二章 この世界の悪

1

 兄ちゃんが第62支部に入隊してから早一か月が過ぎた。

 この一か月間の間に特筆するような出来事は特に無し。

 良くも悪くも穏やかな日々だ。


 結局あれからもミカの写身は私達の前に姿を現していない。

 ミカの手の甲の痣が消えない事から、きっと誰の前にも現していない。

 残念な事に穏やかな時間だけが過ぎて行ってしまう。

 ただ何も悪い事ばかりだった訳じゃ無い、良くも悪くもの良くもの部分もちゃんとある。


「そういやあれから一か月か。何事も無く無事で良かったなお前」


 写身が出現した際に慣らす警報関連の設備点検の為に私、兄ちゃん、アイザックさんミーティアさんの四人で外回りの最中に立ち寄った、田舎町の中でも更に田舎って感じの区画のラーメン屋(サキの実家)で、ミーティアさんが口にした事がまさに良くもの部分。


「あれから一か月……さあ、一体どれの事だろう……アレか……それともコレか……?」


「なんで思い当たる節何個もありそうな感じなんですか……」


「ほら多分アレですよ。あんまり外ではっきりした事言いたく無いですけど、俺が入隊した日のアレです」


「ああ、軍と揉めた件か。全く、そういう話を突然誰に聞かれるか分からない所で始めないでくれ」


「大丈夫だろ、このラーメン屋あーしら以外客居ねえし、店主の爺さんは耳遠いし。な、大丈夫だよなマスター」


「あい餃子追加ね!」


「大丈夫そうですけど大丈夫なんですかこれ?」


「大丈夫。頼む予定はなかったけど、此処の餃子は結構おいしいからね!」


「でも私は一つ位しか食べられませんよ」


「そりゃラーメンに焼飯に唐揚げまでしっかり食べているから、全部入る方が怖いよ」


「まああーしらで食うから大丈夫だ」


「いやそういう事じゃないんですけど……まあいいや。俺も一口頂きます」


 良くもの部分は、アイザックさんと軍の人が揉めた一件が変に燃え広がる事無く自然鎮火した事だ。

 軍とウチの支部はあれから基本的に普段通りの距離感を保っている。


「まあ向こうからすればこれ以上事を荒立てたくないという考えが有ったのだろうね。こちらに荒立てる為の手段が無い以上、向こうからも何かをしてくる訳ではないと。あれからお互い分かりやすいアクションを起こせていない事が良い事なのかは分からないが……ああミーティア、胡椒取って」


「ほらよ」


「ありがとう……っと噂をすれば」


 そう言ったアイザックさんは入り口の方へと視線を向ける。

 それにつられて視線をそちらに向けると、入店してきたのは落ち着いた服装をした三十代半ば程の男の人……って誰ぇ?

 首を傾げる私に兄ちゃんが耳打ちしてくる。


「ほらアイザックさんが揉めた相手」


「あ、その時の軍人さん?」


 完全に私服だから全く気付かなかった。

 そしてその軍人さんはこちらに……というかアイザックさんに気付いて嫌そうに表情を歪めた後、それ以上のアクションは起こさず近くのカウンター席へと座る。

 うん、近い。店が狭いから仕方ないけど細い通路挟んですぐそこ。

 ……ちょっと気まずくないかな?


 でもアイザックさんの言う通り、こちらから事を荒立てなければ何かをしてくるつもりはないみたいだ。

 まあ此処で何かしてくるなら、とっくに支部の方にカチコんで来てそうだし。

 平和的に何事も無く事が終わるのが良いのか悪いのかはともかく、此処では平和に食事ができそう。


「やあ誰かと思えばホーキンス大尉じゃあないか。こんな所で会うとは奇遇だね」


 アイザックさんんんんんんん!?


「……貴様、人が折角互いに不干渉で行こうと考えていたのに良くもまぁ……」


 それはそう! 本当にそう!


