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「あの、りっちゃん……リタって今家に居ますか?」


「キミは……確かリタの友達だったよな」


「サキです。昨日はなんだか色々と大変でしたね……私は何がなんだか分からなくて置いてけぼりでしたけど」


 昼前。ミカがこれまで独自に積み上げて来た魔術についての勉強会が行われていた中、鳴らされたインターホンに反応して玄関までやって来たロイの前に現れたのはリタの友達。


(……そういえばこの子には申し訳ない事をしたな)


 彼女もまた、昨日の一件の関係者と言っても良いだろう。

 突然あれだけの巨大な何かが出現して、そこにリタが先行して向かって行ってしまった。


《キミは何も考えずに此処から逃げる事! 良いね!》


 あの時アイザックがそう告げた後自分達はリタを追っていた訳で、後続の部隊が保護したホーキンス大尉の事はともかく、あの後の彼女の事は何も知らなかった訳だが、相当混乱したであろう事は容易に察せられる。

 そして混乱して、不安で、心配になったからこうして足を運んでいるのだろう。


「それであの後……リタは大丈夫だったんですか?」


「ああ、まあ……大丈夫だよ」


 正直あらゆる意味で大丈夫とは言い難い。肉体的にも精神的にも。


(……今、会わせて大丈夫なのか?)


 粉砕骨折している腕についてはどうしようもないが、精神面に関して言えば昨日よりはかなり落ち着いてはいる。

 やはり明確にやるべき事が見えているという事と、後はシンプルに時間が人の心を癒す薬として優秀という点もあるのだと思う。

 だがそれでも不安定である事に変わりはなくて、どうしたものかと正解が見えてこない。


「なんだか微妙な返答ですね……それであの、今リタは……」


「えっとだな……それなんだけど……」


 そうやって思わず言葉を濁していた時、家の奥から足音が聞こえて来る。


「兄ちゃん、なんかアイザックさんから電話……」


 良いというか悪いというか。そういうタイミングでリタが玄関までやってきてしまった。

 そうなれば当然、目は合う。


「りっちゃん、良かった家に……ってその腕……ッ」


 ……これはもうリタに引っ込んでもらうのも難しそうで、それに昨日からの流れでアイザックから電話が掛かってきて、それに応じない訳には行かなかった。


「悪い、こんな状態だったから大丈夫とは言いにくくてな……ははは」


 ロイは踵を返してリタの肩に手を置き、小さな声で言う。


「大丈夫か?」


「……うん、大丈夫」


「あんまり無理すんな。俺は電話に出てくるよ」


 三年近く帝都に居たのもあって名前とかがすぐに出てこなかったりはするけれど、リタの友達が皆いい子なのは知っている。

そもそもこうして心配して顔を見に来てくれている時点で良い子なのは分かり切っている。だから向こうもそれなりにうまくやってくれるだろう。

 そうしてくれと願いつつ、ロイはリビングへと向かった。


「……あれ? リタは?」


 リビングにはぐったりとした様子のミカがソファに体重を預けている。

 昨日よりは多少はマシになってはいると思う。だけどあの一件の直後より良くなっているだけで、それは普段の調子のいい日の体調からは程遠い。

 果たしてこの先、その状態位まで戻ってくれるのだろうか。

 まだリタからは変わらず写身としての反応が感知できている以上、すぐには難しいかもしれない。すぐでなくても難しいかもしれない。

 そんなミカの問いに答える。


「丁度インターホンを鳴らしてたのがリタの友達でな」


「大丈夫かな? ……いや、丁度良いかな。少しずつ慣らしていかないと」


「一理ある。そうやって慣れてくれれば、俺達だけじゃ埋められないもんも埋まってくれるかもしれねえ」


 言いながら受話器に近付き、手に取り応答。


「お待たせしました、ロイです」


『いいかい、手短に離すよ。よく聞いてくれ』


「……ッ」


 その声音はどこか切羽詰まった様子を感じられて、思わずこちらにも緊張が走る。

 そして一切の軽さを持たぬまま、アイザックは告げる。


『マコっちゃんが多分そっちへ向かってる』


「え……」


 血の気が引いていく感覚があった。


『何かを感じ取ったように突然ね……すまない、運転中で止められなかった』


「べ、別件の可能性とかは……」


 そうであって欲しいという気持ちが前に出てそう言うが、アイザックの声音は険しい。


『その可能性もあるよ。このタイミングでピンポイントにキミ達の家の方角に写身が現れたとすればね』


「……ッ」


 そもそも駅から支部へのルートは自宅からかなり離れていて、その位置からリタの反応を感知するというのはあまりに非現実的だ。

 このタイミングで写身が出現するという薄い確率が起きたのだろうと思える位には。


 だが動いたのがコリクソン特等なのだとすれば、その薄い確率が起きる事よりは現実的なのではないかと思えてしまう。

 あの若さで特等にまで上り詰める人間というのは、どこまでも未知数なのだから。

 そしてアイザックも最悪なパターンを想定してこちらに指示を出してくる。


『とにかくボクも今すぐそっちへ向かう。だからもしマコっちゃんが訪れるような事があったらうまくやり過ごしてくれ。申し訳ないがよろしく頼むよ』


 そう告げたアイザックからの通話は、向こうから一方的に切られてしまう。


「……なんだかあまり良くない事みたいだね」


「ああ……ちょっとリタ呼んでくる」


 ご友人には悪いが本当に緊急事態だ。

 とにかくリタを家の奥に避難させる。それからもし本当にコリクソン特等がやってきた場合、玄関先でうまくやり過ごす。

 そうやってこれからのプランを突貫で練りながら、再び玄関へ戻った時……思わず目を見開いた。

 なにせそこに居たのだ。


「コリクソン特等? ……なんで?」


 困惑するようにそう呟くリタと、何がなんだかよく分かっていないリタの友人。そして。


「……」


 負けず劣らず困惑した様子でリタに視線を向けるコリクソン特等が。


(……まずい)


 これは確信だ。


(まずいまずいまずいまずいッ!)


