蝉脱

@Dddae

蝉脱

 木の皮に産み付けられた卵の僕は、翌年の夏に生まれた。これから僕は土の中で数年の時間を一人で生きていく。樹液を吸いながら一人で生きる。けれど、僕は成虫になれるとは限らない。土の中には天敵のもぐらがいて食べられるかもしれない。成虫になれるのは、ほんの一握り。でも、きっと成虫になったら楽しいことがいっぱいあるんだろうな。上の世界はどんなに楽しいんだろう。

 生まれてから数日、上にはたくさんの成虫になった仲間が鳴いている。オスがメスを探すためにあちこち鳴いている。生を謳歌するようなその声は、空気を震わせ、土を通り、僕の心を奮わせる。早く成虫になりたいな。

君と出会ったのは、さらに数日後のことだった。君は僕の仲間の抜け殻を拾っていた。そんな君と歩いていたのは君のおばあちゃんだったね。僕が潜っていたのは君のおばあちゃんのおうちの木の下だと後から僕は知った。君は十歳でトーキョーっていうところからおばあちゃんのおうちにやってきた。なつやすみというもので君はおばあちゃんに会いに来たとも言ってた。

君は本当におばあちゃんが大好きだったね。色んなところに一緒に遊びに行っていたね。出かけて行く元気いっぱいな声も帰ってきた疲れた声も何度も聞こえてきた。

 

今日から夏休み。俺は、おばあちゃんの家に一人で泊まりに行く。おばあちゃんは、いつも優しくて、色んなところに連れていってくれる。俺はそんなおばあちゃんが大好きだ。飛行機に乗り、そして今電車に乗っている。あたり一面は緑、畑それしかない。暮らしている東京とは、全く違う静かで何もないところだ。

 おばあちゃんの家がある花車駅に着いた。駅を出るとおばあちゃんが待っていた。

「久しぶり未来。また大きくなったね。飛行機やら電車で大変だったでしょう。」

「久しぶりおばあちゃん。お土産も買ってきたんだ。家の近くに、美味しいバームクーヘンが売ってたから買ってきたんだ。

「まあ、ありがとう。おうちに行ったら一緒に食べようね。」

おばあちゃんの車に乗って家に行った。

おばあちゃんの家についた。庭が大きくて木がたくさん生えている。夏だから蝉もいっぱいて抜け殻を集めてよく遊んだな。

「暑いし早くおうちに上がっちゃいなさい。」

足元の蝉の抜け殻を一つ拾って家に入った。

おばあちゃんは、一人で暮らしている。おじいちゃんは僕が生まれる前に死んじゃっててよく知らないんだよな。テーブルにさっき拾った抜け殻を置いて眺めている。虫は苦手だけど何故かこれは綺麗に見えるんだよな。こんな小さいのからそれよりでかいセミになるなんて信じられないな。

「お昼ご飯まだでしょう。未来の好きなカレー作ったから食べましょう。」

「うん。」

おばあちゃんとお昼ご飯にカレーを食べた。

「夏休み中はずっと泊まるんでしょう。色んなとこに行ってたくさん遊ぼうね。けどちゃんと宿題もやるのよ。」

「わかってるよ、おばあちゃん。」

カレーを食べた後はお土産を二人で食べた。美味しかった。


七月二十五日 今日はおばあちゃんと山に行った。とっても暑かったけど、山を登ったら

       そうめん屋さんがあって冷たくておいしかった。


八月九日 今日はおばあちゃんの知り合いの吉江さんの家に一緒に行った。おばあちゃんはずっと吉江さんと話してて僕は吉江さんの孫のたけるくんと遊んでたけど。


八月十六日 今日はずっと宿題をやっていた。おばあちゃんはもともと先生だったから教えるのは厳しかった。晩御飯を食べたら庭で花火をした。楽しかったな。


八月二十七日 今日はおばあちゃんの車に乗って街の大きなショッピングモールに行った。欲しかったおもちゃも買ってもらったし、美味しいものもたくさん食べた。


八月三十日

今日は一日、吉江さんや他の知り合い、こっちの友達に明日帰るので挨拶をした後お土産

を買っていた。それで一日が終わりおばあちゃんと晩御飯を食べる。今日の晩御飯はとっても豪華なすき焼きでとっても美味しかった。けど、明日には帰っちゃうと思うとなんだか寂しくもなった。

