第31話 これからのこと
応接室の扉が静かに閉じられる。
結衣は目の前の青年を見つめ、言葉を失っていた。
肩にかかる髪がわずかに震え、喉の奥から
「俊太郎くん…なんで、ここに…?」
混乱と動揺が胸をかき乱す。続けざまに、思わず問いただしていた。
「まさか…会社、辞めたの? “村乃屋”って…?」
俊太郎は椅子に腰を落ち着けたまま、深く息を吸い込むと、真っ直ぐに結衣の目を見据えた。
「結衣さんのそばにいたいと思ったのは、本当です。でも…誤解しないでください」
彼の声音には、不思議と迷いがなかった。
結衣は胸の高鳴りを抑えられずに次の言葉を待つ。
「二人で旅行に行ったとき、実家が田舎で旅館をやってるって話…しましたよね。実は、こっちが僕の地元なんです」
結衣の脳裏に、温泉宿で過ごした日の彼の笑顔がよみがえる。
半ば冗談めかして聞いた話だったのに――。
「結衣さんの異動先を知ったとき、正直、驚きました。…会社を辞めて、すぐにでも追いかけようかと思った。でも、そうしたら結衣さんはきっと、もっと責任を感じると思って」
俊太郎は少し視線を伏せ、言葉を探すように息を継いだ。
「だから、まずは自分が納得できる形で戻りたかったんです。実家を手伝いながら、本当にやりたいことを探そうって」
淡々と語られる経緯の一つひとつが、結衣の胸の奥に
「春に会社を辞めて、今は旅館で一から見習いをしています。…まだ何も大したことはできていないけど、遅くなったけどようやく、自分の役割がここにあるんだって気づけました」
応接室の静けさに、結衣の香水がわずかに漂う。
俊太郎の胸に、かつて一緒に過ごした時間がよみがえり、言葉よりも確かな記憶となって彼を後押しした。
言葉を終えた俊太郎は、静かにポケットに手を入れた。
小さな黒い箱を取り出すと、テーブルの上でそっと開く。
中には、控えめに輝く指輪が収められていた。
「まだ頼りないけど…これからもずっと、結衣さんのそばにいさせてもらえませんか?」
結衣の視界が
こらえてきた涙が今にも溢れそうになる。
「返事は、今すぐじゃなくていいんです。きっと、結衣さんには、まだここでやらなきゃいけないことがあるから」
俊太郎の真っ直ぐな眼差しに、胸の奥がぎゅっと締め付けられる。
結衣は唇を震わせ、ようやく声を絞り出した。
「…ありがとう」
涙をこらえきれず、けれど笑顔のまま。
言葉はそれ以上出てこなかった。
二人の間に、言葉を超えた沈黙が流れる。
やがて、俊太郎が照れくさそうに頭をかいた。
「…あ、それで今回、うちの旅館の広報を任されていて。結衣さんにWebサイトのリニューアルをお願いしたくて来たんでした」
その場の空気がふっと和らぐ。結衣は小さく吹き出した。
「ふふ…伝える順番、逆だよ」
目尻の涙を指先で拭い、結衣は少しだけ肩の力を抜いた。
「いいよ…じゃあ、これからのこと、打ち合わせしようか」
応接室の窓から射し込む午後の光が、二人の間に穏やかな温もりを落としていた。
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