どうせあなたもうそつきだ

takashichi

第0話 この街の一等星

 今日からこの世界の主役は自分になる。

 僕──長沼仁(おさぬまひとし)が脇役以下のエキストラであったのも、今日で終わりだ。

 駅の改札を抜けて空を仰ぎ見ると抜けるような青空に大きな太陽が浮かんでいる。

 常用している薬をいつも通り一錠口に含んで奥歯で嚙み砕く。

 いつもの道で職場へ向かう──鈍く重い光を放つアサルトライフルを手にして。

 自身の職場である雑居ビルのエントランスにたどり着くといつもと同じようにエレベーターで七階に向かい事務室に入る。


 大学卒業時、世は就職不況となり企業の多くは新規入社の採用数を絞った。

 かろうじて採用されたのがこの小さい会社での営業職であった。

 毎日会社から終電間際まで働き、毎週のように休日出勤した。

 ワンマン経営の社長と腰ぎんちゃくの部長は毎日のように口汚い言葉で俺を罵り、けなし、嘲笑った。

 幾度か辞職する旨を申し出たが部長は鼻で笑った。病気がちの母親を抱えて無職になるとどうなるかを懇々と説き、お前のような凡愚を雇うのはここだけだと繰り返し述べられる。そして次の日も通常勤務に就く、その繰り返しだった。

 唯一といえる心の清涼剤がモデルガン収集であった。

 数あるコレクションの中でも特に気に入っていたのは世界で最も多く利用された軍用銃と呼ばれているアサルトライフルだ。僕の心の支え、相棒だ。

 職場に入ってから真っ直ぐに部長の下へ向かう。

 鼻毛を抜いている部長のデスクに近寄り脂ぎった額に銃口を押し付ける。


「おいのろま、これはいったい何の」

 話の途中で引き金を引く。上司の後頭部から赤くて小さい花火が弾け、部長は仰向けに倒れこんだ。

 身体が震えていた。自身の身体に収まりきらない喜びが震えとして漏れ出る。

 事切れた部長は生きている時より汚らわしく見えた。

 フロアにいる全員が僕を注視したまま微動だにしなかった。

 ゆっくりと室内を見渡して告げる。


「俺は『ジャッジ』だ、これからお前達に判決を下す。」

 素早く銃を構えて近くにいたパートタイマーの女を撃つ。


「発注ミスを俺に擦り付けた罪、有罪」


「成果を横取りした罪、有罪」


 一人一人に銃口を向けて、罪の数だけ銃口が爆ぜて命が消える。

 事務室に残っている人間は俺と社長の二人だけになった。

 社長は滝のような脂汗を流しながら懇願する。


「ま、待ってくれ長沼君。今思えば厳しいことを言ったかもしれない、だがそれも君の将来を思ってこそのこと!きっとわが社を背負っていけるような人材になると期待していたんだ!」


