5

「支部長さんは何か飲みます?」


「いや、お構いなく。僕は円滑にロイがこの話をできるように着いて来ただけの橋渡し役ですから。なんなら既にその役割は終えたと言えますし」


「普段ウチの子達が世話になってるんです。そんな客人相手にそれはできないわ。と言っても出せて麦茶かインスタントコーヒー位ですが」


「じゃあブラックを頂きますか」


「分かりました」


「あの、アイザックさん。確かブラックは苦手とか前に言ってませんでしたっけ?」


「こんなシリアスな空気の中でお砂糖にミルクなど所望できると思うかい?」


「ごめん母さん、アイザックさんの砂糖とか入れて貰っていい?」


「分かった。で、ロイは?」


「俺もブラックで……って母さん、やっぱ俺がやるよ。目に見えて疲れてるし」


「今のロイに言われたくはないかな。座ってなさい」


「……」


 リビングにて、そんな会話を交わしたロイは大人しく椅子に座る。

 そして近くを陣取ったアイザックに問いかける。


「車の中でも聞きましたけど、俺まだそんなに酷い顔してますか?」


「変わらずずっとそんな感じさ。酷い心労って奴だ。ほんと、よくリタの前では抑えてたと改めて関心するね」


「できればずっと押さえておきたいものですけどね。色んな人に心配掛ける」


「こういう時に人の事を考える辺り、血は繋がっていなくてもやはりキミ達は兄妹だ」


「そうですね……何があってもその辺は変わりませんよ」


「……頼もしいわほんと。言うタイミングなんてのは無かったけど、それでもロイには伝えておいた方が良かったのかもしれない」


 マグカップの乗ったお盆を持って戻ってきた母は、テーブルの上にそれらを並べながら言う。


「言えば家族が壊れるんじゃないかって、そう思うと少し怖かった。ごめんね」


「……父さんにも言ったけど、謝るような事じゃねえって」


 この一件において、最初から最後まで誰かが謝らなければならない事なんて無かった筈だ。

 本当に色々な人の善意で今日この時までの全てが成り立ってきた訳だから。

 仮に謝る必要がある者がいるとすれば……今日、手の届く範囲に居た筈のリタを、守る事が出来なかった自分位だろうか。


「……それで、全部教えてくれるんだよな。俺の知らない事全部」


「そのつもり。最初から今に至るまで、隠していた事を全部教える。まずはあの子が写身だと知った時の話をするべきかしら」


「そうだな。その辺の経緯も知りたい……想像もつかねえからな」


「じゃあそこから」


 そう言いながら対面の椅子に座った母は、少し間を開けてから言葉を紡ぎ始める。


「単刀直入に言えば、リタにはへその緒が繋がっていなかった。あの子はミカがまだ母親のお腹の中に居る時に現れた写身なの」


「……」


「だから生まれてきた瞬間には、もう写身だという事は分かっていた」


 まるで冗談でも聞いているかのようだった。

 写身が出現するポイントは、この世界のどこか。

 正真正銘のランダムだ。

 だから、今日ホーキンス大尉の写身が本人のすぐ近くに出現した事ですら天文学的確率な筈なのだ。

 それが……同じ国、同じ町どころか同じ母体の中に現れた。

 一体数値化すればどんな確率になるのか想像も出来ない程の奇跡が二人に起こった事になる。


 ……だが起きた事は起きた事だ。

 それは人が触れようのない領域の話。

 だがそこからどうなるかは、人が選択した結果だ。


「……今となってはありがとうとしか言えないけどさ、よく生かそうと思ったな。普通……そうはならないんじゃないか?」


 生まれてきた子供に写身が居るのが分かって、その写身が目の前に居るのだ。

 普通は滅魂局に通報して、生まれてきた子供の命を守ろうとするのではないだろうか?

