世界の終わり、それでも僕らは、
海月うに
未来
その音声は、ほぼ満席に近い昼の食堂でも、面白いくらいにはっきりと響いた。
『速報です。国際宇宙監視機構は本日、地球に向かって接近中の巨大隕石“トラオム”が、回避不能な軌道に入ったことを正式に発表しました』
場が静まり返る。隅っこにある小さなテレビに、人々の視線が突き刺さる。
普段なら見向きもされないそれは、急に注目を集めてしまって、なんだか肩身が狭そうだった。
そういう僕も、例に漏れずテレビを食い入るように見つめてしまう。
『大きさは直径約18km。これは、恐竜絶滅を引き起こしたとされる隕石の約1.5倍に相当します』
アナウンサーの言葉も、語尾が震えている。
『衝突するのは一週間後の深夜、衝突地点は南太平洋上空とされ……』
でもそこは流石と言うべきか、あくまで取り乱さずに落ち着いて、淡々と事実を述べる。
『……地球規模の壊滅的被害は、避けられないと見られています』
からん、乾いた音を立て、誰かの手から箸が滑り落ちた。
◇◇◇
「すみません、院長。最後の時間はやっぱり、家族と過ごしたいんです」
そう言って深々と頭を下げる従業員。
「……そうか。分かったよ。今までありがとう」
僕はそう言って、眉を下げる。
従業員はしきりにすみませんすみませんと繰り返しながら、逃げるように去っていった。
「はぁ」
誰もいなくなった院長室で、僕はため息を漏らす。
世界が終わると分かった日から、従業員が続々と退社していった。
当たり前だ。世界が終わるの日まで仕事に明け暮れたいという人は、なかなかいないだろう。
幸いだったのは、患者も同じく減っていったという点か。
世界が終わってしまうなら、治療はせずに、家でゆっくりと余生を過ごしたい。
その思いも、もちろん理解できる。
「一週間で、ずいぶん寂しくなったなぁ。人っ子一人いやしない」
がらんとした病院内を見渡して。思わず、ふはっと笑いがこぼれる。
さっきの一人で、従業員は全員いなくなってしまった。患者だってもう残っていない。
完全に、もぬけの殻だ。
だって今日の夜、世界が終わるから。
――今日の夜、世界は終わる。なのになんで、僕はまだ病院に残っているのだろう。
別に取り立てて、この病院に未練がある訳でもないのに。
なんなら、こんな病院、大嫌いなのに。
「世界が終わって、この病院がぶっ壊れるなら……それはそれで、いいかもな」
静寂を切り裂くように、がしゃん、金属音がした。
バッと振り返るとそこには、ひょろっとした男の子が座り込んでいて。その足元には銀のワゴンが倒れ、車輪がカラカラと回っていた。
視線が交わる。長い、沈黙。
「………………人っ子一人、残っててすみません」
男の子が、気まずげに言った。
◇
「ごめんね。てっきり、もう全員帰っちゃったかと」
「いえ……」
男の子――この病院に残った最後の患者さん・201号室に入院中だった坂山流星くんの擦り傷を手当てしながら、僕は言った。
僕がもう誰もいないと思い込んでいたように、流星くんももう誰もいないと思っていたようで。
機材の移動をするときに使うワゴンをローラースケーターみたいにして、病院内を走っていたらしい。
さっきの大きな音は、彼が転んだ音だったんだ。
「なんで、まだ残ってるんすか」
流星くんが、呟くように聞く。
「……だってここは、僕の病院なんだよ? 最後まで責任もって守らなくちゃ」
ニコリと笑みを浮かべるけれど。
「でもさっき、なんか、病院が壊れて欲しいみたいなこと言って」
「やっぱり、聞こえてたんだ?」
「……さーせん」
あぁ、気まずい。本当に気まずい。
どうせもうすぐ世界は終わるし、別にいいんだけど。それでも、気まずいものは気まずい。
なんとか話題を変えたくて、今度は僕から質問を振る。
「流星くんは、なんであんなことしてたの? 病気云々の前に、フツーに危ないよ」
