雨音と明日の扉

らぷろ(羅風路)

雨音と明日の扉

 大学を二年でやめた。中退届の薄い紙を学生課の窓口で滑らせた日、シャツの袖口が汗で重くなっていたことを、いまも指が覚えている。そこからのことは、勢いでしかなかった。東京へ行く。声の仕事がしたい。滑舌の練習帳と録音アプリを鞄に詰め、夜行バスの座席で耳栓をしながら、「こえ」を自分の体から切り離せる気がしていた。実際は、離れなかった。息があがると声は震えたし、原稿の端にしがみつくようにして読む癖も抜けなかった。


 専門の学校は、入口がガラス張りで、受講生の姿が外からも見えた。笑う練習、泣く練習、謝る練習。練習ばかりが増えて、生活は細くなった。週三回のコンビニの深夜シフトで、立ったまま目が落ちることがあった。教室では相づちのタイミングを探しているうちに、セリフが通り過ぎていく。オーディションの締切は、早起きより早かった。半年も経たないうちに、私は、上手くならない自分の形を、毎朝鏡で確認するようになった。眠れない夜が続き、病院でもらった小さな白い薬が枕元に増えていった。そうして、ある朝、母からの短い電話を受けた。父の体調がよくないという。検査の結果を待つ間、とりあえず帰っておいで、と。私は、すべてを清算した。わざわざ整理するほどのものもなかった。


 実家の二階、南向きの小さな部屋。中学のときに選んだカーテンは薄緑で、裾が少しすり切れている。東京で使っていた小さなスーツケースをベッドの下に押し込むと、雨が強くなった。窓ガラスを叩く音が、脈打つように速い。私は、その音に合わせて、やっと涙が出るのを許可した。泣くことにも、タイミングが必要なのだと、そのとき初めて知った。高校の友人たちは、きっと今ごろ、入社した会社の健康診断とか、名刺の枚数の話とかで忙しいのだろう。彼らに会うことを想像しただけで、肩が重くなる。優しくしてくれるだろうとわかっているからこそ、逃げたくなる。私が優しく返せば返すほど、負けを認めるみたいで、損をする気がした。


 退避のような帰宅から、何日かが重なって、父の検査結果は深刻なものではなかった。安堵の形をした疲れが家の中に落ちた。私は、昼に起き、夜に眠れず、時々台所の椅子に座って麦茶を飲んだ。母は、黙ってコップを洗い、黙っておかずを温めた。黙っていることが、ひとの優しさの最大値になる場合がある。私は、話せばこぼれると思って、なるべく口を開かなかった。代わりに、息を整えるように掃除をし、カーテンの裾の糸を切りそろえ、押し入れの扉の立て付けを確認した。何もしていないと感じる時間のなかで、手だけが細々と働いた。


 数週間が過ぎ、母が夕食の食器を片づけ終わるころ、冷蔵庫の前でぽつりと言った。「猫、飼ってみる?」私は笑ったのかもしれない。声がどこにも行かず、胸の内側でこぼれた。「どうして、急に」「この前スーパーで、里親募集のチラシ見てね。お父さんも、嫌がらないと思うし」母の背中は、冷蔵庫の白に溶けて見えた。私は、返事を保留にした。保留にすると、答えを出した気分になれる。夜、二階に上がってから、天井を見た。飼ったとして、世話ができるのか。東京で失敗した次のことを、もう始めていいのか。そういう線引きを誰がするのか。眠れない頭で、天井の石膏ボードの継ぎ目をたどって、朝になった。


 翌週の日曜、少し遠いホームセンターの一角に、里親募集のコーナーがあった。そこにいたのは、白と茶がまだらの小さなメス猫で、耳の先だけが黒く、目つきは眠そうだった。抱き上げると軽くて、だが、軽さの下にある骨の形ははっきりしていた。係の人に言われるまま、書類を書き、トイレと砂と、最低限の餌と、ブラシと爪切りを買った。帰りの車の中、キャリーの中から時々「ん」と短く鳴き声がして、そのたびに、体の奥がふわりと反応した。名前は家に着いてから考えることにした。


