第2章 嫉妬

城に客人が訪れた。

青い国の王子――その瞳は、王女が見たこともないほど澄んだ青を湛えていた。


光を受けるたびに透き通る湖のように揺れ、言葉を交わす相手を真っすぐに映す。

――その視線を、いつか自分だけに向けてほしい。

王女は、無意識にそう願っていた。


けれど、王子がふと視線を向ける先に気づいたとき、胸にざらついた痛みが広がる。

彼が見ていたのは、隣国から招かれた緑の国の姫だった。

草花のように控えめで、それでいて気品を湛えたその姿に、王子は穏やかな笑みを浮かべていた。


王女は唇を噛んだ。

自分こそがこの城の中心、この国の太陽であるはずなのに。

なぜ彼は私を見ないのか。なぜ“あの姫”に――。


晩餐の席では、嫉妬の炎がさらに燃え上がった。

青い国の王子が緑の姫にささやきかけ、姫がはにかむように笑うたび、胸の奥が焼けるように熱くなる。


金の燭台に灯された炎が、煌びやかな食堂の壁に影を揺らす。

祝宴の音楽、杯を交わす声。

それらが遠くに霞み、王女には二人の笑顔だけが鮮明に見えた。


王女は杯を手に取り、紅い葡萄酒を唇に運んだ。

けれど喉を通るより先に、胸の奥に冷たい空洞が広がっていくのを感じた。


――結局、誰も私を見てはいないのだ。

侍女の笑顔も、兵の忠誠も、すべて“王女”に向けられたもの。

この孤独を知る者は、どこにもいない。


ふと、幼い日の記憶がよぎった。

庭で一緒に駆け回った男の子。

泥だらけになりながら笑い合い、今日のおやつがブリオッシュだと知って、二人して

目を輝かせたあの日。

あの頃は、何も考えずに楽しく遊べたのに――。


胸の奥に差し込んだ影を振り払うように、王女はナイフとフォークを握りしめた。

刃と刃が小さく触れ合い、乾いた音を立てる。

侍女たちの肩が震え、場の空気が張り詰めた。


――その夜更け。

王女は召使を呼びつけた。

窓から差し込む月の光が床を白く染め、庭の木々を淡く照らしている。


「ねえ、どう思う? あの女のこと」

召使は答えなかった。ただ静かに頭を垂れ、視線を逸らす。


だが、その一瞬の沈黙に、王女は気づいた。

「……ははーん、さてはあなた……」

王女は目を細め、吐き捨てるように笑う。

「どいつもこいつも、あんな性悪女に騙されて。情けないったらありゃしない」


そして急に手を打ち、思いついたように声を弾ませた。

「ん、そうだ! 良いことを思いついちゃった!」

召使は顔を上げる。だが、その表情はわずかに強張っていた。


「よく聞きなさい。これから軍の指揮を取って、緑の国を滅ぼしてきなさい。……わかったわね?」

沈黙ののち、召使は深く頭を下げた。

「……御意に」


王女は満足げに微笑む。

けれどその背後で、召使の影が月光に揺らいでいたことに、彼女は気づくことはなかった。

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