 コリクソン特等は人並み外れた探知魔術で写身の反応を感知して此処までやってきた。

 そして反応を追って……リタと対面し、困惑している。

 困惑しているが多分、リタが写身であると気付いている。

 寧ろ困惑しているが故にそれが確信できる。

 最悪な状況だ。絶対に回避したい状況が有り得ない位唐突に目の前に展開されていた。


(……いや、待て)


 ……困惑してくれているのなら、まだ最悪にはなり得ていないのではないだろうか?


 そもそも、自分達が彼を警戒している理由は二つある。

 一つは彼ならばリタが写身である事を見抜くかもしれないという事。

 事実超遠距離でも感知して此処に辿り着いたという実績は脅威でしかない。

 そして二つ目は、社会常識的に写身を見付けた場合どうするのかというシンプルな話。コリクソン特等が真実を知った場合、リタを殺害するという行動に出られる可能性が大いにあった。


 だが現実は一先ずは困惑し、立ち止まってくれている。

 だとすれば見えてくるのだ……対話による解決の余地が。

 今この一件に関わって支えてくれている人達のように、手を差し伸べてくれる可能性が。


 ……だが、その為に何をどうすれば良い?


 今この場にはコリクソン特等だけではなく、リタの友人という爆弾も居る訳で、下手な行動がそのまま詰みの一手になる恐れもある。

 此処から先の言動の選択は、きっと地雷原を歩くような事と同じだ。

 だけど何もしない事が。沈黙が最も悪手だろうという事は理解できるのだ。

 そんな事は理解できているのだ。


(何でもいい、何か……いや、何でもいい訳ねえだろ! とにかく……とにかく!)


 だがそこから先の言葉が出てこない。

 咄嗟にこの状況で適切な言葉を吐く為の人生経験が圧倒的に不足している。

 故に結果、この場で次に言葉を発したのは……コリクソン特等だった。


「……すまない。事前にキミの怪我の事は聞いていたんだけどね。いざ目の当たりにすると思わず言葉に詰まってしまった」


 そう言って苦笑いを浮かべるコリクソン特等。


(なんだ……どういう心境でそんな事を……ッ?)


 明らかにそんな理由で言葉を詰まらせていた訳ではない。そんなのは分かっているんだ。

 それが分かっても……今のコリクソン特等が考えている事を完璧に捉えられない。

 故に余計に、こちらの一手を打ちあぐねてしまう。


「えーっと、リタ、この人は?」


「トウマ・コリクソン特等。滅魂師の本部にいるかなり偉い人だよ」


「へぇ……なんでこんな田舎に?」


 恐らくこの場に居る全員が困惑している中で、その問いにコリクソン特等は答える。


「急な仕事でこっちに用があってね。そのついでと言ったらアレだけど、俺が以前スカウトしたような有望株が大怪我を負ったって聞いて。手土産も何も無いがお見舞いにと思ってね」


 リタの友人にそう言ったコリクソン特等は、そのままリタに視線を向けた後……こちらに視線を向けて声を掛けてくる。


「ロイ君は元気そうだな。久しぶり」


「え、ええ。お久しぶりです」


 そう言って目を見て話しているからこそ、余計に感じ取れる。

 今話している一語一句がなんとか取り付くろっている物である事は。

 そしてそんなコリクソン特等は、こちらから僅かに視線を反らす。

 その先に居るのはリタでも、リタの友人でも無くて、遅れて聞こえて来た足音が、その先に居る人物を知らせてくる。


 十中八九ミカだ。多分リタを心配して部屋から出て来たのだ。


 そんなミカを見て、それからリタを見て……少しだけ間を空けてから視線が向けられたのはロイの方で。それから彼はロイに言う。


「ところでロイ君、今時間は大丈夫か?」


「え、ええ。大丈夫ですけど……俺に何か? リタのお見舞いに来たんですよね」


「まあそうだが、キミに少し確認しておきたい事があってな」


 確認したい事……リタではなく自分に。

 その意図を図りかねている内に、彼は再びリタに視線を落とす。


「……そんな訳で、ちょっとお兄さんを借りて行ってもいいか?」


「は、はい……」


 困惑気味にそう答えるリタ。

 ……多分リタも、コリクソン特等がどうして目の前に現れたかは察している筈で、思考は酷い事になっているのではないかと思う。それが確信できる程に声に覇気が無い。


(……まあでもとにかく好都合だ)


 事の真意は読めない。読めないが、一先ず彼を此処から引き離せそうな訳で。

 それはこのままの状況を維持するよりは好転したと言えるだろう。


「ミカ」


 ロイは振り返って、壁を伝うようにやはりそこに居たミカに言う。


「そんな訳でちょっと外出てくるから、よろしくな」


 具体的に何がとは言えないけれど、こっちの事はミカに託す。

 コリクソン特等がひとまず消えても厄介な状況であろうこの場の事は託す。

 ……代わりに自分は外だ。なんでリタではなく自分なのかも分からないが、とにかくコリクソン特等をどうにかするのだ。

 どうにかなんて抽象的な言葉しか湧いて来ない自分に、どうにかできるかは分からないが。

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