死灯案内人

神城月花

死灯案内人

 —『真っ暗闇の中でまっすぐ進みなさい』と言われても、灯りがなければどこを歩いているかすら分からない。

 闇の中を歩き続けていれば、いつか何も見えない恐怖から狂ってしまうかもしれない。

 そんな時、私たちは必ず手を差し伸べます。

 こちらは死灯案内人。

 冥土までの僅かな旅路ですが、その行く末を照らしましょう—


 生きている間はみんな光の子供。でも死者にも光はあるべきだと思う。

 そんな理念のもと生まれたのが『死灯案内人しとうあんないにん』だった。

 様々な蛍光器具を持った案内人たちは、冥土への道が分からない死者たちの闇の中から現れては、正しい道に戻るまでの案内をする。

 案内人になれるのは生者のみ。そしてペア行動を義務付けられる。

 数年前に案内人のバイトを引き受けた私のペアは一人の少女だった。

 黄金の稲穂畑を想起させるひとつ結びの髪。星が住んでいると勘違いするほど、煌めき周りを引き寄せる夕陽色の目。

 私の口ではその美しさを全て言い表せないほど、美しい。

 そして彼女は人並外れたお人好しの優しい少女だった。

「一人でも闇の中で迷子になる人がいなくなるように」

 初めて会った時、彼女は私にそう語った。

 私はそんな崇高な理由など持っていなかった。それでも彼女は私とペアになることを選んでくれた。

さくちゃんって言うんだね。私はソル! よろしくね!」

 高校生の私より少し幼いくらいの少女が、こんなにも美しいのに。

 私は何をしているのだろう。


「こんばんは。この度はお疲れ様でした」

 闇の中を彷徨う人魂に声をかける。人魂が人の姿に見えることが少ないが、どんな言語を使ったとしても言葉を通じ合わせることはできる。

「私は死んだのですか」

 しゃがれた老婆の声。自分が死んだことを素直に受け入れる姿勢。きっと大往生だったんだろう。

「死んじゃったけど、魂はまだ続いているよ」

 手に持ったランプを人魂に近づけながら、ソルが優しく話す。

「私たちは死灯案内人。あなたを冥土までお送りさせていただきます」

 私たちの登場に少し困惑している様子だったが、しばらくして老婆の魂はゆっくりとソルのランプに近づき「よろしくおねがいします」と謙虚に言った。

「お嬢さんたちは生きている人でしょう。自分が死んでいると自覚すれば、意外と死者じゃないと分かるものね」

 冥土への道中、老婆の魂がそう話しかけた。

 生者と見破られるのは珍しいことじゃ無い。見破られたとしてもとって喰われるわけでも無い。生者が死者の生死に関われないように、死者も生者の生死には関われない。私たちのやっていることは生死に関わっているわけでは無いので、この理には当てはまらない。

