第28話 役割

翌日も、俊太郎は母に急かされるようにして配膳係に混じった。

昨日よりは動線が分かっているつもりだったが、まだぎこちない手つきに変わりはない。

それでも「やるしかない」と気持ちを立て直し、客室のふすまを静かに開けた。


夕食時のその部屋には、穏やかな笑顔を浮かべる年配の夫婦が座っていた。

どうやら常連客らしく、「村乃屋さんの料理が楽しみでね」と夫が言うと、母が嬉しそうに頭を下げた。

膳に並ぶ料理は、山海の幸をふんだんに使った会席。

色とりどりの器に盛られ、ひと皿ずつ出されるたびに夫婦は「綺麗ね」「美味しい」と声を弾ませた。


俊太郎は隅で控え、料理の進み具合を伺いながら次の膳を運んだ。

だが、夫人が三品ほど口にしたあと、小さく「ふぅ」と息をついたのを、俊太郎は見逃さなかった。


(…もしかして、もうお腹いっぱいなのでは?)


胸がざわつく。

けれど、それを勝手に判断するわけにはいかない。

迷った末、俊太郎はそっと厨房へ戻り、母を呼びに行った。


「母さん、あの奥さん、少し苦しそうにしてた。もしかしたら、もうお腹が…」


耳打ちすると、母は一瞬だけ目を丸くし、すぐに「分かった」とうなずいた。

部屋に戻った母は、にこやかに夫人へ声をかけた。


「お加減いかがですか? もしよろしければ、次のお料理は少し控えめにいたしましょうか」


夫人はほっとしたように微笑み、「ええ、助かります」と応じた。

夫は「すまないね、欲張って全部いただきたい気持ちはあるんだけど」と冗談めかして笑う。


厨房では板前が一瞬戸惑いを見せた。


「決まった献立を減らすなんて」と眉をひそめたが、母はきっぱりと言った。


「お客様の笑顔が、一番のごちそうなんだから」


その一言に、板前はしばらく黙り込んだのち、「女将さんにそう言われちゃ、かなわねぇな…」と小さくうなずき、残りの料理を軽やかな盛り付けに工夫し直した。


やがて夫婦の食事が終わる頃、夫人はにこやかに俊太郎へ視線を向けた。


「最後まで楽しませてもらえて、本当に嬉しかったわ。ありがとう」


夫も深々と頭を下げ、「やっぱり村乃屋に来てよかった」と声を弾ませた。


その言葉に、俊太郎は胸が熱くなる。

自分の小さな気づきが、客の笑顔につながったのだと思うと、心の奥に温かいものが広がった。


廊下に出ると、母がふと足を止めて彼を振り返った。


「よく気づいたね。そんな小さな変化に気づくなんて、おばあちゃんぐらいだよ」


意外そうに笑う母の顔を見て、俊太郎は少し照れながらも、心に確かな手応えを覚えた。

その夜、談話室を通りかかった俊太郎は、祖母が常連客と談笑している姿を目にした。

白髪を結い上げた小柄な体で、客の隣に座り、穏やかに相槌を打っている。

特別なことをしているようには見えない。

ただ、相手の心に寄り添うように頷き、時折優しく笑うだけ。

それだけで、場が温かく包まれているのが伝わってきた。


俊太郎は足を止め、胸の内で呟く。


(人の小さな心の変化に寄り添う…それが、おばあちゃんの役割なんだ)


そして気づく。

自分にも、その血が流れている。

今日、自分が夫人の小さな仕草に気づけたように――。


「ここでの僕の役割は、“気づき、橋渡しすること”なのかもしれない」


そう考えると、胸の奥で小さな灯りがともるのを感じた。

その光は、やがて結衣との関係をも照らす道へつながっていくような、そんな予感を残していた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る