 食べ終わると、おばあちゃんは台所の方に行って、何かと思うとケーキを持っていた。

「未来、誕生日九月の八日でしょ。なかなか祝えないから、ちょっと早いけど今日祝っちゃおうと思って。」

「おばあちゃん、そのケーキいつ用意したの?」

「こっそりね。」

「未来、十一歳のお誕生日おめでとう。本当大きくなったね。ちょっと前までこんなに小さかったのに。このまま大人になってしまうんじゃないかと思うわ。」

「ありがとう、おばあちゃん。大きくなってもおばあちゃんの家に遊びに行くからおばあちゃんも元気でいてよ。」

「そうね。さあ、ロウソクをつけて、ケーキを食べましょう。」

ケーキはおばあちゃんの知り合いが僕のために作ってくれたもので、とっても美味しかった。

 布団に入って目を瞑る。なんだか大人になるのが少し楽しみになった。今はおばあちゃんに色んなところに連れていってもらってるけど、色んなものを買ってもらってるけど、大人になって働いてお金を稼げるようになったら、おばあちゃんの好きなところに連れて行けるし、好きなものを買ってあげるんだ。


八月三十一日

「忘れ物はない?」

「うん。大丈夫。」

「それは大丈夫なの?」

おばあちゃんは棚の上にある一日目にとってきた蝉の抜け殻をさす。

「いいよ、お母さんに怒られるし。」

玄関を出ておばあちゃんの車に向かった。蝉はきた時と変わらずそこらじゅうで鳴いている。

「あー。帰りたくないなー。明日から学校か。もうちょっと遊びたかったなー。」

「来年もまたいらっしゃい。また色んなとこに行きましょ。あんまりゆっくりしていると飛行機に乗り遅れるわよ。」

「うん、わかった。」

来年もまたこよう。今年はお父さんもお母さんも忙しくて一人だけだったけど、来年はみんなで行こう。来年は何しようか今から楽しみだな。



 けど君は、その次の年もその次の年も来なくなった。それどころか、ここに来る人の音も無くなっていった。聞こえてくる足音はどこか寂しく、どこか急いでるようなそんな音だった。もともとここは来る人も少なかったけど、みんな楽しそうで幸せそうなそんな音だったのに。聞こえてくるのはおばあちゃんの音だけだった。一体外の世界では何が起こっているのだろうって思った。

 それからさらに一年徐々に人が戻ってくる気配がした。だから、きっと君もおばあちゃんのところにやってくると思っていたんだ。けどさらに一年後、ついにはおばあちゃんの音がこの家からいなくなった。おばあちゃんがいなくなった後、いくつか音が上から聞こえてきたが、ここへきてはすぐに帰っていき、そのどれもがおばあちゃんでないことはわかっていた。僕は土の中で本当に一人になったのだと思った。けど僕は、きっと成虫になってやりたいことができた。それは君とおばあちゃんを探すことだった。君のことはたった一ヶ月のおばあちゃんのところへ遊びに来た時のことしか知らないけど、それでも人ほとんどくる事のないここで見つけた君とおばあちゃんが今どこで何をしているのかそれが知りたいと思ったんだ。

 それからさらに一年後、ある暑い日の夜僕はついに地上へと出た。そしてすぐに高い木の枝へと捕まって、羽化を始める。せっかくここまで生き抜いて、地上へ上がることができても、ここで命を落とす危険がある。やがて背中が割れて僕は自分の殻を脱ぎ始める。土の中で一人だった自分の殻を破り捨て新しい自分が頭を背中を出して、かつての自分から出てくる。全身を抜け出した時、自分の体はとても柔らかく、何者かに歪められてしまいそうな不安と何にでもなれそうな期待を感じさせる。伸ばした翅は自分の望みを叶える力になり希望だった。朝になる頃には新しい自分が色づいていった。