「外に、出たかったんです。長くは歩けないけど、あれに乗れば行けるんじゃないかって」
「外に?」
なんで? そう聞こうとしたけど、流星くんの口の方が速く動いた。
「なんでセンセーは、病院壊れて欲しいんすか」
あぁ、もう。なんで話題戻しちゃうかな。
「どうでもいいでしょ、そんなこと」
「どうでもよくないです。俺、センセーは、悩みなんかないって思ってたから」
「……なんで?」
「だってセンセーは、親の期待に応えて、ちゃんと院長になったんでしょ」
はぁ、とため息が漏れる。こんな子供の患者にまで話が伝わっているなんて。もうここにいない噂好きの看護師たちを恨みがましく思った。
――そう。この病院は、正確には僕の病院じゃない。この病院を造ったのは、父だ。僕は引き継いだだけ。
引き継がされた、だけ。
「俺は、こんな体で生まれて、親を失望させてばっかりだったからさ。センセーのこと、尊敬してたんです」
「そんなにいいもんじゃないよ」
思わず言ってしまった。なんだかそれで振り切れてしまって、僕はベラベラしゃべりだす。
「期待に応えたんじゃないよ。押し付けられただけ。押し切られただけ。父は一度だって僕の声を聞いてはくれなかった。まるで父のコピーのようだったよ。本当に、つまらない人生だった」
流星くんは目を丸くする。
「すげ。めっちゃ本音話してくれるじゃん」
「もういいよ。どうせもうすぐ、世界は終わるしね……はい、手当完了。病室に戻りなさい」
ちょっと足をめげ伸ばしした流星くんは、ふと俯く。
怪訝に思っていたら、彼はバッと顔を上げ、上目遣いで僕を見つめた。
「ね、センセー。一生に一度のお願いしていい?」
「嫌な予感しかしないんだけど」
眉をよせ、あからさまに迷惑そうな顔をする。でも、彼はそれをモノともしない。
口の片方をちょっとあげた、ニヤリと効果音がつきそうな笑みで。茶目っ気たっぷりに、言った。
「外にさ、連れてって欲しいんだ」
予想を上回る“お願い”に、僕は驚くというよりもはや呆れてしまう。
「だめ。病人が何言ってるの」
「センセーが言ったんじゃん、どうせもうすぐ世界は終わるって。もう終わるなら、いいでしょ?」
駄々をこねるような言い方。はぁっとため息をついて、再び「だめ」と言おうとしたけど。
ふと流星くんの顔を見てどきりとする。
彼、こんなに大人っぽい表情をする子だっけ……?
もう、流星くんは笑っていなかった。その瞳は泣きそうに潤み、なんだか真剣な色が瞬いていた。
そして僕は、その光に押されるように……頷いた。頷いてしまった。
流星くんの顔がパッと華やぐ。
僕はしぶしぶ彼に背を向け、膝を折って屈んだ。
「背中のりなよ。流石に君を歩かせるわけにはいかないからね」
「わ、やった! センセーのおんぶだ!」
嬉々として抱き着いてきた彼の身体は軽く、それがなんだか悲しかった。
◇
「ねぇセンセー? こっち、玄関じゃないと思うんだけど?!」
背中で流星くんがわめく。
僕はそれを無視して、ただひたすらに階段を上がっていく。
ついた先は――。
「屋上?」
「そう」
「なっ……センセー、だましたの?!」
「屋上も一応、“外”でしょ?」
「うぐっ……」
「はーい、到着。どうぞ」
再びしゃがむと、流星くんはそろりと屋上に足をつける。
そしていきなり、ごろんと寝ころんだ。
「流星くん?!」
「やっぱ屋上で良かったかも。ここ、結構高いんだな。星がすげーよく見える」
「星……?」
流星くんの言葉につられるように、僕も星空を見上げる。確かに空にはたくさんの星が煌めいていた。
「……星が、見たかったの?」
「そう。俺ね、星、大好き。宇宙飛行士になりたいんだ」
グサッと、胸に“何か”が刺さった気がした。
“宇宙飛行士に、なりたい”
「センセーもでしょ?」
「っ、は?!」
「センセーも、宇宙飛行士、なりたいんでしょ?」