「あーちょっと待てちょっと待て。面倒な事になる前に……あ、マスター、特製ラーメン麺固めでお願いします」


「あい至極焼飯味濃いめねー」


「えぇ…………じゃあそれで良いです」


 いやどう考えても良くないでしょそれ!


「マスター、そこの彼の注文は特製ラーメン麺固めだ。焼飯じゃあないよ」


「ん? 特製ラーメン追加かい? 兄ちゃん良く食べるねぇ」


「いや僕では無くそこの彼だ。ほら、あなたもあの時の威勢はどうした」


「プライベートでまで人と揉めてどうする」


「公務員なだけあって変な所でメリハリが効いているね!」


 ちなみに滅魂師も含めた滅魂局の局員も公務員だけど、アイザックさんからはメリハリのメの字も見当たらない。

 外部の人が居る前でそういう貶めるようなツッコミは誰も入れないけど。


「とにかくマスター、注文修正だ。これだよこれ!」


 近くにあったメモ紙に本来のメニューを書き込んでカウンターにまで持っていくアイザックさん。

 最初からこの店このシステムにした方が良くないかな。偶にサキが手伝ってる時以外まともに回ってないんじゃないのこの店。


「あい分かった。すみませんねお客さん」


「いえいえ……」


 ホーキンス大尉は会釈しながら店主にそう言った後、アイザックさんに改めて視線を向ける。


「とりあえず礼を言っておこう。助かった。私はラーメンが食べたくて足を運んだ訳だからな」


「素直じゃないか。仮にも揉めた相手なわけだが?」


「今日はプライベートなものでな。そうすべきと思った事を押しとどめる理由も無い。貴様も良く俺に助け船を出す気になったな」


「別に僕だって争った相手を徹底的に憎悪するような単細胞ではないという訳さ」


「成程」


 そんな風にこの二人本当に揉めてたのか? って感じの空気が漂い始めた所でホーキンス大尉は言う。


「とりあえず席に戻れ。麺が伸びるぞ」


「お気遣い感謝。まあほぼ食べ終わってるんだけどね」


 言いながら席に戻って来るアイザックさん。

 そして麺を一啜りした後、再びホーキンス大尉に言う。


「で、先日僕がああして突っかかった件は不問かい? 僕としてはかなり危ない橋を渡ったつもりだったのだけれど」


「危ない橋だと認識しているなら渡らないで欲しい物だな命知らずめ……今こうして貴様が自由の身なのが答えだ。理由は二つある」


「一つは事を大きくしたくないから、といった所かい?」


「ああ。言いがかりとはいえ下手に刺激して事が大きくなるのは避けたかった」


 あくまでシラを切り続ける訳だこの人。

 まああの場で認めなくてこんな場所で急に認める訳が無いんだけども。

 ……でもこれが一つ目って事は二つ目はなんだ?


「ちなみに差支えが無ければ二つ目の方を聞いてもよろしいかい?」


 アイザックさんにそう問われた彼は、少し悩むように間を空けてからそれでも答えた。


「疑われるような現場状況だったのは事実。そしてあの状況で不正という可能性に到達した者としてとても立派な行動ではあった。私に咎めた内容も至極真っ当。そんな相手との争いは可能な限り小さな範囲で終わらせるべきだ。だからあの後貴様達の方から直接的なアクションがなくて本当に良かったと思っている……まあそこで止まるなら最初から突っかかるなといったところだが」


「「「……」」」


 こ、この人、禁止されている魔術勝手に覚えてるヤベー奴だと思ってたけど、そこ除くととんでもなく人間が出来てる! 凄い立派な大人って感じだ!