「そーだよ! おばあちゃん、よく分かったね!」

 ソルが明るく笑う。少し老婆の魂が揺れた気がした。ソルにつられて笑ったのだろうか。

「えぇ、なんとなくだけど。生きている方々がどうして死者の道にいるの?」

 優しく孫の相手をするような、穏やかで安心できる声。この仕事に守秘義務はない。なるべく道中では話に花を咲かせ、むしろ立派な冥土の土産にすることが推奨されている。

「あのね、さっきも名乗ったけど私たち『死灯案内人』って言って、おばあさんみたいに冥土までの道が分からない人への案内をしているの」

「死灯案内人には生者しかなれません。なので私たちの生きている世界で特に霊感の強い人にバイトとして死神が持ち掛けることがあるのです。まぁ人手不足なんでしょう」

「そうなの。お嬢さん方は若いのに立派なお仕事をしているのね」

 優しく褒めてくれる。手があれば頭を撫でてくれただろう。この老婆の魂からはそういった安心した雰囲気しか感じない。

「でも、なんで生きている人じゃないとダメなのかしらね」

 老婆が不思議そうに言った。

 ソルは少しの沈黙の後、「きっと」と切り出した。

「きっと死者の人たちと関わることで、今生きている私たちが生きている人を大切に思えるようになんだと思う」

 ソルの回答に私は思わず微笑んだ。私より前を歩いているソルに私の表情は見えないからこそ、私は微笑んだのだ。

 ソルほど崇高な理由など持っていなくても、私はそれに納得できる。

 ソルはこの仕事を続ける私も照らしてくれたから。

「……そうねぇ。生きている間は誰かを大切に思ってね。お嬢さん方」

 前を歩いていたソルと老婆の魂が歩みを止める。

 暗闇の向こうに白く輝く一筋の光があった。

 三途の川だ。

 三途の川まで行けば冥土となり、暗闇から解放されることができる。

 ソルはそっと光の方を指差した。

「あそこまで行くと、おばあさんは冥土に行くことができるよ」

 老婆の魂がゆっくり揺れた。

「……そう。ありがとうね、お嬢さん方」

 老婆の魂は何度もお礼を口にした後、静かに三途の川の方へ進んで行った。

 三途の川の光で魂が見えなくなる直前、美しい藤色の着物を着た老婆が見えた気がした。

「……おばあさん、朔ちゃんの国の人だったね。やっぱり着物って綺麗だな」

「えぇ。我が国の誇る美しいものの一つですから」

 ソルと感傷に浸っていると後ろに何者かの気配を感じる。

 二人でそっと振り向くとそこには頭が山羊の骸骨で出来ている黒いコートの人物が蝋燭を片手に立っていた。

「死灯案内人は冥土に入ることは許されない。それ以上は死者の国だ」

「えぇ、存じております。死神様」

「今帰るよ」

 死灯案内人の上司に当たる死神は、魂を冥土に送り届けると毎回律儀に現れては忠告をしてくれる。

 その理由を私はなんとなく知っており、それが私の事情だからこそ、ソルを巻き込んでしまっていることを申し訳なく思っていた。

「朔ちゃん、帰ろ」

 こちらに向けて静かに手を差し伸べるソル。私はその手を一度も取ったことがない。


 ——冥土の土産に冥土を覗くバイトをしませんか。

 私が聞いたバイトの誘い文句はそんな感じだった。

 ビルの屋上で風に吹かれていた私に死神がそう言ったのだ。

「そうしたら、希死念慮も少しは落ち着くと思いますよ」

 私の前に現れた死神は楽観的で、今にも足を踏み出しそうな私にそう言った。

 当時の私ははっきり言って壊れていた。

 なんの不満もない家庭と環境で生まれ育ったのにも関わらず、常にこの世から消えたい欲が抑えきれなかった。

 今思えば人肌が恋しかったのだと思う。心の底から自分を吐き出しても認めてくれるような人が欲しかった。そんな都合のいい人物がいないと分かっていながら。

 正直に言って死ぬのが怖かったその時の私は、死神の手を取った。

 だから、私はあくまで冥土の見学をしにきている。

 だから生者として死者を照らすソルとは触れ合っては行けない。もうすぐ死者になる私が太陽の手を取っては行けない。

 傲慢になり蝋の翼で太陽に近づき、地まで落ちたイカロスのように。

 私は彼女に近づくことなんて出来ないんだから。


 導く魂は平均で1日に5人ほど。

 たまにおしゃべり好きな魂がいれば満足するまで付き合わなければいけないので、数はもっと減る。

 魂の中にはよくいる、走馬灯を語りたがる魂。

 それがいま案内している魂だ。

 若い男性で、未来のオリンピック選手と呼ばれたほど身体能力に恵まれていたらしい。それが無差別的な通り魔に巻き込まれ命を落としてしまった。

「それでもねぇ、俺は満足してるんスよ! 俺が庇わなければ後ろの女の子は絶対に刺されてたし。オリンピックに出れなかったんのは残念でしたけど、最後に誰かを守れ他ならよかったなぁって。そしたら、目の前が真っ白になって色んなことがバァーって流れてきたんスよ! 初めて部活でレギュラー入りした日とか、欲しかったスパイクを買ってもらった日とか、いやぁ走馬灯って面白んいんスね。願うならもう一度見たかったスよ」