 だけど、その普通が起きなかったという事になる。


「当然私は滅魂局に通報するつもりだった。だけど……あの子達の母親に止められたんだ」


「……」


「アイツはきっと二人共、自分の子供だって感じたんだと思う。私は止めたけどね……あんなに弱々しい声に、あれだけ強い意思を向けられたら、私はもうそれに頷くしかなかったし……遺言みたいになったその意思を、後からどうこうする事は出来なかった」


「遺言……そうだ、亡くなったんだよな、二人を生んですぐに」


「ええ」


 そして父親は二人の母親が身籠った時から行方を眩ましていて、親戚筋も頼れなかったそうで。

 最終的に親友だった母が。

 ヴェルメリア家が二人を引き取るに至った。


「それからは戦いだった。何せ手探りで二人共を生き残らせなきゃならなくなったんだからね」


「どうやったんだ……?」


「どうやった……か。そんなに大袈裟な事はしてない。本当に出来たのは普通の事」


 母は、まるで懐かしい想い出を話すように言う。


「正攻法なんて存在しない。実際赤子の写身が現れた今までのケースの中で……いや、赤子でなくても写身が現れた際に、被害者側に出来る事は何も無い。滅魂師が写身を倒す以外はね。だから私もお父さんも頭を抱えた」


 だけど、と母は言う。


「私達が対策を考えあぐねているにも関わらず、リタの存在がミカに与える影響は私達の想定よりも少なかった。どうしてだろうと私達は真剣に考えたよ。そしたら……一つ、根本的に他のケースと違う事に気付いたの」


「違う事……?」


「リタは生命力を吸い上げるという現象以外で栄養を体内に入れていたの。食事という形でね」


「……!」


 およそ写身の話をしている時に出てくるとは思わなかった言葉を耳にして思わず息を飲み……そして理解した。


「そうか……たったそれだけでも、生命力の吸い上げは抑えられるんだ」


 こんな事、考えた事もなかったが至極当然の話だ。

 写身が出現する際に大きく生命力を吸い上げるのは理解できる。何せ無から有を作るのだ。それ相応のコストが必要になってくる。

 だが超人的な身体能力や再生能力を除けば体の作りが普通の人間と変わらないのだとすれば……正しい栄養や睡眠の取り方で、体内機能を維持できる基盤も……臓器も当然備わっている筈で。 

 それができただけで、きっと全てを外部から全てを賄うよりは遥かにその総量は抑えられる。


「勿論それで全てが解決する訳じゃない。それで解決するなら今日みたいな事が起きなければミカはずっと元気で居られる筈だから。だけどそれでも効果的だったのは間違いないわ」


 そう言った母は小さく笑みを浮かべて言う。


「今にして思えばあの子の食い意地が張ってるのは、無意識にミカから吸い上げる生命力の総量を落とそうとしていたのかもしれないね」


「いや……それはただ単にアイツが食うの好きなだけじゃないかな」


「かもね。流石に何でもかんでも関連付けし過ぎか。あれはリタの個性」


 だけど、と母は言う。


「実際そういう曖昧な、うまく説明できない本能みたいな物が、あの子達の今を作っている」


「……というと?」


「例えばリタの運動神経の良さはあくまで人間の範疇だってのはロイも分かっているでしょ?」


「ああ、分かってる」


 そして自分の読みが正しければ、そのおかげでミカに掛かる負荷がある程度軽減されている。


「でも昔はそうじゃなかったの。生まれてすぐの頃は赤子にしては明らかに力が強かった」


「そ、そうなのか?」


「ええ。でもそれも物心が付く頃には落ち着いて、それからはすっかり普通の子供の力になった……どうしてだと思う?」


「なんでって言われてもな……」


 全くもって見当も付かない。

 流石にこれをほぼノーヒントで当てろというのは酷だと思う。


「その様子だと皆目見当も付かないって所ね……答えは私にも分からない、でした」


「いや分かんねえのかよ……」


「だからこれは私達の推測。全然的外れな事を言っているかもしれない」


 そう前置きした上で母は言う。


「成長の過程で、どこか本能的にその力が不要であると認識したんじゃないかって思ってる。まず大前提として、リタは他の写身と置かれた環境が違う訳で。獣みたいに……というより生まれたままの子供の様に暴れる事しかできない環境じゃなく、きちんと人に育てられる……庇護される環境に居たんだから。結果論だけど常識的な範囲以上の攻撃性は出てこなかったように、その力を自然と使わなくなったのかもしれない」


「……本当に推測だな。いやそれっぽい筋は通ってそうだけど」


 そしてそれっぽい筋への反論意見が浮かんで来る。


「でもその理論だと、どこかで馬鹿みたいな力使ってそうだけどな。それこそ今は滅魂師っていう攻撃性の塊みたいな仕事やってんだからさ。それで治癒能力の話も多分これと同じだろ……必要な場面なんて一杯あるんじゃないか?」