「俺のため?」


「そうだとも!本当にすまないことをした。行き過ぎた指導であることは認める……だが!それも君に大きく成長してほしいという親心であってね!」


「俺がいつどこであんたに育てて欲しいと言った?」

 銃口を太ももに向けて一発。社長はその場に倒れうずくまる。


 脚を撃たれた社長は死にかけの芋虫のように仰け反り身をよじっている。

 苦痛に顔をゆがめた社長を踏みつけ、二の腕に狙いをつけて引き金を引く

 納品チェックをするように丁寧に引き金を引き続けた。

 その度に社長の身体は紅く染まった。

 撃つ度万能感が沸き上がる。

 この世界の主役は間違いなく自分だ! ──そう確信した直後に背後から暢気な声が響く。



「おぉ……また随分と暴れたもんだな」

 振り向くと、二十代前半ほどの若い男が立っていた。

 レモンのように明るい金髪は、ところどころ三日月のような緩やかなウェーブを帯び、光を受けてやけに鮮やかにきらめいている。

 耳には銀色のピアスがちらつき、体の線を際立たせる黒いスーツに群青のドレスシャツ、白のネクタイ。

 場違いなほど洒落込み、まるで舞台の袖から突然飛び出してきた役者のようだった。

 こんなやつ、うちの会社にいるはずがない。

 繁華街のホストか、街角のネオンが人の形をとって迷い込んできたのか。

 胸の奥で嫌悪と苛立ちが渦を巻く。だが同時に――視線が離せない。

 銃口を向けるべき相手だと分かっているのに、その輝きがまるで網のように俺の目を捕らえて離さない。


「はじめまして、あなたが長沼仁さんですね」

 朗らかな声。緊張感を台無しにする軽さ。

なのに、その口元に浮かぶ笑みは、奇妙な迫力と舞台照明のような光を帯びて見えた。

 眩しい。忌々しい。だが、抗えない。

 返答はしなかった。自分のことを知っているこの男は危険だと本能が告げる。


「どうかご安心ください。俺はあなたの味方です」

 男はそう言って、にかっと笑った。

 場違いな笑顔がやけに鮮やかだ。


「決して怪しい者ではないです」


「怪しい奴は総じてそう言うんだよ」


「確かに! 流石鋭い! あはは……」

 その笑い声は軽く、緊張感を茶化すようで、胸の奥にざらついた苛立ちを残す。

 その声が妙に耳に残り、消えない。


「あの……もしかして怒ってますか?」

 笑みを張りつけたまま、気まずそうに頭をかく仕草。

 まるで少年のような無邪気さと、得体の知れない妖しさが一つの体に同居している。

 憎らしいほどに鮮やかで、気に食わないのに目を逸らせない。

 この男が何者かは関係ない。

 凶行を見られたこと。そして、何より――この眩しさそのものが気に入らない。

 銃口を素早く向ける。


「へらへらした態度が気に食わない。有罪だ」

 俺はこの世界の主役だ。そうでなければならない。

 それなのにこいつの存在はまるで舞台を横取りするように、俺の世界を侵食してくる。

 この世界の主役が誰なのかをわからせてやる!

 素早く銃口をホストに定め引き金を引く。

 だが、銃弾は奴の真後ろの壁を穿っただけだった。


「人に銃口向けるのは、あまり感心できませんよ」

 背後から声。振り向けば、気まずそうに笑みを浮かべる男がそこに立っている。

ありえない。狙いは外れていないのに。

 引鉄を引きっぱなしにし、身体ごと後ろへ振り向いて弾を浴びせる。

 デスクも書類も床も、射線のすべてに銃痕が刻まれていくのに。

 当の男の姿は煙のように陽炎のように、立ち消えていく。

 当たらない。当たるはずの現実そのものが、奴を避けている。

 まるで、この世界が舞台装置であり、あいつだけが台本通りに立ち回っているかのようだ。


「もういいですかね……? 一度落ち着いて話を――」

 青年の声が、舞台の主役にだけ許された余裕として響く。

 僕が乱射した銃声の余韻すら、その声に飲み込まれていく。

 弾が尽きた瞬間、沈黙が支配する。

 僕は確かに主役だったはずなのに――照明は、もうあいつを照らしている。

 ホスト野郎の話の途中で仁は事務所の出口に向かって飛び出した。

 生きている!あれだけ撃ったのに一つも弾が当たっていなかった!

 廊下の小さな段差に躓き脚がもつれるが何とか踏ん張って地面に転がることをこらえる。

 エレベーターに駆け込み一階のボタンを押し閉ボタンが潰れそうになるまで連打する。

エレベーターが動き始めたと同時に体が震え始めた。


「なんなんだよあいつ!銃弾が当たらない人間の動きじゃない!口封じしないと!でも殺せない!どうする?どうすればいい?!警察に自首する?!このエレベーター動きが遅すぎる!」

