第一部4章「王城」

城都クロライナに立ち入ったのは初めてだった。砂漠の都市国家のなかでも随一と言ってよいほど水と土地に恵まれたこの地は、多くの民家が立ち並び、市や物売りも盛んだ。都市の中心部には四方をぐるりと塀で囲まれた王城が明るい陽の光を浴びながらどっしりと構えている。城の周りを囲む池の水が時折反射して城の白い壁に淡い光を映す。

シャータは城の真ん中にそびえ立つ半球状の屋根と空に突き刺さるようなするどい塔を見あげた。

塔の先にぎらつく強い太陽の光に思わず目を細めていると、後ろを歩いている相棒にかたをぶつけられる。

「ぼんやりしてないで早く歩け、田舎者」

案内の兵士に連れられ、円天井の内門をくぐると、広い城内は煉瓦と色とりどりのタイルで飾られていた。こつこつと、靴音が響く。両脇に整列し、頭を下げる家臣たちの間を通り、なおきょろきょろとあたりを見まわしながら歩いていくと、しだいに狭い廊下へと通された。重役の一人だろうか、年老いた男が片手を部下らしき若者に預け、もう片方の手に握った杖で周囲を触察しながらもしっかりと背を伸ばし歩いている。横を通り過ぎようとした時、老人は足を止め、おそらく見えていないであろう目をこちらに向け突如声を発した。

「誰か」

シャータが返答に困っていると、案内の家臣が即座に答える。

「客人でございます。」

老人は訝しげに首を傾け、立ち止まった。見えないかわりに何かを聞き取ろうとでもする様子だ。

「行きましょう」

案内人は足早に横を通り過ぎ、シャータとカーラもそれに続いた。

通されたのは広い謁見の間だった。

両手に控える家臣達の好奇の目にさらされながら、カーラは隣にいる相棒の表情が次第にこわばっていくのを感じた。

「大丈夫か?表情が硬いよ。」

「別に、仏頂面はいまに始まったことじゃない。」

すねたかのように言う相棒の顔を見て、シャータは少しおかしくなった。それを察してかカーラがなにかいいかけたが、周囲の空気がぴりりと引き締まった物に変わる。高らかに楽器が鳴り響き、物々しい雰囲気で豪奢な衣服の人物が入ってくる。初めてその様子を目の当たりにしたシャータは珍しさに思わず周りから一歩遅れ、慌てて隣のカーラに倣って跪いた。 

「国王陛下のお出まし」

国王だって?シャータは思わず腰を抜かしそうになる。

何の用か知らないが、王直々に謁見を行うとなると大ごとであるに違いなかった。カーラが顔色を変えるわけだ。

程なくして王は人払いを行い、謁見の間には数人の家臣と自分たちだけが残された。

家臣の一人が口を開く

「そなたらは、この辺りでも一番腕利きの護衛と聞く。」

カーラが返事をするかと思いきや、黙りこくっているのでシャータは、慌てて一呼吸遅れて返答した。

「…滅相もございません。」

「そこで、そなたらに頼みたいのは于闐国へ旅立った皇女、ウッパーラ様を護衛し、無事に于闐へと送り届けてもらいたい」

相変わらずカーラは無言を貫いている。

「あ、それはもう、至極、光栄なことで…」

シャータは気もそぞろに何処かで聞きかじった言葉を並べる。こんな時正しく返答する言葉遣いなど、今まで教わったことはないのだ。粗相をして打ち首になるのではないかと、ひそかに冷や汗が背中をつたう。

「我々に頼まれる理由は?」

額ずいたままの姿勢で、ようやくカーラが口を開く

「申した通り、そなたらの腕を買ってのことだ」

「それだけではありますまい。」

「なんと?」

「こう聞くべきでしたか。『皇女に仕える衛士を差し置き、わざわざ我々をご指名の理由は?』と」

カーラは、普段の不遜な態度を一切崩さない。

「ここには王族に使える優秀な衛士が数多おいでのはず。それを差し置いて我々をご指名とあらば、何か『こと』が起こったとしか思えません。そこを詳らかにしていただかなくては、お力にはなれません。我々も、都合よく動く駒ではありませんので」「カーラ、さすがに…」