 滅魂師をやっていれば、少しでも強い力が必要となって来る場面が頻繁に出てくる訳で。

 必要ではないから自然と使わなくなったのだとすれば、使うべきタイミングで自然と前に出てきそうなものである。

 そして力以上に治癒能力は必要とされる場面が多い。

 特にリタはよく怪我をしていた。

 小さなものは数えきれない程していたし、大きな物でも五年程前に階段から足を滑らせた友達を庇って腕を折った事も有った。

 だがそれでも完治までに掛かった時間は普通の人と殆ど変わらなかった訳で。

 それらで何も起きなかった以上、母の推測は誤っているように思えた。

 だが母は言う。


「必要な場面なんてあの子の場合しょっちゅうあるわ。だけどそれに犠牲が伴うとしたら、そのハードルの高さは変わるでしょ」


「犠牲……ミカか」


「ええ……私はリタが本能的にミカからの最低限以上の生命力の供給を拒んでいたんじゃないかって思ってる。だからハードルが高くなった。例えば腕の骨折程度で。例えば強い写身と対峙した程度で、ミカを苦しめるなんて事は絶対にありえないと判断した。だから今までずっと写身特有の力は使われなかった。きっと最低限必要なんだと思う分以上の生命力の吸収は行われなかった」


 そしてどこか心配するような表情と声音で母は言う。


「……それに対し限界が来たのが今日みたいなパターンなんでしょ」


「……」


 確かに。

 確かにそれは納得できた。

 もしもリタが無意識下でミカから力を供給されている事を理解していたのだとすれば。無意識で力のオンオフを決めていたのだとすれば。

 確信を持って言える……それこそ今日の様な、きっと碌に思考も回せなかったであろう、どうやっても助からない状況でもなければその力は使われる事は無いだろう。


「……でも、そんな事、無意識にでも分かるもんなのか?」


 その辺は疑問であるが、ある意味至極当然の事を母は言う。


「あの子達には物理的では無いけど、確かに力を供給する為の繋がりがある。目に見えない、普通では感じ取れない……だけど確かにそれはある。長く一緒にいれば多分尚更」


 そしてそこまで言った母は、一拍空けてから自身の推測の信憑性を大きく引き上げる。


「実際ミカがそれで気付いた。あの子が十歳の時ね」


「……ッ!?」


「元々あの子に真実は伝えないつもりだったの。だけどそれでもあの子は、何の根拠も無い本能からの直感で、私達にリタが自分の写身だと伝えてきたよ。嘘で躱せない程に強い意思でね」