 この場から離れたい一心でエントランスを駆け抜けビルの外に飛び出す。

 上方からガラスが砕ける硬質な音が響く。

 音の方向へ顔を上げると、男が七階の窓を突き破り、空を切り裂くように飛び出していた。

 眩しい陽光を背に、金の髪が宙にほどける。

 ガラス片が舞い散り、まるで舞台に花を添える銀紙のようにきらめいている。

 そして――羽毛のように軽やかに、街路樹の頂点にふわりと降り立つ。

 枝を折らず、葉一枚すら散らさず、その姿は不自然なほどに美しく、現実から浮いている。

 ここが現実ではない虚構の舞台であり、彼が主役であることを当然とするかのように。

 見えない階段を降りるように、一歩ずつゆっくりと地上へ歩みを進める。

 降り注ぐガラス片が追随する照明のように光を反射し、彼を照らし続けている。

 その姿は――僕ではなく、彼こそがこの物語の中心だと観客に告げているようだった。

 逃げなければ。

 そう頭で理解していても、目が離せなかった。

 ホストが地面に足をつけると同時に、僕は衝動的に手にした相棒を奴めがけて投げつけた。

 これは舞台を奪われまいとする最後の抵抗だった。

 だが次の瞬間、男の姿はふっと揺らぎ、照明が切り替わるように掻き消える。

 相棒は空を裂き、虚しく路面に転がる音だけを残した。

 ――外れたのではない。

 世界そのものが、外させた。

 そう理解した刹那、足に衝撃が走り、視界が反転する。

 世界がぐるりと回転し、気付けば僕は仰向けに倒れていた。

 雲ひとつない青空が照明のように広がり、その中心を切り取るかのように、金髪の青年が覗き込んでいる。

 申し訳なさそうに笑みを浮かべながら――だがその笑顔には、舞台の幕を開く主演の貫禄があった。


「手荒な真似をして申し訳ない。出来れば、このまま話をさせてもらえると助かる」

 起き上がりたくても、体は痺れて動かない。

 舞台上の主役交代を告げられた脇役のように、僕はただ地面に縫いつけられていた。


「繰り返すが、俺はあなたの味方だ」

 青年は仰向けの僕を見下ろしながら、舞台上のスポットライトを一身に浴びる主演俳優のように言葉を紡ぐ。


「これ以上、あなたに危害を加えるつもりはない。――俺は、あなたを救うためにここへ来た」

 その声音は、観客席の最後列にまで届くような響きを持ち、信じる気もないのに胸の奥を震わせる。

 救う?助ける?なんで?なんのために?──どうして僕なんかを?

 疑問は尽きないのに、舞台に立つ彼の姿は一切揺らがない。

 僕は舞台袖から覗く脇役のように、ただ呆然とその言葉を聞くしかなかった。


「すみません。僕、ホストの知り合いは心当たりがなくて……」


「いや誰がホストだよ。違う違うそうじゃない、ホストじゃない」


「お金ならありませんし、私特定の宗教は……」


「カルト宗教の勧誘でもないよ」


「身体の一部を売り飛ばすとか?」


「反社会勢力の一員でもないわ。俺のことをなんだと思ってんの?」

 それこそ一番知りたいことだ。

 ホストは一呼吸おいて真剣な面持ちとなる。


「──お母様から依頼を受けてね」

若い男の口から思わぬ人物が挙がった。

いくつか湧いた疑問のうちの一つが口に出る。


「あなたは何者なのですか……?」

 青年は――待っていましたと言わんばかりに、自慢げな笑顔を浮かべる。


「俺はあんたの本音を聞きに来た──この街の一等星さ」

 その瞬間、言葉が光になった。

 陽光も、砕け散ったガラスも、街路樹の葉擦れも、全てが彼の一言を照らす照明へと変わる。

 まるで舞台の幕が切って落とされ、主役がついに名乗りを上げたかのように。

 僕はその場で観客のように固まり、胸の奥で憎しみと羨望が入り混じる。

 怪しい。嘘くさい。だが――抗えない。

 世界が彼を中心に回っていると錯覚させる、致命的な輝きがそこにあった。

 若い男は僕の心中に気付かず人懐こい笑顔を向けている。

 依然として彼が怪しい人間であることに変わりはない。

 変わりはないが、どこか憎めない少年のような屈託のない笑顔を見ていると、悪い人間ではないかもしれないという気持ちが湧いてくる、そんな不思議な男だった。

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