 これでやっと君とおばあちゃんを探せる。そう思った時、最初は気づかなかったけど、すぐにわかった。君がおばあちゃんの家に帰ってきた。



最後におばあちゃんの家に行ったのはもう五年も前になる。あの夏休み一人でおばあちゃんの家へ行ったのが最後、その翌年に新型ウイルスが世界中で流行して会うことができなくなった。なかなか、会うことができなくなって、それでもおばあちゃんとはビデオ通話をして時折顔を見て話をしていた。

けれど去年、おばあちゃんが認知症を患って、伯母さんが一人暮らしでは危ないからと施設で暮らすようになった。僕も高校受験があったりして、ビデオ通話をする機会もなくなっていき、受験が終わってもしばらく話さなくなってしまったおばあちゃんへの気まずさと、認知症を患ったおばあちゃんを認めたくない気持ちで通話をすることができなかった。

そして、今年の夏おばあちゃんに会いに行こうと母さんが言った。それからはあっという間だった。父さん、母さん、僕三人でおばあちゃんの元へ行く。空港に着くと伯母さんが待っていたので伯母さんの車で移動する。かつて使っていた電車は近年の利用客の減少で廃線になってしまったそうだ。過疎化の進むこの田舎ではそう珍しくない普通のことだとそう思うことにした。

伯母さんは必要なものがあると、一度おばあちゃんの家に寄ってからおばあちゃんのいる施設へと向かうといった。

五年ぶりにおばあちゃんの家にくる。今年の夏はなんだか蝉が少ない気がした。庭は少し荒れてはいるが伯母さんが手入れをしているのかある程度整っていた。家の中に入ると前の記憶からは考えられないほど、ものは減っていた。座って待っていると伯母さんは用を済ませて出発をした。おばあちゃんの暮らしている施設は白藤というところにある。五年ぶりのおばあちゃんとの再会が僕は怖くて仕方なかった。


今日はうんざりするような暑さだった。この暑さは夜の闇と同じぐらい人々を外から遠ざけるほどのものだった。外に放し飼いにされている犬は少ない日陰で生気なくじっとしていて、明るさからは考えられない静けさだった。施設について職員さんに挨拶をする。そして、おばあちゃんのところへ通される。おばあちゃんに会う前は緊張してなんだか怖くて会いたくなかったけど、案外話すと慣れてきたのか涼しい部屋で暑さと共にそれらの感情は薄れていた。けれど、会ったのは僕の知っているおばあちゃんとは違っていた。おばあちゃんだったけどそう信じたくない気分だった。自分の歳がわからないおばあちゃん、ここがどこだかわからないおばあちゃん、母さんが僕がわからないおばあちゃん、同じ話を繰り返すおばあちゃん、これを僕は知らなかったわけじゃない。もちろん覚悟はしていた。でも、受け入れ難いことはどうしてもある。おばあちゃんに会っている時はこんなこと考えなかったのに楽しかったのに、施設を出てからこういうことを考えてしまう。どうしたっておばあちゃんは戻ることはないだろうし歳を取ったら誰だってそうなる。それは決して抗えないもの。いつかはこうなる、誰だって例外なく。時に押しつぶされて。帰りの車は僕はただ黙っていた。空調の風が目に染みた。



五年という月日は僕が変わるのにも、君たちを取り巻く環境が変わるのにも十分な時間だった。外の木から施設の中で話す君はあんなに楽しそうできっとあの頃と変わらずおばあちゃんが好きなんだと思っていた。けど、中から出てきた君の顔にはどこか影がさしている気もした。そうだよね、あれだけ好きだったんだ、甘えていたんだ、そうなるのも無理はない。とても気の毒に思いながらまたあの家の庭へと僕は戻った。君たちの車もここへと戻ってきて、大人たちは家へとそそくさと入っていく中、君だけはぼんやりと庭を眺めていた。

