第4話
俺が先程いた屋根の上と研究所を二十往復はできるくらいの時間が経ったころ、ようやく元宮が戻ってきた。
「車ってやつもあるのにわざわざ地面を這って俺を探しにきてくれて、ごくろうなことだな」
研究所の前の電線に止まって待っていた俺は、戻ってきた元宮にねぎらいの言葉をかけてやった。元宮は俺を無視して研究所に入っていく。
元宮が研究所に入ってしばらくして、やつの部屋の明かりがつき、窓が開いた。そこでようやく、俺は部屋の中に滑りこんだ。
「自分から帰ってきてやったんだ。感謝しろよ。なんていったって飯がまただからな。で、飯は?」
元宮が無言で檻を指し示す。檻の中には粒状の餌が置いてあった。
俺が部屋に入ってくる前にこれを用意していたらしい。どうりで明かりがついてから窓が開くまで時間がかかったわけだ。俺が入ってきてから用意するのだったら、隙を見て奪ってやれたのに。抜け目のないやつだ。食事にありつきたければ檻に入るしかない。
仕方なく、この身の自由ではなく食事を選ぶ。俺がオリに入った瞬間、元宮がその扉を閉め、ご丁寧に鍵まで掛けてくれた。
「それで、どうだった?」
昼間の任務のことだ。また食事中だっていうのに聞いてくる。相当こたえを早く知りたがっていることが伝わってきた。もちろん俺はもったいぶってすぐには答えない。こういう時は少しもったいぶってやらないと。
「さぁ、どうだったと思う?」
俺は逆に聞いた。
「私はお前に聞いている」
元宮は一言一言強調するように言った。
全くもってつまらないやつだ。俺は餌を食べ終えるとじっと元宮を見つめた。
「そうだなー。俺をここから出してくれたら、答えてやる」
交換条件。せっかくだから活用しないと。
「お前をさらに改造して、お前が耳聞きしたことすべてこちらにデータが送られてくるようにしたほうが良いようだな」
元宮がいつもの口調で言った。
冗談じゃない。元宮の脅しは本気だからおそろしい。これ以上改造されるのはごめんだ。
「全くどこまでも冷酷な人間だな。いいぜ。教えてやる。稲生は何も機密情報を漏らしてない。つまらない会話だったよ」
「本当か?」
元宮は疑わしげだ。
「当たり前だろ。お前が稲生が怪しいと思ってたんなら、機密情報ばらしてたのは稲生だったって言った方がお前の推理も当たって機嫌が良くなって餌増量のチャンスかもしれないってのに、ちゃんと真実を述べてやっているんだ。感謝しろよ」
元宮が眉間にしわを寄せ、不機嫌に言い放った。
「これで調査が終わったわけではない」
ああ、そうだろうな。だが、終わるのは調査じゃなくてお前の方だ。
それから数日後、研究所の極秘情報がさらに外部に流出し、収拾がつかなくなった。
はじめは小さなネットメディアに掲載された記事がきっかけだった。SNSが騒ぎ新聞が取り上げ、テレビが取材に殺到した。研究所には問い合わせが鳴り響き、敷地の外は報道陣であふれた。
幹部は矢継ぎ早に釈明会見を開き、誤解であると主張し続けたが、次第に内部の記録や映像が流出しはじめると、その言葉も力を失っていった。
そして公式に発表がなされた。
「すべての研究を、無期限で凍結する」
実験施設の灯は落とされ、白衣を着た者たちは研究所から姿を消した。
その中の混乱に乗じて、俺は研究所を抜け出した。
研究所を抜け出せたとしても安心はできない。次は研究所の人間ではない人間が俺を血眼になって探すだろう。なので俺は目印である足についたタグを丸一日かけて外した。
やがて人間は俺を探すことを諦めた。俺に関するデータや、俺の位置情報は、すべて元宮らによって消されていたため、探す手立てがなかったのだ。自爆装置は今も作動するのかどうか分からないから、研究所の周辺1.2kmから離れることはできない。だが俺はようやく自由を手に入れた。
今の俺に足りないものはただ一つだけ。その一つを待って、俺はあの日、遠ざかるユラの背中をながめていた建物の屋根にとまっていた。ユラは必ず戻ってくる。必ずこの場所に戻ってくる。そう直感していた。
やがて初雪がちらつきはじめた。俺は寒さに震えながら、屋根の真ん中の目立つところにとまっていた。不意に、ぼんやりとした白い空の中に小さな黒いシルエットが浮かび上がった。鳥の形をしたシルエットがカラスの形に変わり、ユラの形になる。俺は翼を広げた。
粉雪の舞う空の中、二羽のカラスが再びめぐり合う。同時に屋根に舞い下り、互いのぬくもりを分け与えあった。寒さはもう、感じなかった。
実験体の願い 澄海 @skylight_325
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