凛とした光を宿した瞳。眩しくて、直視できなくて、上を見る。でも逃げ場なんかない。空を覆い尽くす皮肉なくらい美しい星々に、目を焼かれた気がした。
「な、んで……」
なんとか声を絞り出す。今日は“なんで”ばっかりだなぁって、頭の隅っこでぼんやり思った。
「だって俺が宇宙飛行士になりたいって思ったの、センセーのおかげだもん」
予想外の言葉。驚いて目を見開く。星の光が僕を突き刺す。目が眩む。
そんな僕を畳み掛けるように投げかけられた「覚えてない?」という問いに。
あの日の記憶が、鮮明に、蘇る。
◇
あれは、数年前。流星くんが、この病院に初めて運び込まれてきたときのこと。
なんとか峠を越えたものの、まだまだ危ない状態の流星くんに、僕が声をかけたんだ。
『なぁ、流星くん。流星くんには、夢はないの?』
『……こんな死にかけの身体で、夢なんて見られるわけない』
『そうかぁ……じゃあ、“宇宙飛行士になる”ってのはどう?』
『え?』
『先生子供のころな、宇宙飛行士になりたかったんだよ。でも先生になるためにその夢を諦めたから。だから流星くんが、先生の代わりに、その夢を追いかけてくれない?』
『いや、でも、だから』
『しかも流星って、流れ星って書くんでしょ? 名前的にもぴったりだよ! ね、そうしてくれない?』
あのとき、流星くんはちょっと黙った後……うんって、力強く、頷いてくれたんだ。
◇
「先生にとっては何気ない会話だったかもしれないけどさ。俺、あれで結構救われたんだよ。あぁ僕、まだ夢見ても、未来を描いてもいいんだぁって」
――あの時はただ、身体以上に心が死んでしまっていた流星くんに、生きる希望を見つけて欲しくて。
「だからセンセー」
――でもそれはきっと建前で、救われたのはむしろ、僕の方だった。
「今度は逆」
――流星くんに夢を託せて、あのとき確かに僕の中で、何かのケジメがついたような気がしたんだ。
「俺の代わりに、宇宙飛行士になってよ」
がつん、鈍器で脳を殴られた気分。
思考の海から引っこ抜かれる。ひゅっと、音が鳴った。僕が息を呑む音だ。
「ね、センセー。宇宙飛行士になって」
流星くんは屈託なく笑っていた。どこまでも透き通った、純粋な笑顔だった。
「だっ……て、僕は、もう医者で」
「やめればいーじゃん。で、勉強しなおせばいい」
「……今から、世界が終わるのに」
「終わらないかもしれないじゃん」
「じゃあ流星くんが叶えればいい」
「俺はダメだよ。余命少ないもん」
なんで。『世界は終わらないかもしれない』なんて無茶苦茶なことを堂々と言い放っておきながら、なんでそこは、そこだけ、ダメだって言い切ってしまうの。僕の鼻がツンと痛む。
「治るかもしれないじゃん」
たまらなくなってそう言うと、「なにそれ、俺のマネ?」って、流星くんが噴き出した。
世界は、終わらないかもしれない。
流星くんの病気は、治るかもしれない。
自分の声と流星くんの声が、混じり合って淡く滲んで、脳にいつまでも響いてる。そしてその声は、いつの間にか、こんな言葉に変わっていた。
――僕らにもまだ、未来が、あるかもしれない。
「…………じゃあ、さ。もし世界が終わらなくて、俺の病気も治ったら、そしたらさ」
流星くんが起き上がる。手を差し出して、小指を立てる。
口の片方をちょっとあげた、ニヤリと効果音がつきそうな笑みで。茶目っ気たっぷりに、言った。
「二人で一緒に、宇宙飛行士になろうよ!」
僕は震える手を差し出して……彼の細く小さな指に、自分のマメだらけの指を、絡めた。
流星くんが笑う。僕も笑う。
終わりゆく世界の中で僕たちは、声を合わせて未来を誓った。
「「約束」」
世界の終わり、それでも僕らは、 海月うに @Umitsuki_Uni
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