「……そうか」


 結局今の話が正しいのかは分からない。母の言う通り全くの的外れな考えなのかもしれない。

 だけどそこまで聞けば、自然と自分もその推測に自然と乗る形になった。

 そして自分を乗せたその話の続きが、母から聞けるリタの話と並ぶ程に聞きたい話だ。


「……それで、ミカはなんて言ったんだ」


 聞かなければならない話だ。


「ミカはリタが自分の写身だった事を、どう思ってるんだ」


 父と母が写身であるリタにどういう感情を向けてきたのかは分かる。

 どうしてそれが向けられたのかも分かる。

 それを聞く程野暮な事は無いと思える位には良く分かるのだ。


 だけどミカだけは話が違う。


 双子の姉が自分の写身だったなんて事に気付いたミカが。

 真実を知っていて、それを内側に押し込んでリタと接してきたミカが、一体何を考えていたのか。

 それだけは踏み込んで、その断片を手繰り寄せなければならないと思った。

 そして母はロイの問いに躊躇う事無く答えてくれる。


「リタを助けたいって、あの子は言っていた。今だってそう」


「……助ける?」


「自分が大変な事になっているのに……あの子は自分にもしもの事が有った時のリタの事を考えてた」


「……ミカ」


 もしミカの命が失われるような事になれば、自動的にリタの命も失われる。

 それに対し自分や両親が二人を一緒に並べて頭を抱えるのは理解できる。


 だけどミカの場合は……まずその手前で立ち止まるのが普通な筈だ。


 倒して貰わなければならない写身が自分の双子の姉だった事に困惑と、写身を駆除しなければ自分の命が失われるというのにそれが出来ないという事を。

 ミカの立場でリタを擁護するとしても、そうした事を両親に言うのが普通なのではないかと思う。

 こんなレアケースに普通も何も無いとは思うがそれでも。

 それでもミカは、そんな小さな時から誰にも出来ないような事をやっていたのだ。


「……そっか」


 ミカの兄として、心から誇らしいと思う。

 そしてリタの兄として……どこか救われたような感情も沸いてくる。

 本当に良かったなって……そう思ったのだ。

 そしてそう考えていた時、少し大きめの足音が耳に届き、部屋に父が入ってきた。

 いや、父だけじゃない。


「……兄さん」


 その背には今話の中心になりかけていたミカが背負われていた。


 ここ数年で……いや、今まで見てきた中で一番と言っていいくらいに、ぐったりと追い込まれた様子で。

 それでもあまりに鋭い視線をこちらに向けて。


「ミカ、目ぇ覚めたのか! だ、大丈夫か!? 寝てなくて大丈夫なのかよ!」


 思わず立ち上がってそう言うと、代わりに父がその問いに答える。


「大丈夫じゃない。だけど目が覚めて、お前が戻ってきている事を……二人共秘密を知った事を教えたら、お前の所に連れていけって聞かなくてな」


「……こんな時に、寝てなんていられない」


 そしてミカは弱々しく、それでも強い意思を感じる声で言う。


「兄さんにお願いがあるんだ」


「……お願い?」


「ボクをリタのところに……連れていって欲しい。支部に居るんだよね」


「割って入って済まないがちょっと待って欲しい……正直キミの気持ちを理解しているとは言えないが、それでも今はベッドに戻った方が良いと進言しておくよ」


 そのリタを預かっている場所のトップは落ち着いた冷静な声音でそう告げる。


「キミもそう思うだろ、ロイ」


「……そうですね」


 投げられたボールを受け取って、ロイも答える。


「ミカ。お前の体調が良くないってのも勿論理由の一つだけどさ……言いにくいけど今のミカはリタにとって刺激が強すぎると思う。だから連れてこなかったんだ」


「キミも知っている通り、僕達62支部にリタをどうこうするつもりはない。その辺は安心して欲しいよ」


「……それは、分かってます。刺激が強い云々の事も……分かってます……それでも」


 ミカは今出せる一番強い声で、なんとか絞り出したような声でロイ達に言う。


「ボクは……リタに会わないといけないんです。写身がどうだとか……関係ない! 双子の妹として……会わなきゃ!」


「……」


 正直、どうするのが正しいのかという判断基準は先程述べた通りだ。

 ミカの容態的にも、リタの心証的にも。

 今ミカを連れていく事が好ましい事だとは思わない。

 思わないが……それでも。


「……分かったよ。アイザックさん、運転お願いできますか?」


 それだけ強く自分の意思をぶつけて来る事は今までなかったのだ。

 その意思を無碍にはできない。

 無碍にはしたくない。


「正直あまりお勧めはしないけどね……ご両親的にはどうかな?」


 アイザックさんはそう言ってコーヒーを一気に飲み干し、二人の言葉を待つ。


「医療従事者としては正直頷きにくいな」


「同感ね……同感なんだけど」


 母は小さく溜息を吐いてから言った。


「それでもその子の決めた事は、出来るだけ尊重してあげたい」


「……俺達には分からない。ミカじゃなければ分からない事もきっとあるからな」


 父も複雑な表情でそう頷いた。

 どうやら二人からも許可は降りたらしい。


「……ありがとう」


 ミカはその場を見渡し礼を言う。

 そしてそんな光景を見て笑みを浮かべながら小さくため息を付いたアイザックは言う。


「こうなれば部外者の僕に止めることは出来ないな。だったら急ごうか……コンディション的にも、此処での長話に付き合わせてから向かうなんてのも酷だろうしね。お二方はどうします?」

 言われて顔を見合わせた二人は小さく頷きあい、母が口を開く。


「私達は此処に残ります」


「あの子が紆余曲折有って戻って来るって可能性もゼロじゃない。それで入れ違いで家に誰もいない、なんて事にはしたくないですから」


「……此処をちゃんと、あの子の帰ってくる家にしておきたいんです」


 だから、と母は言う。


「ロイ、ミカとリタの事頼んだよ」


「ああ。任せてくれ」


 正直自分にできる事があるのかは分からないけれど。それでもミカの思ったようにさせてやる為に。二人の納得のいく形に着地させてやる為に。


(……やれる事をやれるだけやろう)


 もう自分は何も知らない傍観者では無くなったのだから。

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