 猫は、家に着くとまずソファの下に潜った。私は、追いかけなかった。台所で器に水を入れ、隣に餌の皿を置いた。しばらくして、ソファの下から顔だけが出てきて、器の方を見た。食べに来るかどうか、私は動かずに待った。やがて、猫は、ひと舐めで水を確認し、餌を二粒口にした。そのたった二粒の音が、私の耳の真ん中に落ちた。私は、自分でも驚くくらい自然に、スマートフォンを取り出して写真を撮った。暗いソファの影から覗く目の写真。なんでもない一枚。それを、SNSに投稿した。誰に向けてでもない、ただの記録のように。


 それから、毎日、猫はすこしずつ家の各所を歩いた。カーテンの裾に鼻を押しつけ、階段の三段目だけを気に入り、私の部屋の机の脚に頬をこすりつけた。トイレは一度で覚えた。私は、朝、起きた直後の猫、夜、窓辺で固まる猫、洗面所で水を眺める猫の写真や短い動画を、ただ載せた。キャプションは、いつも天気のことや、その日の餌の量くらい。すると、いつのまにか、フォローしてくれる人が増えた。朝起きると通知が光っていて、知らない誰かが「うちの子も三段目が好き」とか、「そのブラシ、うちも使ってます」と書いている。私は、返事を考えてから送るのではなく、思ったまま短く答えた。猫に関する言葉だけは、どこにもひっかからないで出てきた。


 猫の名前は「雨音(あまね)」にした。最初の夜に聞いた窓ガラスの音を、柔らかく言い換えてみた。呼ぶと、猫は返事をしないが、尻尾の先が一度だけ動くことがあった。私は、それで十分だった。朝、雨音が私より先に起きていて、カーテンの隙間から外を見ていることがある。私は背後からそっと近づいて、同じ隙間から外を見た。近所の駐車場、朝の風、洗濯物の色。世界は、音量を小さくしたラジオのように、確かにそこにあり続けた。


 SNSには、「無理しないでね」という言葉がよく届いた。「無理」という言葉は、私は長い間、ひとに言うためのものだと思っていた。自分に向ける方法がわからなかった。けれど、猫に関してだけは、無理をしようがなかった。雨音が眠れば私も少し眠くなるし、雨音が鳴けば起きた。写真を撮るとき、部屋が散らかっているのが写るのが嫌で、机の上に積み上げていた紙を少しずつ分けて箱に入れた。分類の名前を付せない書類の束は、思っていたより少なかった。東京にいた頃の領収書は、角が丸まっていて、時間が経つほどに意味を失っていた。私は、写真に見切れる自分の指のささくれを、初めて気にした。爪切りを買った日のレシートは、冷蔵庫のマグネットにしばらく貼っておいた。


 ある夕方、猫をブラッシングしていると、母が部屋の前を通りかかった。ドアのところで立ち止まり、ちらりと中を見て、「小さいころから、猫が好きだったわね」と言った。私の手は、ブラシの途中で止まった。母はそのまま階段を降りていった。言葉は、追いかけない方が効くことがある。私は、ブラシの歯にからまった柔らかな毛を指でつまんで、丸めた。そうだったのだ、と体の奥が答えた。私は猫が好きだった。好きなものが一つでもあることが、こんなに簡単に確かめられるなんて、東京では思いもしなかった。


 翌日から、私は、猫と一緒に写るようにした。鏡のように正面からではなく、画面の端に私の肩や指先が入る程度の距離で。動画の中の私は、少し笑っていて、雨音は私の膝の上で顔を洗っている。投稿に「自分も写るとフォロワーが減るのでは」と冗談を書いたら、「増えるよ」と返ってきた。実際、増えた。新しくメッセージをくれた人のプロフィールを見ると、猫の年齢や性格の一言が添えてある。私は、知らない誰かの台所の明るさや床の色を、画面越しに受け取って、少しずつ、自分の部屋の明るさや床の傷のことも、人に見せてもいいと思えるようになった。


 息の仕方にもリズムが戻った。夜の薬は、日によって飲んだり飲まなかったりになった。眠れない夜は、雨音を膝に乗せて、窓の外のソーラーライトを見る。遠くの高速道路の音が、均一に流れている。私は、焦っている。自分だけ足踏みしている気がして、朝起きるたびに、胸の内側で薄く警報が鳴る。それでも、私は、焦りを隠すために無理やり陽気になるのではなく、焦りと一緒に座っていられるようになった。動画を撮るときの声は、以前より小さい。小さくても、録音アプリの波形はちゃんと動く。私は、記録することだけを続けた。誰の役にも立たないように見える日々の欠片が、画面の上では同じサイズで並ぶ。それが、なぜか、励みになった。


