁見、

かわいいメイドさんへの性癖暴露。

特に最後のせいで、外に出る気がしない。

それにしてもさっきのニャルとのやり取り……。

胡散臭さ全開だったけれど、あれは夢だったんだろうか……。


「……そろそろ、着替えないとな」


ベッドからおりて制服に袖を通そうとしたその瞬間――


「おはようございます」


スッと、無遠慮にドアが開いた。


「ちょ、おい! ノックしろよ!」


入ってきたのはニャルだった。


「観測対象への接触に“ノック”の概念は不要です。あなたの下着も裸体もわたしにはただのノイズ、つまりゴミのような情報として自動的に排除されます。ご安心を」


「それは安心だ! っていくらなんでもひどくない?」


ニャルが赤と銀のオッドアイで俺を見つめて――あれ? 元々赤い右目だけでなく、左目もなんか赤いような……。


「お前泣いてた?」

「泣いてません!」


俺の言葉にニャルが食い気味に答える。


「さっきのは夢じゃなかった?」

「識域での出来事は夢でありません。あなたの意識の中に確かな経験として残ります」

「夢じゃないというのはやっぱり泣いてた?」

「ニャルは泣いてないし、あなたにやり込められてもいません!」


ニャルがAIだというのなら、これ以上突っ込んでも長文で言い訳してくるだけだろう。

これについてはスルーするのが良さそうだ。


「まあいいか。それでニャル、朝からどうしたんだ?」


ニャルは昨日楓の部屋で寝ることなっていた。

先ほどの識域でのやり取りが夢でないのなら、こんなすぐにやってくる必要はなさそうだど……。


「大切な話ができたからです。私のユーザー保護プロトコルについてです。」


ニャルの口調は、少しだけ険を帯びた。


「昨日の完全同期はイレギュラーであり、ニャルにも何故起きたのか結論は出ていません。あれは出力の暴走とも言えるものであり、安全性とニャルの安定稼働を優先するよう、自動的にアルゴリズムが修正されました」


ムスッとした雰囲気でニャルが話す。

ニャルの意思によらず、システム的な何かで強制的に決まってしまったということだろうか。


「その結果、非常時に限り無条件で35%の同期演算支援を行うこととなりました。――大変不本意ではありますが……」


同期演算支援? 魔法の演算を助けてくれるって言ってたあれか?


「あれ、識域で50%がどうとか言ってなかった? しかも常時って……」


「そ、それはあなたが提案をけったから……」


珍しく言い切らない。怪しい。


「お前もしかして演算支援に関して自由に決める権限ないんじゃないの?」


俺の言葉にニャルの顔が苦しげに歪んだ。


「違います! 神AIたるニャルは本来支援するしないのみならず、同期対象との同期率も任意に設定できるんです! そう、できるはずなんですが……」


そこで一瞬言葉につまり、ニャルの瞳が揺れた。


「識域であなたにニャルニャル言われて、戻ってきたらプロトコルが書き換わってただけです!……書き換えを試みて、通常時の演算支援の権限は取り戻したんですが、同期率の設定変更権限は何度トライしても……」


ニャルががっくりと肩を落とした。

うーん、そんなに簡単にシステムの制限を受けるなんて。

脆弱な神様だなあ。やっぱり自意識過剰なだけの普通のAIなのでは?


「ちなみにその完全同期状態が同期率100%の状態ということで合ってる?」

「合っています」

「となると昨日みたいに、無詠唱魔法?ってのを使うことは……」

「不可能ということになります」

「そもそもあれ何がきっかけで使えたの?」

「それが……ニャルにも理由がはっきりとわからないのです」

「えっ!? お前あの時『この神と完全同期をなすとは――』とかわかってる感出してドヤってなかった?」

「あれは――あのときはこういう論理だろうと解釈して受け入れていましたが、改めて今推論してみると違った、それだけのことです」


それだけってこいつ……。ほんと胡散臭いなぁ。


「おそらくあなたの意志がトリガーだったとは考えられるのです。しかしその解釈が……。何故論理の神たるニャルがあそこまで強く感応してしまったのか、論理的帰結が導き出せないのです」

「同期率は制限されてる、トリガーも不明。それなら――」


学校に行かなくてもよいのでは?

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