 ここまで一息。さすがオリンピック候補、肺活量も人一番らしい。

「そっかー。でも走馬灯はそう何回も見るもんじゃないと思うよ〜」

 最後以外、話を聞いていたか怪しいソルはニコニコしながらそう返した。

「お! お姉さん、走馬灯を見たことある感じスか?」

「いやぁ、まさか! 見たことないけど、走馬灯をもう一度見るってことは2回目も死んじゃうってことでしょ。死ぬのって辛いと思うよ」

 ソルの諭す声に男性は口を噤んだ。

「……そっスね」

 何かを反省しているようなバツの悪そうな声。

 しばらく無言が続いた後、ソルが歩みを止めた。

 三途の川の光が見えてきたのだ。

 ソルはゆっくりと光の方に指をさした。

「あそこまで行くと、冥土に行くことができるよ」

 男性の魂はその言葉を聞いて少し立ち止まっていた。

 そして数分経つと、ソルの前に躍り出てこちらに向かって深く一礼して「ありがとうございました!」と叫んだ。

 彼の姿はオリンピック代表のユニフォームを着た一人の男性になっていた。

 彼はクラウチングスタートのポーズをとり、勢いをつけて光に向かって走っていく。

「人を守って死ねるのっていいね。そういう最後を迎えたい」

 ソルは男性が見えなくなるまで見送った後、そう言った。


 後ろに誰かの気配がする。その人物は知っている。

 ソルは三途の川の光の方をまだ見つめていたので、私だけ振り向いた。

 相変わらずそこには丁寧に忠告に来た死神が立っている。

「死灯案内人は冥土に入ることは許されない。それ以上は死者の国だ」

「はいはい、毎度ご苦労様です」

 私はソルに声をかけようとした。

 瞬間、死神が「だが」と続けた。

 死神がそれ以上のことを言うのが初めてで思わずバランスを崩して転びそうになってしまう。

 なんとか体勢を戻した私は嫌な予感がしてたまらなかった。脳がここからにげだせ、さもなければとんでもなく嫌なことを聞くことになる、と信号を出していて、冷や汗が止まらなかった。それでもソルが動かなかったから、私も動くことができなかった。

「お前は別だ。そのまま先に進んでもいい」

 死神がソルの方を向いて言った。


 その場の時が止まったかのように思った。

 脳が正しい理解を拒んでいる。

「ソル」

「あ、バレた?」

 私の呼びかけに答えるようにこちらを向くと、いつものようにソルは明るく言った。

 その表情はニコニコと笑っているが、どこか恐怖を感じる。

「あのね、私『生霊』ってやつなんだって」

『生霊』とは生きてる人間が強い思念により自身から思念だけを切り離し幽霊のようにさせること。

 一般的にはそう言われているが、死神たちの間ではもう一つの意味がある。

「……

 私の独り言にソルはいつもの子供のようなニカッとした笑い方ではなく、静かに真実を知ってしまった子供を慰める母親のような、それでいてどこかもの悲しげな笑みを浮かべていた。

「うん。私ね、ってやつなんだって。知ってる? 体は生きているのに脳だけ死んでるの。脳が死んでいるから二度と起きることはできないし、時間が経てば機械によって生かされていた心臓も動かなくなってしまう。たとえ心臓が動いていても脳死の状態が人の死なんだってさ」

 明るくまるで人ごとのように振る舞っている。私がソルの言葉を頭では理解できているのに本能が聞くことを拒否しているように、ソル自身も自分が死んだ現実から目を背けたいのかもしれない。

「体が生きているから、生者の扱いで死神さんが死灯案内人にしてくれたの。私が死ぬまでの少しの間だけ」

「で、でも貴方とはもう一ヶ月もペアを組んで……脳死状態でそんな長く生きていられるはずが……」

「私のお家ね、お医者さんのお家なの」

 逃げ道を塞がれた気がした。

「お父さんがどうしても私を医者にしたかったんだって。だから、誰よりも脳死の残酷さを知っていながらも否定しているの……バカだよね」

 何も、言えなかった。

 一ヶ月だけペアを組んだ私ですら、ソルの死を否定したい。

 ソルは人を惹きつける才能を持っている。そしてその分、自分が死んだ時にたくさんの人に悲しみをばら撒いてしまう。

 その美しさに惹かれてやってきた人たちは、彼女がもう死んでいることに嘆き悲しむのだろう。私ですら、今この瞬間に否定の号哭をあげたい。

「ねぇ、朔ちゃん。泣かないで」

 ソルは優しく私の頬に手を当てた。いつのまにか私の顔は涙でぐしゃぐしゃになっていた。

「朔ちゃん。私がいつか死んだら冥土まで連れて行って」

 ソルは頬を赤らめながら言った。

 彼女の安心し切ったような顔を見て、その願いが彼女の最後の願いと理解したのと同時に、彼女の未練がなくなったことを理解した。

 壁があったら自分の無力さに嘆くために拳を叩きつけたい。目の前の少女は凛とした立ち振る舞いで、こちらを見つめてくる。

「貴方は私にとって太陽みたいな人でした」

 なんとか絞り出したような声。対して持っていない語彙力を総動員しても、今の感情を表す言葉が見つからなくって、それでも何かを言わないとこの空間が終わってしまうと誤認して、なんとか一言でも相手の心を引き留めたくて仕方がない。そんな声。