小声でたしなめるもカーラが不興を買ったことに変わりはなかった。家臣の間に不穏な空気が立ちこめる。

「国王陛下を前に、無礼であろう」

家臣の1人が大きな声を出した時だった。

「よい。この者が申す通り、全て詳らかにせよ」

低く静かな声が響いた。辺りのざわめきを制し、真っすぐに届いたその声は頭を下げた姿勢のまま、顔は見なくても、すぐに誰のものか、はっきりとわかった。

「面をあげよ」

言われるままに顔をあげると、目の前の王は存外に小さく見えた。

…これがこの鄯善国の王か。威厳はあるにしろ想像したほどじゃない。無理をして取り繕っているみたいだ。シャータには王の寄る辺のない姿がそのまま国の未来を指しているように思えた。

自分のとなりでややゆっくりと顔を上げたカーラと視線を合わせた時、年老いた王に困惑の表情が浮かんだように見えた。相棒の顔は長く垂れた黒髪に隠れて見えない。

「…この者たちに説明を」

王はそれだけいうと、玉座に深く腰掛け、虚ろな目で宙を見つめた。

「これを」

若い家臣の一人が木簡を差し出した。シャータがのぞき込んでみると中は乱雑な字で書き殴ってあった。ところどころ要領を得ない内容もあれば、誤字、脱字も多い。

「かいつまんで述べると、ウッパーラ様のご一行は出立後、ならず者に襲われ、人質としてとらえられている」

「人質?」

「大きな声を出すな」

シャータはたしなめられて首をすくめた。

「場所は?」

カーラが淡々と尋ねる。

「チャルクリクの付近の砂漠と思われる」

「…相手の要望は?」

「国王陛下自ら、交渉場所に赴くこと。話はそれかららしい」

「お行きになれば良いのでは?」

カーラは大胆不敵にも顔だけを国王に向けて言い放つ。

「聞いておれば、ぬけぬけと」

袖に控えていたやや年嵩の家臣が激昂する。剣を抜きかねない勢いだ。

「それができぬから、そなたたちに頼んでいるのだ。」

若い方がそれを制しつつ続ける。

「状況は一刻を争う。文が届いてからもう5日だ。その間姫君の安否は分からず、追加の便りもない。何としても早く救出し、隊列を立て直し、于闐へ再出発しなくてはならない。」

「なるほど」

「もちろん、かかる費用は全て用意する。必要なものは全て用立ていたす。報酬もはずむゆえ、なんとか力を貸してくれぬか。」

「あなたの気持ちは分かった。」

カーラは次の言葉を紡ぐ代わりに再び国王へと目を向ける。

「…頼む。」

絞り出すように、国王はつぶやいた。

「そなたたちに頼る他に手立てはないのだ」

少しの沈黙を経て、カーラが静かに答えた。

「わかりました。お受けしましょう。」

「かたじけない。必要なものは明朝出立までに用立てる。」

「いえ。まだ日が高い。すぐに発ちます」

「すぐ?!」

こんどはシャータが声をあげる番だった。

「長居は性に合わない」

そそくさとその場を後にする相棒に、シャータはあわてて付き従う。家臣たちも出立の準備を整えるため慌ただしく動き始めた。

「カーラと申したな」

扉を開け、立ち去ろうとする背中に王が再び声をかけた。周りの雑踏にかき消されそうな声で。

「私の娘。…どうか、頼む。幸せに…。」

最後は途切れ途切れに、そう聞き取るのが精一杯だった。

「…個人的な約束はしない事にしています。」

にべもなく、カーラは返す。

「ですが、そうなるように、努力は致しましょう。」

振り向きざま、そう伝えると、そのままカーラは足早に去った。黒髪と長い服の裾をひるがえして。

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