悪ノ娘-百花繚乱
燈の遠音(あかりのとおね)
第1章 わがままな日常
人々は語る。
悪ノ王国には冷酷な王女がいた、と。
贅沢を尽くし、隣国を滅ぼし、民の怒りを買った、と。
けれど伝説は語らない。
彼女の隣に、いつも一人の少年がいたことを――。
……そう、彼女は“悪ノ娘”と呼ばれていた。
その朝もまた、王女は何気ない仕草を理由に、召使を叱りつけていた。
金色のカーテン越しに朝の光が差し込む。銀の盆を持った召使の指がわずかに震え、
カップが小さく揺れただけのこと。
けれど王女は眉をひそめ、吐き捨てるように言った。
「……ほんと、使えない」
召使の肩が小さく竦む。彼は深く頭を下げただけで、何も言い返さなかった。
王女はさらに声を尖らせる。
「王女様のお口に入るものをこぼすなんて、恥を知りなさい。私に仕える資格があると
でも思っているの?」
召使は静かに「申し訳ございません」と答え、床に視線を落とした。その瞳に一瞬だけ揺らぎが走ったが、王女は気づかない。彼女にとって召使とは、叱れば縮こまり、命じれば従う――ただそれだけの存在だった。
王女は鏡に映る自分を眺め、ふと横に立つ彼をちらりと見た。
「あなた……私の真似でもしているの?」
口元を歪めて笑いながら投げた言葉に、召使は答えなかった。ただ一瞬、眉を伏せただけだった。その小さな仕草の意味を、王女は受け止めない。
「もういいわ、下がって」
冷ややかに言い放つと、召使は静かに部屋を後にした。王女は何事もなかったように椅子へ腰かけ、紅茶に口をつける。
そのとき、侍女が遠慮がちに声をかけた。
「王女様、今日の朝餉の用意が整っております」
王女はため息をつき、カップをテーブルに置いた。
「また昨日と同じ? そんなもの、もう飽きたの。今日はもっと甘いものにしてちょう
だい。そうね……ブリオッシュがいいわ」
侍女たちは顔を見合わせ、困惑の色を浮かべる。城下でも滅多に口にできぬ贅沢だ。
それを承知のうえで、王女はなおも軽く言い放った。
「できないなら、できないなりに工夫するのがあなたたちの務めでしょう?」
声を強めると、侍女たちは慌てて頭を下げ、逃げるように部屋を出て行った。
残された静寂の中で、王女は優雅に紅茶を飲み干す。
窓の外には広い庭が広がり、その先には城壁に囲まれた市街地がある。けれど彼女は、そのさらに外に広がる世界を知らなかった。
侍女たちが部屋を下がったあと、王女は椅子に身を沈め、改めて部屋を見渡した。
絢爛豪華な調度品が隙間なく並び、窓辺には鮮やかな花が飾られている。
壁には名のある画家による大きな絵画、机の上には国中から取り寄せられた贅沢品。
すべてが、彼女のために揃えられたものだった。
「お金が足りなくなったら……愚民どもから搾り取ればいいのよ」
独り言のように呟いた声に、部屋の空気がひやりと凍る。
だが王女は気にも留めず、紅茶を口に運んだ。
「私に逆らう者たちは……粛清してしまえばいい」
カップを置き、ゆるやかに微笑む。
それは無邪気で、そしてあまりにも冷酷な笑みだった。
「さあ――ひざまずきなさい!」
民がどんな暮らしをしているのかも、どんな顔で日々を耐えているのかも、想像すらしたことがなかった。
――この世界は、自分と、自分のために働く者たちだけでできている。
王女は、そう信じて疑わなかった。
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