 ある朝、動物病院に行くことにした。ワクチンの時期のはずだと、ポスターで見たから。予約の電話をかける手が少し震えた。初めての場所、初めての会話。私は、玄関で深呼吸をして、キャリーを持ち上げた。雨音は、中でじっとしている。駅までの道、私は、誰にも会わないように顔を下に向け、しかし、歩幅は保った。角のパン屋の前で、バターの匂いがした。病院の待合室は混んでいて、犬と猫の声が交互に響く。受付の人が、優しい声で「初めてですね」と言った。私は、うなずき、名前を書いた。手が震えていたが、文字は読める程度にまっすぐだった。


 帰り道、キャリーの中の雨音は眠っていた。私は、SNSに短い動画を上げた。待合室で眠る猫の様子。私は画面の外から、呼吸の音だけを提供した。すぐに「がんばったね」のコメントが並ぶ。私は、「うん」と返した。駅に着く頃には、太陽が高くなっていて、町の色が少し白っぽく見えた。帰って二階に上がると、ベッドの上に、東京で使っていたノートが一冊出しっぱなしになっていた。開くと、発声練習の言葉がぎっしりと書いてある。私は、そのページをスマートフォンで撮って、「昔の練習帳を見つけた」と書いた。思いがけず、たくさんの反応がきた。「その練習、今も役に立つよ」「猫に読み聞かせてるの、見たいな」。私は、少し考えて、夜、雨音の前で短い絵本を読んだ。声は小さく、滑舌はまだ甘い。雨音は途中であくびをして、私の足の甲に顎をのせた。それを、そのまま載せた。コメント欄は静かに賑やかで、私は、ようやく、笑った。


 翌週、母が台所から呼んだ。「郵便、あなた宛て」。白い封筒には、地元の公民館の印が押されていた。開くと、「市民講座 SNSの基本と安全な使い方 ボランティア募集」とある。私は、一度、封筒を閉じた。すぐに開き直し、日付を見た。土曜の午前。私は、スマートフォンでカレンダーを確認するふりをして、ただ一度、息を深く吸った。「どうする?」と母の声。「行ってみようかな」と私は答えた。言ってしまってから、胸の中で何かがほどけた。母は「そう」とだけ言って、流しに向き直った。私は、封筒を机の上に置いた。手が軽い。雨音が机に飛び乗り、封筒の端を噛んだ。「やめて」と言いながら、私は笑っていた。


 当日、公民館の小さな会議室は、思ったより明るかった。配られた資料を配るだけ、椅子を並べるだけの手伝いなら、私にもできた。年配の女性が「猫ちゃんの動画、見てるわよ」と突然言って、私は顔が熱くなった。知らない誰かの視線を、初めてまっすぐ受け取った気がした。講座の最後、講師の人が「続けるコツは、好きなものを好きと言い続けることです」と言った。私は、雨音の毛並みを思い出しながら、うなずいた。


 帰りにスーパーに寄り、猫砂を一袋買った。重さで腕がだるくなったが、そのだるさは、眠れない夜の目の奥の痛みとは違った。家に着くと、二階の窓から風が入り、カーテンの裾が揺れた。雨音は床の陽だまりに転がっている。私は、キャリーの横に座り、袋を開け、砂を足した。自分の居場所を、自分で少しずつ整える作業。焦りはまだいる。朝になると、相変わらず胸の端で薄い警報が鳴る。けれど、私は、外へ出て、戻ってきて、また出ていくことを繰り返すうちに、警報の音量を自分で下げられる気がしてきた。動画の中の私は、以前よりも少し声が通る。台所で母が食器を洗う音が、遠くで一定のリズムを刻む。


 「小さいころから、猫が好きだったわね」その一言は、今も階段の途中に置いてある。上がるたびに、私はそれを踏み越え、時々振り返る。引きこもりになる寸前だった私に、上がる一段を思い出させた段差。雨が窓を叩いても、私は、もう、音に押し流されない。雨音は、窓の外を見つめ、尻尾の先を一度だけ動かす。私は、その合図を見て、今日も、少しだけ外へ出る準備をする。好きだと、口の中で何度も言い直しながら。

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