「つまり僕の件はあなたの方で握り潰してくれた訳だ。ありがとう」


「いや、礼を言われるような事はしていない」


「では勝手に一つだけ。これは僕に言いがかりを付けられていると思って聞いてくれれば良い」


 一拍空けてからアイザックさんは言う。


「あの場でキミは戦わずに逃げられたはずだ。そして表に出してはいけない力の試し打ちをしたかった訳でも無いんだろう。それでも戦い怪我人は出なかった。出させなかった。その時の選択そのものについては、滅魂局の支部長として礼を言わせてほしい。ありがとう」


「……全くの見当違いだが、どういたしましてとでも言っておこうか」


 どこか嬉しそうにそう言ったホーキンス大尉。

 そんな二人のやり取りを眺めていたミーティアさんは、釘を刺すように言う。


「これも言い掛かりとして聞いとけよ。あーしらが肯定してんのはあの時あの場所に居たお前が行動に移した意思についてだけだ。あの場で何かできる状態になってた事事態は認めた訳じゃねえ……お前の写身が出てきたらどうすんだ」


「国内外どっちに出てきても最悪な事態を招きかねませんよ」


 兄ちゃんもそう加勢に入った所で、ホーキンス大尉は溜め息を吐く。


「同じ事をその男と争った……そしてこれから話すのは一般論だ。あくまで私や帝国軍の事を言っている訳ではないぞ」


 そしてきっと彼や軍の実情の一旦を紡いでいく。


「もし国家に属する組織でそういう不正が行われるのであれば、当然そのリスクは正しく認識しているだろう。その上で進む事を選ぶのならば、最低限のリスクヘッジは考えてある筈だ」


 あくまで他人事のように、それでも真剣に吐き出された声音。

 それを出しきると、意図しているのかは分からないけど、それまでより感情の籠った声音で言葉を紡ぐ。


「……まあリスクも不正も嫌いな私には本当に関係のない話だが」


「好きな者など殆どいないから、というのも、僕が一ヶ月間静かにしていた理由のひとつだよ」


 そう、私達が一ヶ月間何も起こさなかった理由のひとつがそれだ。

 写身の危険性を一番熟知している私達が、この場で危険な写身を生みかねない男に最悪どうなるかという事を言葉にしてぶつける位しかできないのはそういう理由だ。

 ろくな証拠を用意できないから、なんて理由だけじゃない。


「情報筋から聞いた話じゃ某国では秘密裏に軍事用の大魔術を使う部隊の配備を進めているそうじゃないか。それが本当なのだとすれば、いずれは我が国を含めた各国も抑止力として同等の物を持たなければ世界のバランスが崩れてしまうだろうね。例え写身というリスクがあったとしてもだ」


 写身の事を考慮できない状況かもしれない事を薄々感じていたからという理由もある。

 そしてその感覚を方針として組み込むように、アイザックさんがそういう噂話をどこからか仕入れてきたからだ。


 だから一旦目を瞑った。

 でも多分それが正しい世界の形なんだと思う。


 写身なんていう不純物が存在しなければ、そうやって世界はバランスを取っていくんだろうから。乱れても整えやすいのだろうから。

 つまりまず大前提として写身が悪い。


「正しいか間違っているか。1か0かで世の中は回せない。どっち付かずで曖昧で。そんな風にフラフラしながらなんとかバランスを取っていかないといけないのだ……っとどうやら注文の品が来たようだ。どうもありがとう……では、いただきます」


 そう言ってホーキンス大尉はこれで話は終わりとばかりに手を合わせてから、黙々とラーメンを啜り始める。

 アイザックさんもそれに合わせて一旦残った自分のラーメンに向き合い始める。

 私はというと、殆ど聞き専に近いスタンスで食べ終わってしまっていたので、食べ始めのところ申し訳ないがホーキンス大尉にひとつ疑問を投げ掛けた。


「ところでサラッと流されましたけど、最低限のリスクヘッジって何してるんですか?」


 この人や軍の人達がリスクを理解した上で不可抗力で魔術を身に付けているのだとすれば、本当に写身への対策を行っているんだろうなってのは分かる。

 そしてそれは私達のように現れた写身を現地の滅魂師が倒すといった基本的かつシンプルなやり方とは違うんだと思うから。


 だったらそれを知りたい。

 シンプルに滅魂師としてもだけど……なによりも。

 もしかしたらそれが、ミカを助ける事に繋がるかもしれないから。

 知らない事は知っておいた方が良い。


 だけどホーキンス大尉は言う。


「残念ながら、私は一般論として軍が魔術を採用した場合対策をするだろうと言っているだけだ。結論を言うと知らない」


「ぐぬぬ……」


 え、何? これは教えてくれない流れなの?