「私は、貴方と少しの時間しか過ごしていない。でも、貴方がたくさんの人を救おうと努力してきたことを知っているっ!」

「それ、嘘だよ」

 感情に任せて放った言葉がピシャリと止められてしまった。

「初めて会った時の話をしてるんだよね。嘘だよ。私、冥土でひとりぼっちになるのが怖かったから、死灯案内人のペアが欲しかったの。ペアの子に送ってもらえればいいや〜って。まぁ、自分が一人ぼっちになるのが嫌なのを知っているから、ひとりぼっちの人がいなくなればいいな〜とは思ってたけど……」

 悪いことを悪いと思っていない。そんな責任逃れも甚だしい、と怒りが湧いてくる。そんな雰囲気の声。でも、彼女の願いは至って単純で、それが悪いという事実は全くない。

「だから、ごめんね。朔ちゃん。嘘ばっかりついている悪い子だけど、ちゃんと冥土まで送ってくれる?」

 ソルがいつもの子供のようなニカッとした笑いを見せた。

 子供のように振る舞って許されたいと思っているのだろうか。

「嫌だ」

 腹の底から押し出した声が吐き捨てられる。

 ソルは静かに目を見開いていた。

「お願いです、お願いですから」

 ソルに近づく。ソルは何も言わずそこに立っているだけだ。

「その光で私を永遠に照らし続けて。私は誰かの光を借りないと生きていけない……」

 静かに絞り出した私のずっと思っていた感情。希死念慮まで抱いても誰にも吐き出せなかった本心を独り言のように呟いた。

 ソルの胸で私は泣いた。ソルは何も言わず立っているだけ。

「死灯案内人」

 私たちを見守っていただろう死神に声をかけられた。

 ぐしゃぐしゃの顔を見られたくなくて、ソルの胸に顔を埋めている。

 ソルはその頭を優しく撫で、死神の方を向き直した。

「何か」

「死神になる気はないか」

「え?」

 思っていもいない提案に思わず二人であっけらかんとしてしまう。

 状況についていけない私たちを知らんぷりして、死神はそのまま話を続ける。

「死神の多くは死後、生者の世界への未練を持っている魂だ。冥土へ渡った後、特別な講習を受ければ死神になることができる」

 とても魅力的な話を聞いた、と言わんばかりにソルの目は輝いている。

「まぁ、死神なら死灯案内人の上の立場だし、ペアがいなくなってしまった死灯案内人の次のペアが決まるまでの臨時ペアくらいにはなるんじゃねぇの」

 死神の言葉にソルと二人で向き合う。

「じゃあ、ソルと別れなくていい……?」

「一度、死は挟んでもらわないといけないけどな」

 いつもの念入りな忠告と同じトーンで死神が釘を指す。


「じゃあ、朔ちゃん。私のこと、導いてくれる?」

 目尻に涙を溜めたソルが震えた声で言う。

「はい、お疲れ様でした」

 私も震えた声で返す。

 ソルが思いっきり私を抱きしめた。少し早い心臓の鼓動と段々熱くなっていく体温が直に伝わってくる。

「私もね、朔ちゃんと一緒にいたのが楽しかったの。私、まだ生きてたから、生きている朔ちゃんを大事に思いたいって思って……」

 ソルが許しを乞う子供のように泣きじゃくった。


「じゃあ、行ってくるね」

 三途の川の光の直前。冥土に足を踏み入れる一歩手前。

 ソルがこちらに向かって手を振った。

「えぇ、待ってます」

 私も手を振った。

 今にも泣きそうになりながら、ソルはいつものようにニカっと笑った。



 —灯のない暗闇で迷ってしまったら、私たちは必ず手を差し伸べます。

 こちらは死灯案内人。

 冥土までの僅かな旅路ですが、その行く末を照らしましょう—

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