「あの頃に…戻りたい。今はもう何も…生きてても…将来も…。」

五年前と比べかなり低くなったその声は暗い気分からさらに低く低く重く。おばあちゃんのもとから出てきた君から感じた翳りはきっとショックだけじゃなく前へ進むことへの拒絶、逃避そんな思いもあったのだろう。あの頃と比べ大人になった君はこの五年間を進んでくる間に嫌なことがたくさんあったのだろう。そして、君のことをわからなくなってきているおばあちゃん。前を向けなくなって後ろを向いて戻りたくなるはずだ。だけど僕は、土の中にいた五年のうちの一ヶ月しか君のことを知らないけど、ここでであった数少ない人間である、家族を知らない僕におばあちゃんとの楽しい日々を様子を教えてくれた君には前を向いて欲しい。君の言うとおり進むことは時間が経つことは苦しいことも伴うし、世界は変わって好きなものもなくなっていくかもしれない。僕も成虫となった今、後一週間から一ヶ月の命だろう。進むことがそういうことであっても、戻ることは叶わない。進むことは悪いことばかりなのだろうか。僕たちは悪くなるために進むのではない、今より強くより良くなるために進んでいくのだ。君はその過程に不安と苦しみを覚え、背中を押して急かしてくる時の流れに焦りを感じているだろう。君はまだ殻の中にいる。でも君なら、あの頃の君から五年を進歩してきた君ならきっと殻を破って翅を生やすだろう。君たち人間からは僕は取るに足らない存在で僕は君とおばあちゃんをどうすることもできない。けど、信じることにするよ。

 あたりが暗くなってくると君は家へと入っていった。僕も今日はゆっくり休もう。

「―――っ」

「………」



家へ戻ってきて父さんも母さんも伯母さんも家へと入っていったが、僕は庭を眺めていた。庭の草や木の実を集めてままごとで料理を作っておばあちゃんに見せたりしていたな。そう思いながら、さっきまで考えていたことがまた頭に浮かぶ。昔は漠然と未来は何もかもうまくいくかのように思っていた。何も変わらず、おばあちゃんが元気でいて父さんも母さんも他の親戚のみんなもいる。そして、自分は社長になってみんなと楽しく遊んで暮らすそんな幼い夢を見ていた。なのに今はどうか。おばあちゃんはいろんなことを忘れてしまっている。もう歳なんだから、死んでしまうんじゃないかそんなことまで考えてしまう。高校受験では志望する学校には行けなかった。あの頃夢見た将来の自分から遠ざかっていく気がする。

施設から戻ってくる道中スーパーマーケットに寄った。目に留まったのは、小学生くらいの男の子とそのおばあちゃん。きっと彼は、今がとっても楽しくて、甘えられることが本当に幸せだろう。僕はそれが羨ましく思ってしまった。不思議な話だ。それは、かつて自分も経験した、持っていたはずのものへの憧憬、いや、これは執着だ。そして、彼もまた将来僕と同じような状況になった時に立場は変わって、僕と同じことを思うのだろうと考えた。そう、そうやって地球は回るのだろう。

おばあちゃんはもう元には戻らない。この先時間が進んでいってもきっと今より状況は悪くなるばかりだろう。そう思うと、将来へ進んでいこうとは今の自分では到底思えなかった。また、そんなことを考える後ろ向きで殻に閉じこもる自分が嫌になった。

次の日、今日もおばあちゃんに会いにいく。今年の夏は蝉が少ない。辺りを見渡してもいないし、以前は庭にたくさん落ちてた抜け殻もほとんどない。車に乗ろうと向かっていくと足元には鳥に食われたのであろう、蝉の残骸やら翅があった。僕はそれを踏み潰して車へと乗っていった。

 

 

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