「言えない事なんですか?」


「知らないと言っている」


 多分同じことを考えている兄ちゃんの追撃からもそう逃げられる。

 今までなんだかんだ話が成立していて、なんでこんな話しやすそうな事だけ話せないんだ?

 そう思いながら、助け船を求めるようにアイザックさんとミーティアさんに視線を向けると、完食し合わせていた手を離した後、ミーティアさんが言う。


「その辺にしとけ。多分お前らが知りてえような答えは返ってこねえよ」


「え?」


「ていう事はミーティアさんは何か分かったんですか?」


「さぁ、どうだろうな」


 兄ちゃんの問いに対し、そうお茶を濁すようにそう言うミーティアさん。

 何故かミーティアさんも教えてくれる気は無いらしい。

 となれば後はアイザックさんだ。


「アイザックさんはどうですか?」


「ちょっと待つんだリタ」


 そう言って最後に残していたチャーシューを頬張る。


「ごちそうさまでした……と、待って貰っておいてすまないが、僕にもさっぱり分からないね。柄にも無く真面目な話をしすぎたもので頭が回っていないようだ」


 ホーキンス大尉がいなければ、ミーティアさんから「普段からその柄に染めろ」とか突っ込まれそうな事を言うアイザックさんだが、どちらかと言えば柄でも無いのはその雰囲気だ。


 アイザックさんも、知っている事を知らない風に装っている。

 そう易々と私達に教えられないという風に。

 ……本当になんなのだろう。

 結局それが分からないまま、アイザックさんは立ち上がる。


「さて、皆食べ終わったようだしそろそろ行こうか。マスターお勘定。あと餃子は焼き上がったらそこの彼に食べて貰ってくれ」


「貴様、自分で頼んだものを食わないのか?」


「え、餃子追加?」


「いや違います! その焼いてるのをこの人に! ……とまあこんな経緯で注文が通ってしまった。僕らはそろそろ仕事に戻らなければならないからね。よろしく頼めるかい?」


「良いだろう。これで和解という事にしておいてやる。餃子も嫌いじゃないからな」


「助かるよ。じゃあマスター。お金丁度此処に置いておくからね」


「ほら、お前らも行くぞ」


 そう言ってミーティアさんも立ち上がる。


「あ、はい! ……まあ此処で考え続ける訳にもいかねえしな」


「そうだね」


 そんな訳でお腹は一杯だけど色々と不完全燃焼な状態で私達はラーメン屋を後にする……筈だった。

「……ッ」


 店を出ようとした所で、ドスンという大きな物音を聞かなければ。


「何!?」


 最後に店を出ようとしていた私が、その音に気付いて入り口で振り替えると……先程まで話していた筈の人が倒れていた。


「ほ、ホーキンスさん!」


 先程まで元気そうだったホーキンス大尉が椅子から転げ落ち床に倒れていた。

 私が駆け寄ると同時に外に出ていた皆も異変を感じて戻ってくる。


「何があったリタ!」


 そして皆が戻ってくる数秒の間に、何が起きたのかを具体的に私は把握する事ができた。

 ホーキンスさんの手の甲に……ミカと同じ痣が浮かび上がっている。


「写身が……現れた」


「……おいおいマジかよ」


 つまり……直前に話題にしていたリスクが、表に出てきた事になる。


「……噂をすれば……なんとやらという奴だな。まあ自業自得か」


 酷く力無い声でそう言ったホーキンス大尉は、懐から何かを取り出す。

 もしかして写身対策の何かかな?


 そう考える私の視界に写ったのは……黒い拳銃だ。

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