第28話
若先生はふっと笑った。声は柔らかく、しかしその瞳には鋭い光が宿っていた。
「なるほどな。私が君のことを“教授”と呼ぶ学生たちに、さほど違和感を抱かずにいた理由が、今わかった気がする」
言葉を切ると、彼はしばし沈思するように顎に手を当てた。
「だが……不思議なものだ。私は今まで、学生に対しては必ず“学生らしさ”をどこかで意識していた。ところが君に関しては、それを感じなかった。なぜだろう」
神谷は沈黙を守り、ただその観察を受け止める。
若先生は独り言のように続けた。
「単純に知識量の問題ではない。知識ならば、医学部の学生の中にも膨大に詰め込んでいる者はいる。だが、君の場合は——知識の配置が異様に整っている。断片ではなく、全体像として見えているような……そんな印象を受ける」
ペンを弄びながら、彼はさらに思索を深めていった。
「あるいは態度の問題か? 君は議論の場で熱に流されない。むしろ俯瞰して、全体の動きを測りながら最後に言葉を差し込む。これは年齢や経験だけで得られるものではない。むしろ……意識的に身につけた習慣か、あるいは——」
教授は一度言葉を切り、神谷を横目で見た。
「……本当に君は学生か?」
神谷は微かに笑んだ。その笑みが否定とも肯定とも取れないのを見て、若先生はまた腕を組んだ。
「いや、学生であることは間違いない。しかし、何かが違う。……そうだな。面接のとき、君は“救いたい人がいる”と言った。その言葉も今になって引っかかっている。普通ならもっと曖昧に“人の役に立ちたい”とか“医師として社会に貢献したい”と答えるものだ。それを君は言わなかった」
若先生の声に、思索の昂揚が混じり始める。
「つまり、君は動機が異様に具体的で、しかも個人的だ。だが君の議論の仕方は個人的情熱に流されるものではなく、徹底して合理的で冷静だ。この二つが両立している。矛盾しているようで、奇妙に調和している」
彼は机に視線を落とし、再び考え込んだ。
「——となると仮説は三つだ。一つ、君はただの天才で、もともと異常なまでにバランス感覚を持っている。二つ、何か大きな経験や喪失を経て、その結果として現在の思考様式に至った。三つ……これは馬鹿げた推測だが、君は我々が通常持ち得ない認識の仕組みを有している」
神谷はただ静かに座っていた。その沈黙が、かえって若先生の思考を煽る。
「……さて、どれが正しいのか」
若先生は自嘲気味に笑った。
「私は脳神経外科医だ。脳科学にも精通しているつもりだが、それでも“サヴァン症候群の本質”さえ説明できない。君を目の前にして、同じ無力感を覚える。結局、人は人を完全には理解できない、ということなのかもしれないな」
そう言って彼は、初めて真正面から神谷の目を見た。
その視線には、単なる興味ではなく、尊敬と畏怖とが入り混じっていた。
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